見出し画像

実況パワフル俺 〜信濃グランセローズ編 2〜

そこからオフシーズンが始まる。
実家のある東京に戻り、トレーニングしてはバットを振りをひたすら繰り返した。
割と脳筋スタイル。


当時は特にTwitter界隈ではバッティングに関するメカニクス論が死ぬほど展開されてた。


昔からアッパースイング信者ではあったすのでむしろ「これは間違いない」と盲信していたのだ。


「上から叩けとかバカじゃねえのw」
「カチアゲ!!カチアゲ!!」
「アッパースイングが正義!!!」


今思えば典型的な盲信タイプの馬鹿である。


ただ愚直にやり抜くことはできた。


なぜならそのシーズンの悔しさ、もどかしさが常に糧になっていたからだ。


例えばトレーニングの中であと1回が辛い時でも


「ベンチやコーチャーで眺めてる惨めな自分の姿」


を想像しては乗り越える。
そうやって力に変えていった。


そして気付けば合同自主トレが始まった。


スイング、パワーともに見違えるほど変わった。


が、、、



やはり否定的な声が聞こえる。
それじゃ打てんだろ。と



しかし、無視。



だって打球めちゃくちゃ飛んでるもんね〜



ただ、そうなれば結果を残すしかない。



そこからオープン戦で快進撃のように打ちまくる



そうなれば使わざるを得なくなるだろうと。



その年、都市対抗に出た、信越硬式野球クラブ戦ではHRも放った。



スポニチでも記事に取り上げられる。



よし。開幕スタメンは確定だろ。



そう確信してた。



が、いざ迎えた開幕の福井戦。



開幕オーダーに自分の名前がない。



「???????」



え????



おかしい。こんなことは許されない


オープン戦で結果は出したはず。なぜ???


かなりモヤモヤしたままアップが始める。


(結局、結果残してもこれかよ。。。。。)


ただ、この時は出れば打てる自信しかなかった。

チャンスさえ回って来れば絶対に仕留める。

そう切り替えた矢先、雨天中止が告られた。


これはきっとチャンスだ。ラッキー。


そう思いながら帰りのバスに揺られる。


そして開幕戦はホームでのvs 石川ミリオンスターズ戦となった。


向こうの先発は後のチームメイト、石川文哉。


幸いにも左投手が先発してくれたおかげで、7番ライトでスタメンに名を連ねる。


事実上、開幕スタメンだ。


曇り空。そして強風。少々肌寒い。


プレイボール


2回、石川の小林さんの放った打球はライトに高々と飛んでくる。


ここで強風発動。


若干、ドライブのかかった打球はどんどんライト線へ流れていく。

思ったより流れ過ぎて、どんどん体勢が悪くなっていく俺。


追ってる途中にわかる、「あ、これやばい、やばい」


そしてポロッとこぼれ落ちたのは涙でも夢でもなく、ボールだった。



人生初落球。間違い無くこれが初の落球だった。



フライなんか落としたことない。

どうやったら落とすのか。というレベルだった。


初めての落球に動揺するも、その回はピンチを防ぎ、攻撃へ。


ミスを取り返さないとヤバイ。そう思い、打席に入る。



無心。とにかく無心に来た球を打つ。レフト前ヒット。

今シーズン初打席で初安打を記録。上々の滑り出しであった。


一旦、ホッとする。ここでダメならきっと交代だったであろう。


そしてその試合は2安打を放ち、試合も二桁得点の大勝。


が、この試合を機に、守備に不安が募り始める。

守備に悩んだ事がなかった故、試合で初めて落球したことがかなりのショックだった。


そして感覚がバグる。グラブを閉じるタイミングがわからなくなる。


普通まずこの歳まで野球をやってれば、捕球の際に「グラブを閉じる」なんてことは考えない。


例えばスプーンでスープを飲む時に持ち方や掬い方を意識して使ってる人なんているのであろうか、いやいない。



そのレベルで訳が分からなくなる。

そのバグ自体は3日ほどで治ったが、それ以降守備に不安を抱えるようになった。


しかし打撃は好調で、4月の月間打率は5割近い数字を残した。


が、6月辺りを境に暗雲が立ち込める。


人生におけるかなりのターニングポイントだったのかもしれない。

この決断と行動力がなければ今どうなっていたのであろうか。


次回「石川ミリオンスターズ 移籍編」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?