実況パワフル俺 〜普天間高校編3〜
「お前から4番奪ってやるから覚悟しとけ」
そう宣言した川村。
※決してチームメイトと仲悪かったわけじゃありません。むしろ仲良しです。
部長の一言により再燃した川村。
宣言した以上、何をするか。
当時、チーム方針だった、
・相手のエラーを誘うような強いゴロを打ちに行く(=ダウンスイング)
・ツーストライクになったらバスター打法
この2つが特に納得いきませんでした。
それに対し
・メジャーリーガー誰もそんなスイングしてない。
・下からかちあげた方が飛ぶし、ミートしやすい。
・ツーストライクからバスターって作戦はまだしも4番がやったら恥ずかしい。(4番じゃないけど)
以上の理由から、完全無視をすることに決めます。
ただ、そうするとなれば何が必要か
"圧倒的な結果"
そうです。
どこのどのカテゴリーでも
言う事聞かない=干される
と、志々雄真実も言ってる通り。
じゃあ突き抜ける為にどうするか。
10月〜3月の練習試合解禁までの冬トレ期間
1.ティーバッティングをやめて素振りのみにする。
2.ウエイトをしまくる。
3.チームの練習、トレーニングは全力でやる。手は絶対に抜かない。
この3つを徹底しました。
そして12月。
肘も故障してから14ヶ月経ちますが一向に痛みは引かなかったので、ある決心をします。
肘なんてぶっ壊れてもいいから、ぶん投げる。
そこからセンターに復帰します。
最初は寒さもあり激痛が走りましたが、もし壊れたとしたら「その程度の野球人生だったんだな。」と思うことにしてぶん投げました。
そして外野に復帰してすぐ、テスト休みに入ります。
一応、沖縄県内では進学校と言われる高校なのでテスト前1週間+テスト期間は休みになります。
※ちなみに赤点一教科につき、練習に参加できず奉仕活動3日間(校内や校外の掃除、ネット補修など)
無事、何事もなくテストも終わり、グラウンドに復帰すると、驚くことに14ヶ月間も悩まされてた肘痛が急に失踪したのです。
あんなに仲良かったのに。
肘痛どこへ行っちゃったの〜
俺一人だけを取り残して〜
とは言えども、変わりきった身体は投げる動作を知らず、筋肉も投球動作を知らないことを知ってるというソクラテス状態。
だからと言ってイップスではない。
カットマンには投げれるからそこは割り切ろう。
そう決意します。
そしてフリーバッティングのお時間。
前回の覚醒からさらに覚醒します。
インコース高めに来た球をドンピシャでかちあげると打球はレフトの高さ15m程の高さのネットを軽々越えていきます。
野球を始めた時から全くの無縁だった「飛ばし屋」へとひと冬で変貌を遂げた瞬間でした。
おそらく1週間の休みで身体が休まり、良い感じに神経系が休まったのが良かったのでしょう。
すると同時にこの頃からダッシュの感覚も変わってきます。
(あれ、俺速くね?)
小学生の時以来の感覚。
チームのトレーニングで走り込みが多かった上にジャンプ系のトレーニングやウエイトのおかげもあって脚力も異常に伸びました。
打撃と脚力。
冬が明けるとこの2つが特に飛び抜けます。
そして時は3月
練習試合解禁に当たってのメンバー分け。
(当然Aだろ。)
しかしなんとまたもやBチーム。
正直ショックでした。
秋以上に確実な自信があったからこそ。
しかし今回はその程度では折れません。
Bチームの試合で圧倒してやる。
そう決意します。
そしてBチームとしての他校との練習試合で1番を打つことになるのですが、その決意通りバカスカ打ちます。
するとどうなるか。
必然的にAチームで「使わざるを得ない状態」になります。
そしてAチームでも1番バッターになります。
ここでも打ちまくります。
そしてやっと高校野球生活初のレギュラーの座を獲得します。
しかし背番号は17。ぴえぇ。
そして迎えた春大会。
相手は強豪・糸満高校。
そして俺にとっての高校野球初の公式戦。
プレイボール!!!
次回、普天間高校編ラスト。
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