見出し画像

実況パワフル俺 〜信濃グランセローズ編〜


2017年5月31日 ついに長野県中野市へ旅立つ。

初めての長野県。

小学生の時から一貫して思っていたのは

「北信越地方は人生において訪れることはないであろう」

というくらい興味も関心もない地域だった。

が、不思議なことに今からそこに住むというのだから、人生というのは分からないものである。

もしかしたらこれを読んでいるあなたは10年後シベリアに住んでるかもしれません。人生というのはそういうものです。

さて話は逸れたが、その間にも中野市へ到着。

すげー田舎。まじでなんもねえ

田舎の象徴、でかいイオンもある。


が、空気が綺麗!!!!気持ちいい!!!


そんな中、契約を済まし部屋を整え、1日を終える。


6/1


チームへ初合流。


全然知らなかったがこのチーム、元プロや甲子園優勝のレギュラー、甲子園ベスト8、甲子園出場、強豪大学出身etc.......


と、まず経歴でびびった上に、みんな打球は飛ばすし上手い。

(なんだよこいつら........)


そう、要するに完全に舐めてたのである。


「今年プロとか無理じゃん」


そう悟った瞬間であった。
もうこのマインドが失格である。

そして翌日、初試合だった。

しかしもちろんベンチスタート。


長野県営でのナイター。
相手は富山GRNサンダーバーズ。


こっちの先発は高井ジュリアン。

一個下だが外国人も混じる強力打線をバチバチに押さえてるのを見て、ただただ「すげー」と思った。


と同時に、インコース攻めによる乱闘騒ぎもあり、

「あっ、独立リーグってこんな場所なんだ」

と実感した。なんか異質。確かにプロなんだな、と。


そしてそのまた翌日の6/3


松本市野球場で行われた富山GRNサンダーバーズ戦でなんと初スタメンとなる。

めちゃくちゃ動揺した。いや、何しに行ったんだよお前と思うかもしれないがスタメンに選ばれたことによりかなり動揺してしまった。

8番レフト。レフトなんて大きくなってからはほとんどやった事ない。こえーなあと思いながらもとにかく心の準備から。


とはいえ落ち着くはずもなくプレイボール。


相手の先発は現在、社会人の伏木海陸運送で活躍する後藤さん。

左ピッチャー+お試し ということで起用されたのだろう。

が結果は2打席凡退のうえ、慣れないレフトでクッションボールをやらかし5回で交代。辛いデビューとなった。
ちなみに二試合連続で乱闘騒ぎになった為、独立リーガーはみんな血の気が盛んなのかなと思った。
そんなことは無かったけど。


まとめるとチャンスを掴めなかった。それに尽きる。

ちなみにこの試合での現ロッテの和田康士朗くんの印象が強烈で「あ、この子絶対プロ行くんだろな」と思った。


そして、それ以降は基本的に、いやもう全試合ベンチを温める日が続いた。
あっためすぎて溶けたんじゃないかと。
誰がコタツじゃ。

もう立場的には完全に一応登録はされている練習生みたいなもんだった。


今年でプロに行くと決意し入ったBCリーグの世界。

入ってはすぐ鼻を折られ、立場に絶望し、試合に行けばベンチかファーストコーチャーとして眺める日々。


メンタルはズタボロ、自律神経もイカれてたのであろう、イップスにもなりどんどんボールは投げれなくなるわ、バッティングもわけわからなくなりグチャグチャになるわ、自信があったはずの守備ですら守るのが怖いと「野球選手」として完全に終わってた瞬間であった。


となると普段の練習から全く身が入らない。


身体能力の高さやバッティングの良さも買われてはいたので、来年以降に備えて育てようと、サードの練習もさせられたが、イヤイヤやる日々。

何が嫌だったのかも分からない。

それを察されたのか、自然にサードの練習をさせられることもなくなった。


最悪の状況である。全く何をしに来たのか。


ストレスがマックスの時に発症する扁桃炎にはこの年3回もなった。

喉が痛すぎで唾が飲み込めないレベル。


バッティングも最初は本西監督が一から変えようと指導してくれたが、当時フライボール革命が謳われていた時代で、盲信してたバカな川村はガン無視。


実力も伴ってない、切り開く力もない。
のにガン無視。


そりゃ上手くなるはずも成長も無い。


そんなこんなで時だけが過ぎ

ベンチにはいるものの、全く戦力になれないままチームは優勝。


「早くシーズン終われよ。」


というのが本音だった。

とことん腐りきってる。

チームとしては球団設立11年目での初優勝だった。

が正直な話、申し訳ないがちっとも喜べなかった。


全く戦力になってないからだ。
1試合もだ。選手としてそんなことは滅多に無い。


そんな中、地区CSも勝ち上がり西地区優勝。
そして東地区優勝の群馬ダイヤモンドペガサスも下してリーグ優勝。


「もう勘弁してくれ」


これが更なる本音であった。
自分の想いとは裏腹に生き残り続けるチーム。
かなり最低。野球選手として終わりだ。

あんだけ志高く、愚直にやり通したMETSでの日々からものの2~3ヶ月でここまで腐り切るのも凄い話だ。植物か俺は。


だが、その中にも久々

「悔しい」

と思えることが久々にあった。

それは何か。

CSで、唯一立たせてくれた打席での事だ。


相手はメジャーで150試合以上投げてるのに何故か日本の独立リーグにいる意味不明なピッチャー。

元群馬ダイヤモンドペガサスのトーレスである。

速い。とにかく速い。勢いもすごい。

なんだこいつ?全くバットに当たんねえ


BCに来て初めて感じた悔しさ。
これだ。懐かしい。


やっと野球に対して考えるきっかけを与えてくれた。

「どうやったらあいつ打てんだろ?」

先輩に聞く。

「あれどーやったら打てるんですか?」

返ってきた答えは

「あんなのどうせ逆地区で対戦することないから考えなくていいよ笑」

あー、まあ確かにな。

ただ、悔しかったので考えた結果

「振り込んでアッパースイングに磨きをかける」


なぜそうなる。まあいい、やってみろ俺


そしてグランドチャンピオンシップでは徳島に最終戦までもつれ込むものの最終戦は追い上げムードの中降雨コールドで敗戦。


面白かったのは、中断中

「いや、出来るだろ!!」

と声を荒らげてた選手が中止になったあと、びちゃびちゃになってるグラウンドをみて冷静に


「いや、こりゃ無理だろw」


と言ったのが面白くて未だに覚えている。


そんなこんなで激動の1年目が終了した。
なにか成長したのか?

きっと、成長の為の退化であろう。

そう思うことにし、オフシーズンへ取り組む。


そう。

「アッパースイングを完成し、文句を言わせないくらい圧倒する」


をテーマにね。

それが翌年どうなったでしょうか?
それではまた次回。。。

※有料版は無料版で完結後に書きます


余談だけど、この年に行った仙台での楽天戦で、小中の大先輩である元楽天の伊志嶺さんからバットとバッテを貰ったのはかなり感激したなぁ。縁ってすごいよね。。。

ちなみに初ヒットは武蔵ヒートベアーズ戦で相手ピッチャーはエースの村田さん!

速かったけど打てて嬉しかったなぁ。思い出。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?