改刷前に知りたい!新1万円札の肖像画人物「渋沢栄一」について

2024年7月3日に、20年ぶりに日本の紙幣3種(1万円、5千円、千円)が改刷される予定です。
デザインが変わるだけでなく、紙幣に描かれる肖像画の人物が以下のように変更となります。
・1万円札:福沢諭吉→渋沢栄一
・5千円札:樋口一葉→津田梅子
・千円札:野口英世→北里柴三郎

 (参考:国立印刷局 新しい日本銀行券特設サイト)
https://www.npb.go.jp/ja/n_banknote/index.html
 
今後、この紙幣を目にすることが多くなると思います。その前に、そこに描かれている人物がどんな人なのか、どんな功績を残したのか、これを機に知ってみたいと思いませんか?
 
その中でも、これまでは「1万円札と言えば福沢諭吉」という感覚を持つ人が多いと思われる中での変更となるため、特に気になるものです。
そこで、今回は新1万円札に描かれている「渋沢栄一」に関する功績や人物像についてまとめていきます。

「1万円札と言えば福沢諭吉」という常識が変わる

先述の通り、「1万円札と言えば福沢諭吉」という感覚を持つ人が多いと私は考えています。
その背景として、前回2004年の改刷では以下のように肖像画の人物が変更されています。
 
・1万円札:福沢諭吉→福沢諭吉
・5千円札:新渡戸稲造→樋口一葉
・千円札:夏目漱石→野口英世
 
この通り、前回の改刷では1万円札の肖像画の人物は変更されていないため、これまで40年間は福沢諭吉の肖像画で1万円札が流通していました。

 そのため、前々回の改刷(1984年:聖徳太子→福沢諭吉)を知らない40代までの世代の人からすると、1万円札の肖像画が福沢諭吉ではないということが新鮮に感じることとなるかもしれません。
わたしも、1万円札のことを「諭吉」と表現することも多々ありました(笑)

渋沢栄一とはどんな人物だったのか?

「近代日本経済の父」と称される渋沢栄一は、天保11(1840)年、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の深谷市血洗島)の農家に生まれました。
銀行を拠点に企業の創設・育成に力を入れて生涯に約500もの企業に関わり、約600の社会公共事業・教育機関の支援や民間外交に尽力した人物です

渋沢栄一は天保11年2月13日(西暦:1840年3月16日)、現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれました。
 家業の畑作、藍玉の製造・販売、養蚕を手伝う一方、幼い頃から父に学問の手解きを受け、従兄弟の尾高惇忠から本格的に「論語」などを学びます。
 「尊王攘夷」思想の影響を受けた栄一や従兄たちは、高崎城乗っ取りの計画を立てましたが中止し、京都へ向かいます。
 郷里を離れた栄一は一橋慶喜に仕えることになり、一橋家の家政の改善などに実力を発揮し、次第に認められていきます。
 栄一は27歳の時、15代将軍となった徳川慶喜の実弟・後の水戸藩主、徳川昭武に随行しパリの万国博覧会を見学するほか欧州諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情に広く通ずることができました。
 明治維新となり欧州から帰国した栄一は、「商法会所」を静岡に設立、その後明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わります。
 1873(明治6)年に大蔵省を辞した後、栄一は一民間経済人として活動しました。そのスタートは「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)でした。
 栄一は第一国立銀行を拠点に、株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、また、「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に約500もの企業に関わったといわれています。
 栄一は、約600の教育機関・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力し、多くの人々に惜しまれながら1931(昭和6)年11月11日、91歳の生涯を閉じました。

(参考:公益財団法人 渋沢栄一記念財団)
https://www.shibusawa.or.jp/eiichi/eiichi.html

新1万円札の肖像画に選ばれた背景

近年の改刷では、
(1)偽造防止の観点から、なるべく精密な写真を入手できること
(2)肖像彫刻の観点からみて、品格のある紙幣にふさわしい肖像であること
(3)肖像の人物が国民各層に広く知られており、その業績が広く認められていること
といった観点を踏まえて、明治以降の人物から採用されているそうです。
 
(参考:財務省HP よくあるご質問)
https://www.mof.go.jp/faq/currency/07an.htm#:~:text=%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89%E5%81%BD%E9%80%A0%E9%98%B2%E6%AD%A2%E3%81%AE%E8%A6%B3%E7%82%B9,%E3%81%8B%E3%82%89%E6%8E%A1%E7%94%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
 
生涯に約500もの企業の設立などに関わったと言われ、約600の教育機関・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力した功績から選出されています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?