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実況パワフル俺 〜TOKYO METS編 2〜

一関での大会で首位打者を獲得し、


2016年9月


残す大会は秋季のクラブ選手権のみ


とはいえ、まあ勝っても全国大会がある訳では無いから主要大会ではないが、俺らにとっては重要な大会となった。


と、いうのも


古賀さんがこの大会を機に勇退される事になった。


恩返しって程でも無いかもしれないが
一人の偉大な野球人の野球人生を最後は優勝で飾ってあげたい、という点で十分に重要な大会と言える。


が、奮闘虚しく初戦敗退。 


古賀さんの勇退と共に、シーズンも終わる結果となった。


「さあ、来年こそは、、、、、」


と思っていた矢先、
とある日の練習試合で転機が訪れる。


この日の練習試合、とある独立のチームのスカウトが見に来るとの事だった。


とは言えども、別に俺を見に来る訳では無く、当時そのスカウトの知り合いの選手が在籍していた為その選手を見に来ていた。


「なーんだ、俺じゃねーのか。つまんね」


お世辞にも強い相手ではなかった為、やる気も特別なかった。


その日は4番DHで出場。


1回表、早速タイムリーを放つ。すかさず盗塁。


そして2回裏、急に腹痛を催した為トイレへ駆け込む。DHだからなせる技である。


3回表の攻撃は2番目に回ってくる予定だったので余裕をこいてたら、まさかの呼び声が。


やばいやばいやばい


焦る川村。
三者凡退でアッサリ終わった上に、先頭バッターが早々に出塁してしまった為、秒速で打席が回ってきてしまったが、その時ネクストバッターサークルどころか70m先のトイレにいるという積みゲー。70m先からのリビングデッドの呼び声




周りは俺がトイレ行ったのを知らない為、ネクストバッターが消えたという奇妙な状況。



交代しようとなってた時にギリギリ帰還。
リバイバルスライム。

そして何事も無かったかのように四球を選ぶ。

そしてすかさず盗塁。


4回には右中間に2ベース。
5回にはレフトオーバーの3ベース


その後はノーヒットだったものの
3安打2盗塁。


おまけに先発の赤坂くんはノーヒットノーラン。


お祭りだった。


※その日の写真


そして後日、練習参加した際に


「こないだ来たスカウトが是非うちに来て欲しいと言ってるけどどうする?」


という話があった。


内心びっくりしていたが、正直あまり独立リーグというステージに関心が無かったのもあり即答で


「来年もメッツでやらせていただきます」


と言った。なぜ持ち帰らなかったのだろうか不思議でもあるが、恐らくこれは「運命」運命がそうさせたのだと未だに感じている。


しかしそこから2週間ほど経った時、



(野球だけしてお金貰えてプロ目指せるのってめっちゃ良くね?)



と思い、やっぱり行きたいと言ったところ、11月の全体トライアウト直前という事もあり、もう枠が埋まってしまったと。



ただ、1度行きたいと思ってしまったからにはもう気持ちが戻らない。



散々メッツには迷惑をかけてしまったが、結局2月のBCリーグの全体トライアウトを受ける、という形で落ち着いた。



人生初のトライアウト。



そして編成がだいたいどの球団もほぼ終わっている2月のトライアウトは選手側からすると鬼門である。



そこに挑む、川村。結果はいかに。



〜次回、「BCリーグ トライアウト編」〜

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