プリンターのインクカートリッジ交換したら手汚れた 2021年1月21日の日記
・ザ・クロマニヨンズの「スピードとナイフ」の歌詞が深く入り込むときがたまにある。
夏は二人に暑く 冬は二人に寒く
世界はひとつだった きのうまでひとつだった
長い階段の上 長い廊下の先に
並んだふたつの部屋 別々の扉がある
変わらないものなんか 何ひとつないけど
変わるスピードが 違ったんだなあ
心を切るナイフ ためらい知らぬナイフ
ひとふりひと太刀で 別々の傷をつけた
変わらないものなんか 何ひとつないけど
変わるスピードが 違ったんだなあ
スピードとナイフ
スピードとナイフ
・私は、友人と交流しているときに「今の私たちの関係はここ、現在が最も良いところだ」と思ってしまうことがよくある。これに大きな喜びを感じると同時に、この繋がりが綻びていく未来を悲しんでしまう。
・こんなことを思えるほどに好きな友人がいるのは素晴らしく、これがあるだけで私の人生は他人に誇れるものであると間違いなく言えるだろう。しかし、これ以上ないと思ってしまった途端に「ひとりジュブナイル」が幕を開けてしまうのである。自分の中で「スタンド・バイ・ミー」が流れ出してしまうのである。
・「スピードとナイフ」の「夏は二人に暑く 冬は二人に寒く せかいはひとつだった 昨日までひとつだった」という歌詞に、ひどく心打たれる。共通項で心の底から一緒に楽しんだ友人が、生活環境や、勉強、摂取するコンテンツ、物理的な距離、色々な要因で少しずつそれぞれ違っていくのを私は知っている。変わろうと思って変わるのではなく、変わりたくないと思っても、変わってしまうのを知ってる。それがどうしようもないことであるのに気づくのは、お互いの影が全く交わらなくなってからである。まさに「変わらないものなんか何ひとつないけど 変わるスピードが違ったんだなあ」このフレーズに尽きる。私たちは常に同じものを違うように見ているのが常である。でも、惑星直列みたいに、奇跡のようにピッタリ合わさるときが稀にあるのだ。この時、私は至高の友情を感じてしまう。奇跡の出会いを果たしたと思ってしまう。そして、永遠であると思い込んでしまう。同化したと喜んでしまう。全部一瞬の出来事でしかないのだけれど。
・友人に親しみと喜びと悲しみを交えながら接することでしか、私はこれからの交友関係を歩んでいけないのでしょうか。それほどまでに友人を失うことが怖いのでしょうか。だとしたら、なぜ失う可能性や薄れゆく可能性にばかり目がいってしまうのかの理由がわかるかもしれない。これは強い執着の現れか。
・もしかしたら、開かれているはずの私の未来を、自らの手で閉じて行っている最中なのかもしれない。青春を終わらせているのかもしれない。まだ、この言いようのない不安を払う術を知らないので、青春という便利な言葉の中に居させてください。
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