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雨があがる

三が日が明けた一月四日、大阪の外は雨だった。彼は物憂げな表情で窓から空を眺めている。その眉間には“今日くらい休んでしまいたい”って書いてあって、彼が発する曇天色した空気がジワジワと私を侵食するのを遮るように、ふぅ、とひとつ息をする。暦通りの仕事を自分で選んだのはあなたなんだよ、出かかった言葉はひとまず飲み込む。

さて、今日の雨っていつまで降るのだろう。

彼の眉間にあどけなさすら感じていたあの一月四日はよく晴れていて、面倒くさいって顔中に書いてある彼に「休めばいいじゃん」と声をかけてあげたらパッと表情が晴れて、初詣に行こう!などという。私はそのシンプルな彼の頭のつくりが時折羨ましくなるし、少し不安にもなる。今が今のまま続くと思いたいけど、私はそうじゃない。


あのね、今ってのはね、立ち止まってくれないんだよ。


悲願だった転職を機に東京へ移り住んで三ヶ月と少し。日常は目まぐるしく回転していて、ここ最近は自分がちゃんと呼吸をしているかどうかすら忘れてしまいそうになる。研修の余韻もそこそこに現場に投入されて日々は正に戦場のようだ。それでも目の前にある全てを吸収したいと私は強く思う。飛び込んだ世界だからだろうか、生きてる実感が湧く。


先週、彼が始めて上京してきて会ってみたのだけれど、実はちゃんと目を合わせることが出来なかった。目を合わせると引き戻されてしまうからだ。心地良さともどかしさが共存するあの日々に私は引力すら感じてしまうのだけれど、従属的に思えてしまう日常は私のものじゃない気がしている。


深く話し合えないまま追い返すように別れた彼の背中はあえて見ないようにした。引力に身を委ねてみたらどうなるのかを私は私でない私に聞いてみたいけど、ここで一人前にやって行けるようになれば何処にいてもきっと私は私でいられる。人生ってやつは次から次と選択を求めてくる一方で時間を容赦なく奪っていく。かつて優しかった神さまは少し意地悪をしてるんじゃないかと勘繰ってしまう…。この当て所もない逡巡を断ち切るがための転職だったのに……。

あぁこんな自分がホント嫌になる。

あと三年。期限を切ろう。
それまで目一杯足掻いてやる。


雨が小降りになった気がする一月四日。
窓の外を眺める彼の背中をみてると言いたいことは山ほどあるし、反応だって手に取るように分かる。実直で粘り強いと評される彼の単純さは“変わらない”という点において私の心を安定させることを私は知っている。さっき飲み込んだ言葉の代わりに私は優しさを引っ張り出してきて彼の背中に声をかける。

「休めばいいじゃん、今日なんて暇なんでしょ。でもね、今日は雨だからね。出かけないよ。」

案の定いい歳をした彼の顔がパッと晴れる。大丈夫。雨はもうすぐあがるよ。

そう。この雨もあがるんだね。



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前回、『スカシウマradio』への初お便りで書いた『はじまりの雨』の続編というより逆側の視点に挑戦しています。やまちさんが「最初はなんだこれ?と思った」が印象的で、解いてやろうって気で読み込まないと全く伝わらないのだな、と勉強になりました。

でも、今回はもっと分かりにくくて、前回、やまちさんがかなりの深掘りをされた形に敢えて添わない物語です。

いつも聴いてるPodcast番組
『over the sun』
『ゆとりっ娘たちのたわごと』

最近観た映画
『最後の決闘裁判』
この映画を観てから読んでみた
芥川龍之介『藪の中』

好きな小説
角田光代『おまえじゃなきゃだめなんだ』
奥田英朗『ガール』

などなど、好んで見聞きするコンテンツの影響を受けている気がします。