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ツインレイという言葉による制限

ツインレイという言葉について

最近、いや、もっと前から、ものすごい違和感を覚えるこの言葉

既に、幸せな暮らしを共にしているという喜ばしい現実を迎えている方々もいらっしゃるでしょう。

ですが、この言葉がもたらす分離もあるのではないかと思うのですよね。

世間一般に出回っているこの言葉に関する概念によって作り出されてしまっている執着などからくる分離も、これらの概念がなければ、これまで通りの出会いと別れの感覚でとらえられていたかもしれませんね。

エネルギーの感覚などからくるものもあるとは思いますが、
「ツインレイなんだから、○○するべき」
であったり
「ツインレイなのだから、待っていなければいけない」
とか
「ツインレイなんだから、起業しなきゃいけない、スピリチュアル的な使命を遂行しなきゃいけない」
・・・などなど。

いろんな「○○でなければならない」ということから生まれる外側に向けた意識による分離。

そこを手放してしまうことによる不安からくる分離。

自分の人生を動けなくしてしまう要因になってしまうかもしれない眠りへの導き。

その言葉から解放されることにより、本当に自分が進みたい方向へ歩みだしたら開かれてくる道へのシフトチェンジがあるとしたら?

いつまでも、その言葉に拘って動けないのは、もったいないですよね。

ですが、そこに留まるのも留まらないで進むのも自分の選択であり、どの周波数で生きるか…なんだと思います。

結局は、自分が進みたい方向へ行けるように宇宙がその経験をさせてくれるのではありますが。

これまでの、そのような「足止め」されてしまうようなものに振り回されず、今世でやりたいことを出来るだけ体験してしまった方が来世に持ち越ししなくて済むのではないか?とそんなことを考える私です。

サイレントがあるのは、ツインレイだから。。。と思ってて、本当は違ったら?
その人がツインレイだからとか、一旦手放せたら、そこにルールは存在せず、自由なんだと思えたなら?
見えてくる景色が違ったものになるのではないか?と思います。
それも、手放したくなければ手放さなくてもいいのですが、苦しくなるような氣がするのです。

そのお相手の魂はツインレイという言葉ではないかもしれません。

いづれにしても、同じ源からいろんな体験をしたくて生まれてきた魂なんでしょう。

その人とどんなお約束をしてきたのかは忘れているのだと思いますし、ただ、拘りつくしたなら手放して先に進んでみると新しい道が見えてくるように感じます。

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