実況パワフル俺 〜中学生編 最終話〜
この辺から段々とお笑い要素消えてきますがぜひお読みいただけると喜びます☺️
そんなこんなで最終的にはセカンドのレギュラーに定着、2番セカンドが定位置になります。
本当によくいる貧打の2番セカンドでした。
小学生の時、武器だった走力も中学では伸びず、本当に平均的で中3の体力テストの50mは7秒フラットとかだった気がします。
そして中学時代のヒットが全く記憶にありません。
1番バッターがめっちゃ足速くてよく塁に出てたのでひたすらバントしてました。中体連のシード決定戦で3回戦まで行ったのですが、8打席回ってきて6犠打だったのだけは未だに覚えてます。笑
最後の中体連では2回戦に嘉数中に負け、中学野球も特に思い出もなくあっさり終わりました。
そしてこの後、沖縄県特有の野球文化?なのかはわかりませんが、中学軟式を引退してから高校で野球やるまでの間、硬式野球に慣れるために希望者が「育成会」と言われる、同じ市町村の中学が連合で結成したチームが毎年あります。
そこで かわむらは どりょくを おぼえた!
普通にこなしとけば楽に取れた中学のレギュラー。
ただ「オール北谷」は北谷中と桑江中の2チームの合同でほぼ2チーム分のレギュラーが集まる、ということは必然的に1チーム分レギュラーが控えに回るということ。。
そして北谷中のセカンドはめちゃくちゃ守備が上手い小技型の選手。これはまずい。負ける。と思い、
毎日帰宅後、素振り300回フルスイング。
これを欠かしたら負けると思い込み必死にやりました。
帰宅途中の同級生に見られたりすることもあって気恥しい事もありましたが、無心で毎日振込みまくりました。
もちろん今までそんなことした事ないので手はマメだらけになります。
それでも負けたくない一心で振り続けました。
そのおかげか、めちゃくちゃバッティングが良くなります。軟式ではほぼヒットを打った記憶が無いのに打球が鋭くなり、全くの別人になりました。
その結果セカンドのレギュラー争いに
負けます。
ただ、当時のコーチが「大地も上手いけど、セカンドはあいつを使いたい。ただ打力を活かしたいからセンターに回ってくれ」との事でした。
元々、後ろ向いてアウトカウントの確認がしたいが為に内野をやりたかっただけなのであまり未練はありませんでした。
故に快諾ゥ。
そして無事、「3番センター」のレギュラーを掴みます。
めっちゃカッコイイ。9番レフトダサい。
そして中学の3年間で内野をやってた+89塾という野球塾にいってた事もあり外野守備めっちゃ上手くなります(当時)。そして昔からの謎の嗅覚により打球が飛んだら何故かそこに居る。ポジショニングにも定評が出てきます。
【89塾】
元ダイエーや近鉄で活躍した新里紹也さんが指導される小中学生対象の野球教室。
当時、守備練習でやたら上手い小学生がいて中学生のお手本になってた「比嘉くん」っていう子がいたのですが、それから9年後、全く離れた北陸の地で練習試合の相手(金沢学院大学)にその子が居たという面白い余談。
そっからは打つ打つ打つ。
チームとしては大会で好成績を残せはしなかったものの、コーチに「お前と○○(4番)のバッティングは高校レベルだから自信もって行け」と言われ、ここで初めてバッティングに自信ニキになります。
些細な一言ですがこのコーチとの出会いは大きかったなぁ〜なんて思ったりします。
そして気になる進路は、スカウトなんか来るわけもなく、当時春夏連覇した興南高校なんて行っても出れないし、沖縄尚学も無理。
頭も良くて、部活もそこそこ盛んな普天間高校にしよ〜。(当時、県内でもトップレベルの人気校)
入学試験で300点満点中7割の210点がボーダーラインであった高校に塾も行かず、自力で合格します。すごいねぇ。自己採点245点でした。
次回、高校編。今後は頻度高めに年内には独立リーグ辺まで完結させようと思います😌
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