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実況パワフル俺 〜普天間高校編 最終話〜



大失態のまま交代。


原因はわかってる。


アイツだ、絶対。レッドブル。
翼が途中で折れた。


ベンチに引き下がった後も試合はダメ押し点を取り、8回コールド勝ち。

※ベンチに引き下がってすぐの写真


接戦になるだろうと思ってたから予想外の展開だっ


に、しても出来過ぎである。


悪夢のベンチ外から9ヶ月。
よくここまで来れたものだと自分でも思う。


そして、この試合を機に「勝負強さ」というモノが備わった気がする。


「チャンス〇」を身に付けた!


当然、この活躍は取り上げられることになる。


琉球朝日放送で放送されてる目指せ甲子園という特番でも試合後のインタビューが取り上げられ、翌日の新聞には琉球新報、沖縄タイムスの両社にインタビュー記事+写真が載る。




人生初。嬉しかったなぁ。。


が、所詮1回戦を突破しただけに過ぎない。


なんなら次の相手は、春の大会準優勝の真和志高校。


エースピッチャーは県三本指には入るピッチャー。


しかもピッチャーも含めたレギュラー4人は同じ中学校。(軟式野球部ではなかったが)


負けられない理由は揃いに揃ってる。


そこから1週間。

視聴覚室等でそれっぽく対策的なことをするが、はっきり言ってそんな付け焼き刃で勝てる相手では無い。


にしても川村、絶好調。


バッティング練習ではレフトのネットを越しまくる。1年前じゃギリギリネットに当てるのが精一杯だったのにも関わらず。


金属で打てば当たり前に超えるからと木製で打っても越えてしまう。挙句の果てには民家の車のミラーを破壊してしまう程。もう止められない。



そして二回戦の日を迎える。



地元の北谷球場。そして第三試合。

この球場は中日ドラゴンズのキャンプ地であり、小中学生の時からよく使ってる慣れ親しんだ球場だ。

キャンプもよく見に行った。

特に小さい頃は落合政権の中日全盛期の時だったのでアライバの二遊間はもちろん、福留選手や森野選手、谷繁選手に後に敵将となる柳沢選手ももちろん覚えてる。

福留選手にキャッチボールを教えてもらったり、井端選手の移動中に連写して「撮りすぎやろ!」ってツッコまれたり、当時のバッテリーコーチを球場からドームに自転車の後ろに乗せて送ったりと、思い出が沢山ある。



おっと、、、話がだいぶ逸れたが二回戦の試合前だった。



たしか、前の試合が結構長引いて時間が押してたのでシートノックが省かれた。


昼下がり。試合が始まった。


先攻は普天間


2番がヒットで塁に出るも3番がバント失敗の併殺に倒れ、結局三者凡退。


その裏はピンチになるもしっかり抑え無失点の立ち上がりであった。


そして2回表、先頭は川村。


とりあえず塁に出て繋いでもらおう。

その意識もあってかインコースにスライダーに上手く反応してレフト前ヒット。


5打席連続安打。相変わらず絶好調である。


しかし、これが高校野球生活最後のヒットになるのであった。


その後、得点圏に進むも打線が続かず凡退。

県内でも三本指には入るピッチャー。

そして"強いゴロを打ってミスを誘う打撃"をずっとさせられてた打線。

繋がるはずもないのだ。

この打席を機に


「俺がホームランを打たないと点が入らない」


と思う高校通算0本の背番号18であった。


そのまま試合は均衡が続き4回裏にスクイズを決められついに先制される。


こうもなれば"ホームランを狙うしかない"と1発狙いに切り替えるも2打席目は三振。


連続安打もついに途切れた。


5回裏を終了し、0-1

大接戦である。


ここでベンチ裏に集まり監督の檄が飛ぶ


「ここで負けたらお前らもう終わりだぞ!」


そりゃそうだ。当たり前だ。


しかしこんなに気合いの入った怒り方をするのは初めて見たかもしれない。


指導方法には個人的に疑問点はあったが、夏に向けたチーム作りは上手かったのかもしれない。


贔屓目に見ても中堅レベルなのにも関わらず、2個上の夏はベスト8、1個上の夏は2回戦であの八重山商工に勝ち、3回戦では甲子園出場チームに9回2アウトまでリードしてたのもあって夏の大会の普天間は恐らく不気味な印象を与えてたに違いない。


そんな気合いの入った怒り方をされれば、もちろん気合いも更に入ると共に、余計に背負い込んでしまった。


(俺が何とかしなければ........)


この気持ちが強すぎた結果が更に裏目に出る。


6回裏、先頭バッターのライナー性の打球がセンターに飛んでくる。


通常ならばシングルヒットとして処理する打球だったが、流れをどうしても変えたい思いからダイビングキャッチを試みる。




が、無情にもグラブの先をかすり善逸。




あ、間違えた。後逸。

打球は間違いなく霹靂一閃だった。


ランニングホームラン。


点以上に重くのしかかる痛い痛い1点だった。


(やってしまった。。。。)


が、俺がその感じを出したら終わりだ。

チェンジの時も堂々と帰る。


しかしこの日は勘が悪いのか、判断が全て裏目に出る。


「ホームラン狙い」


この判断も当然上手くいくはずもなく、3打席目はランナーを一塁に置くもセカンドフライ。


その上、更に追加点を奪われ0-3。


相手ピッチャーの出来からしても絶望である。

しかし8回表。

相手のミスも絡まり、1アウト満塁の大チャンスを作る。

打順も1番。好打順だ。



流れは完全に普天間。

※盛り上がる大応援団(部員100人+一般生徒)



のはずだったが、三振。


続く2番は惜しい当たりのショートライナー。


終わった。完全にツキが無い。




そして9回の最終打席はフェンス手前のレフトフライ。


そのまま後続も倒れゲームセット。


敗戦。そして皆、泣崩れる。


しかし涙は出なかった。

※チームメイトを慰める俺。いや、お前のせいだろ半分。やることはやってきた。



そしてこの頃からプロを目指す。と決めていたから必然と涙は出なかった。



















とかっこよく言いたいとこだが、どういう訳だか小学校卒業してから今に至るまで泣いたことがないのだ。小学校までは泣き虫だったのに。

※めちゃくちゃ若い俺。かわいい

こうして高校野球生活は終わった。
大変だった。

この試合、もっとチームメイトを信頼してチャンスメイクに徹してたら結果は変わってたのではないかと未だに思う。



ただ一つだけ言えるのは、ここで普通に下級生の時から試合に出て自分達の代からは当たり前にレギュラー、という順風満帆な高校野球生活だったら間違いなく独立リーグまで野球をやることは無かっただろう。



「逆境から這い上がれた経験」


「自分が正しいと思ったことを貫く大事さ」


ここでの2年半で培うことが出来た。


もしかしたら監督はそれすらも見越して俺にそういう扱いをしたんじゃないかって未だに思う。


辞めそうになるギリギリで火をつけてくれた部長もいなければもっとどうなってたことやら。。。


そんな監督と部長とは今でもたまに連絡を取りあってます。ちょいちょい成績を気にかけていただいたりと最後まで応援していただきました。いつか恩返し出来るといいなあ。


ということでケロッと翌日から練習をするのである。

そして会う人全員に言われる




「え、なんでお前練習してんの?」





次回、進路編〜大学編(実は行ってた)

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