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実況パワフル俺 〜普天間高校編〜

質実剛健、進取創造。

我が母校の校訓である。


一,千代にかしこき名を伝う
  宮居ゆかしきうまし野や
  仰ぐ聖の松並木
  さやけき風の鳴るところ
  ああ正大の気を負いて
  わが学舎は聳えたつ


3年間、毎日朝のHR開始前の予鈴と共に流れてた校歌だったが未だに意味は全く分からない。




そして桜の咲く季節。川村の高校生活が始まった。

と、言いたいところだが、
沖縄はヒカンザクラっていう1~2月がピークの桜がほとんど。

だから入学式の時期には大抵散ってるんだ(*^◯^*)

そんなこんなで始まる高校生活。



ここでの生活がその後の基礎になったのは間違いなかった。

入学のオリエンテーション等も終わり、初部活へ。

「え〜、部員多くね〜?」


当時、あんまり下調べするタイプじゃなかったので部員がどれくらい居るのか、どれくらい強いのか全くと言っていいほど知らなかった。


一学年30人程の総勢90人近くの部員がいる。


それだけでも結構ビビった。



そして3年生、身体でけえ。打球飛ぶ、うめえ。



2年生ですらデカい。


当時172cm62kgしか無かったガリガリ君ビビる。



そして、新一年生は毎年戦力として見られていません。


では何をするかと言うと、



外周3km走→体幹トレーニング→応援練習→上級生の補助。



沖縄は夏の選手権が日本一早く、6月下旬から始まるので当校の1年生は引退するまで基本ずっとこのサイクル。


特に部員が県内でも多いほうなので、応援に定評がありました。(今は半減してるからそうでも無いかも?)


(まあ、こんなものか。。。)


1年生からメンバーに入れるなんて微塵も思ってなかった為、なんとも思いませんでした。


ただ、1年生の実力試し的なのが1度だけあり、それが実戦の場だったのですが、高校初実戦の相手はなんと、


米軍基地内の高校「クバサキハイスクール」


え、高校野球初実戦が外国人?




こんなことある?



同級生が最初35人くらいいた為、打席は1度くらいしか立てなかったのですが、非常に面白い経験でした。



そして入学から3ヶ月半が過ぎ、夏の選手権では現・オリックス・バファローズの大城滉二選手擁する興南高校にベスト8で負けます。


さあ、新チームになってやっと野球が出来る。


ポジションはセンター。


キャッチボールを済ませ、シートノックに入ると今までにない感覚が現れます。


送球は普通。
肩は平均以下だったはずなのに


(え、めちゃくちゃ肩強くなってる.....)


周りから漏れる「肩強い」のワード。


「肩強いからカット近づきすぎるな!」と怒られるファースト。


3ヶ月間、ひたすら走って、体幹トレーニングをしてただけ。


それだけで何故か肩が自分でも信じられないレベルになります。


肩強いなんて思ったことは1度も無い。
言われたことももちろん無い。



でも送球は間違いなく強いし、周りからもそう言われる。



「あれ、俺もしかして強肩の仲間入り?✋😌



調子に乗ります。



今までは「弱かった」のに急に「強くなった」


投げ方は変えてない。


となるとシンプルに筋力が上がったのでしょう。



しかしそこには落とし穴がありました。



そこから2ヶ月後の10月、異変が起きます。



いつも通り練習が始まり、
シートノック前のキャッチボールの際



(ズキッ)



今までに無い痛みが走ります。



気のせいかと思い、
数球投げ続けてみてもまだ痛みます。


これはやばい。

おかしい。


大事をとって、その日の練習はそこで離脱。
病院に行きます。



結果は右肘靭帯の損傷。



急に出力が上がった故、
靭帯が耐えきれなかったのでしょう。



「数週間ノースローで様子を見てください」



と言われます。



そうなればグラウンドには当分入れません。



「さあ、どうしよう。」



この後に取った行動が、この後の野球人生を大きく変えると共に大きく苦しめる要因の一つとなります。



続く

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