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実況パワフル俺 〜大学・ニート編〜


やっと与えられた冬休み。



年末年始の期間、沖縄に帰ることにした。



約1年ぶりくらいの友達との再開。



遊んだり、ご飯食べに行ったり、昼間は高校の練習に行ったり。



とても楽しかった。




1週間ほど過ごし、香川へ帰る。




その瞬間、自分の中で張り詰めてた糸が切れていたことに気付いた。(あ、やべえ。モチベーションが失踪してる。行方不明。)





もしかしたら無意識に帰省をモチベーションにしていたのかもしれない。





またいつも通りの地獄の練習が始まる。





春先に


「今まで見た中で1番速い」


と言ってくれた元大阪桐蔭高校の先輩にこの頃、


「最近脚遅なってない?」


と言われたことによるショックや、帰省によるモチベーションの低下、1年前からの自分の成長度、そこにかかってるお金。



それら全てを考えた時に




「ここに居る意味あるのか?」




と、考えた。



そしてとある日の練習時に、今となっては最高のきっかけが起こる。



その日は午前中が自主練で、午後からメニューが組まれてた日だった。



自主練と言えども何をしても良かったので、同級生2人とグラウンドのレフト方向の外にあった公園で坂道ダッシュを適当に軽くやってた後にやる気を失ってた俺らは公園の奥でサボることにした。



何気に人生初野球の練習でサボった気がする。



それほどモチベーションが低下してたのであろう。



そしてサボってた所を不運にもキャプテンに見つかって







(あー、、、終わった。)






するとどうなったか。






チクられました。当然です。



その日はそういうのもあって練習が中止になったような気がします。確か。あまり覚えてないけど。



そしてここで川村。この事件を好機と思い、翌日以降の練習をボイコットします。




今考えれば中々の問題児である。




「1年間我慢すれば何か身についてるはず」




と思い耐えたが、むしろ




「何も身についてなければ退化してる。」




※これは当時です。監督もとっくに変わってるので今はきっと良い環境だと思います。




もちろんモチベーションや考え方のせいもあったと思う。




が、そこには時間もお金も発生してる。





Time is money.


タダでは無い。






となれば、もうこれ以上身を置く必要が無い。




と判断した川村。




そこからは光の速さで退学。




同級生とはみんな仲が良くかなり楽しく過ごしていたので名残惜しい部分もあった。




が、それと人生は釣り合わせていいものでは当然無い。




2月。退学。





人生初のリタイア。





数々のうどん、遊戯王、カラオケの思い出を胸にしまい、香川県を去る。





(人生の流れが良くない時期に遊戯王やりがちだなぁ。。。。)






そこからは自分が高2の時に実家が東京に移ってた為、実家のある東京へ行くことにした。




初の上京。




ってことになるのだろうか。



東京には何回が来たことはあるけれども。



しかし精神的に疲弊してた川村。


一旦、野球をするモチベーションすら失う。




なんと、大ニート将軍(19)が完成した。




上京してから2ヶ月間、バイトもせずニートとして過ごす。



家でお絵描きをしたり、たまに料理を作ったり、メルカリで日銭を稼いだりして毎日を過ごしていた。


今日のヘッダーはその時に書いた絵だ。
我ながら上手い。

※当時の写真。魂が抜けてることが分かる。



その間、親には特に何も言われた記憶がない。



きっと心配はされてたに違いない。




さすがにニート生活はやばいと思い、この頃からバイトをし始める。




いわゆるフリーターというやつ。




某超大手の宅配業者の集配補助のバイトである。
派遣会社に登録した時に担当のおっさんに



「○○男子!やってみるか!」



と押され、二つ返事で了承。
勤務地は原宿。都会すっげぇーー。




店舗やアパレルの本社が多かったが荷物を配達したり集荷したりと、皆さんも使うことが多いかと思うが、あの配達しに来るお兄さん。あれをやっていた。



フリーターとして生活費を稼ぎつつ、多少経済的にも気持ち的にも落ち着いた夏頃からついにジムに通い始めた。




某大手の黄金のジムだ。




実際に黄金に輝いてるかと言われればそういう訳ではないが、高校にあったトレーニング室や大学の寮のトレーニング室に比べると、もう天国かのような情景がそこにはあった。いや、黄金の山だ。




黄金のジムに通い始めてからはまた気持ちが前向きに戻ってきた。




「筋トレが最強のソリューションである」




という本があるが、まさにその通り。
筋トレを始めた事により気持ちにも変化が現れた。



野球がしたい。



という思いが蘇った。死者蘇生。



そこで母親が協力してくれて色々探してたところ、世の中には


「社会人クラブチーム」


というカテゴリーがあることを知った。独立リーグ以上に知らなかった存在。



しかもJR東日本などの企業チームと違って学生や普通の社会人でも入れるというもの。



そうやって調べてるうちに、黄金のジムにもクラブチームがあるとの事だった。



中には企業が持ってるクラブチームというのもある。(沖縄のビッグ開発等)
そのうちの一つだ。



当時、大会成績などを見てると、東京都のクラブチームでは1番強かった。(今はわからない)



どうせ行くなら一番強いチームでやりたいと思っていた上、ちょうどトライアウトも募集していたのですぐに応募した。




週末に練習参加することになった。




川村、大学中退から8ヶ月後。ようやく再始動。

黄金のジムの野球部の練習参加へ。




こんな事言ってます。若いなぁ。。。




自分以外に参加生が2人。




大学中退したホストと確かアメリカかどっかでやってた人だった気がする。




どちらもいい選手だった。




内容はシートノックとシートバッティングのみ。




3打数1安打。まあボチボチだ。




(あれ、でもあいつら俺より打席多くね???)




そして練習が終わる。


特に合否が出る訳ではなく、恐らく数回参加しての結果になるのだと思う。




ただ、あまり興味を示されてるようには感じなかった。




個別で監督等に話しかけられもしなければ、次の日程も曖昧なまま終わったし、特に参加生に説明等もなかった気がする。




それよりも直感的に




「あ〜、、、なんか違う。」




という自分の中での違和感があった。




19歳そのままフェードアウトする。(連絡しろよ)




となれば探すのは次だ。


一番強いチームじゃなければ二番目に強いチームが良い。



と思い、調べてるうちにたどり着いたのが



「TOKYO METS」



というクラブチームだった。



当時の大会成績等を見る限り、黄金のジムの次に強いんだなぁ、ということがわかった。



なによりカッコよかった。




HPやYoutubeに上げられていたチームのPV、ユニフォーム。


極めつけには元ロッテの応援団が作ったという情報。


昔からプロ野球の応援が大好きだった俺からしたら何ともたまらない案件。





ここのトライアウトを受けてみよう。






この決断がこの後の野球人生を大きく動かしたのである。




次回、TOKYO METS編

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