「まとまらない言葉を生きる」

読書感想文
「まとまらない言葉を生きる」 荒井裕樹

「言葉」というものは難しいもので、自分も日々怯えながら恐る恐る使ってるけど、言葉が難しい本当の理由、

それは、
個人の生い立ち、環境、好意、偏見、時代背景が含まれるから。

津波のように押し寄せて、引くことなく、全てを飲み込んでいく

発した言葉は元には戻らない

この本を読んで
言葉の使い方のヒントを少し書き留める

第九話 「ムード」に消される声

制度を利用する権利、それを邪魔するムード
育休や産休、そして有休もそうね
ここでは広い範囲から女性の立場にフォーカスしてる

「女性たちの声」を忘れてはいけない

権利を主張する声としては間違ってないけど、これはムードを誘発してしまっている気がする。
過度な意識が向いてしまう。悪目立ちする。

小学校の教室で、良い子たちが「静かにしようよ!」って声を上げすぎて逆にうるさい、みたいな
みんなもう喋ってないのに。
ちょっと違うか笑
話は外れるけど、これチョコプラのコントでもあって面白かった。

ムードや差別を無くすのは大切
こうやって本にして発信してくれるのはとてもありがたい。
そういう人がいるから、事実を認識できるのだけど、受けっとった

僕はそういった事実を認識して当たり前に意識に含て行動しようと思う。
遠慮をしない、当たり前に接する、声に出さずに行動に出す。

それが、「バトン」を受け取った側のありたい姿であると思う。

第一〇話  「一線を守る言葉」

「権利」「人権」を尊重するということは、チヤホヤするとかヨイショすることではない

確かにな
こういう声を上げざるをえないのは権利、人権の不尊重によって不利益を被っている側だ。
そういう人たちは常に自分の置かれた立場に抗って、闘って、守ろうとしている。
良くしようといている。

最近、権利や人権に甘んじている輩が多くないか?
生活保護で甘い蜜を吸ったり、制度の穴を掻い潜って利益を得たり。
影響力を持つ層が権力を振るうことも

道徳が足りてない。
間違っていることを指摘されて受け入れる器がない。
こういう奴らがいるから

ミケーレデルッキ 建築で知性は育める

世界はいい方向に向かう。
たまに間違っても少しずついい方向に向かっている。

第一ニ話 「生きた心地」が削られる

「刻まれたおでんは、おでんじゃない」

「仕方がない」が切り捨てるもの
やってもらってるから自分の欲求を押し付けずに我慢する。諦める。わがままを言わない。
傲慢はいけないが、本来持っている権利を失わないためにも正しくわがままであるべきだ

第一五話 「評価されようと思うなよ」

人は自分の想像力範囲内のものしか評価できない

自分の思いを分かりやすく伝えようとすると、どうしても相手の立場や理解力を推測って言葉を選ぶことになる。

その時点で対等ではないし、伝えたいことの本質も伝わらない

内容はわからんけど、熱量を持って語る人が好き
以前読んだFさんの「20代で得た知見」に

難しいことを難しいままに語ってくれる人 
という話がありこれを思い出した
ぜひ読んでみてほしい

第一七話 言葉が「文学」になるとき

難病ALSと安楽死について

無意味、無駄な生命という表現について、
国家、地域、近しい人に対して有益な生産性(労働力や子孫など)を産まない人に対する差別を多く取り上げてきた

この行き着く先が安楽死や尊厳死になるんだろう

安楽死について考えるにはこのテーマは大き過ぎて完全にキャパオーバーだけど、もし自分の大切な人が人工機器がないと命を繋げない状態になったとしても生きていて欲しいと思う
誰かの存在が他の誰かに生きる原動力を与えることもあるし

死だけが不可逆であり、生きて肌に温もりが残るあいだは大切な人はまだそこにいるのだから


人は自分を守るために時に攻撃的になることがある
差別に限らず相手を否定することで自分を肯定し、自分の世界を守ろうとする
自分が「こうありたい」と努力することはいいけど、「こうあらねばならぬ」さらには周りもそうであるべきとならないように気をつけたい。


あとがき

そうだなと感じた一文
この社会は「安易的な要約主義」の道を突っ走っている
とにかく速く、短く、わかりやすく

言葉には常に不器用でいいと思う。
ゆっくりで、長くて、わかりにくくていいと思う。
それをゆっくり読み解くのは一つの人生の醍醐味だと思うから。

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