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【書く習慣】#2 年齢は意味ある数字なのか

先日、誕生日を迎えてひとつ歳を重ねた。
1年に1回歳を取るのは当たり前のことで、誰にでも平等に訪れること。
*ここでは、閏年は4年に1度というのは深く追求しないことにしますね。

日本では、アラサーに差し掛かってくるくらいからだろうか、どうもネガティブな印象というか、歳を取ることを嫌がる人が増える気がする。
「もう誕生日なんか嬉しくないよ〜」
「おばさん(おじさん)だからさ」
「若くないし」
………なんて言葉が飛び交っているような。

本気で言っている人と、謙遜を込めて言っている人が混在すると思うので、本気で誕生日を迎えたくないと思っている人ばかりではないでしょうけど……
言霊って言うのでね。

まだ学生が終わってすぐの新卒の私は、頭では「素敵に歳を重ねたい」と思う一方で、「素敵な大人ってどんな大人かよく分からない」と何ともスッキリしない感情を抱いていた気がする。

どこかで25歳、30歳、35歳……と自分のおばさんへのカウントダウンみたいな感情があったのかもしれない。
今思うと、この時の私にとって、年齢はただの数字ではなく、少々ネガティブな気持ちがつきまとう、何かを制限する数字だった。

新卒で就職した会社をそこそこで辞めて、ワーキングホリデーを活用してオーストラリアへ飛んだ。
文字通り、いろいろな人との出会いがあって、国もバックグラウンドも年齢もバラバラの人たちと一緒に勉強して、旅行して、仕事して……
初めて「年齢を聞かれない世界」に行った。
履歴書にも年齢は書かない。
*ただし、私が働いた環境はオーナーの意向で社会人経験が必要だったので、面接の時に経験は聞かれたけど。

普段一緒に過ごしていた友達の年齢をひょんなことから知ることになるのは随分先のこと。
友達になるのにも、一緒に過ごすのにも、年齢という数字の情報は誰も求めていないし、聞いてこない。

アジアの一部の国や地域では、文化的に年齢は切っても切れない関係があるとも言われている。
日本を例に考えると、年功序列の社会環境、歳上への敬語などがその例の一つで、比較的早い段階で相手の年齢をそれとなく聞く場合がある。
流石に直接は失礼になるけど、干支や学生時代の思い出話からさりげなく「もしかして、年齢近いのでは?」なんてやんわり聞いたことがある人はいるんじゃないかと思う。
お近くの韓国は日本以上に年齢の上下関係が厳しいと聞く。
年齢を聞くことは失礼ではなく、聞かずして対応を誤る方が失礼にあたるということで最初にズバッと聞くのも失礼にはならないんだとか。

そんなアジア人同士での出会いでも、オーストラリアでは年齢の話になったことはなかった。
もちろん、0か100か、白か黒か、という話ではないので、「私はしたことある」「けっこう聞かれるけど」という人もいるかもしれない。
単純に「私の経験ではそうだった」と一つの経験談として流してもらって一向に構わない。

その後に行った台湾では、年齢を聞かれることは確かにあった。
でも、多くはなかったし、「もう〇〇歳だから(ネガティブ)」という話ではなく、「え、数字でしょう?何気にしているの?」という人に多く出会った。
台湾では年齢や話題によって年齢の捉え方が違う気がした。
例えば、年配の方と年齢の話をすると大抵そのまま結婚や子供の話につながる。
そうなると、「もう〇〇歳なら、結婚は?」「子供は欲しくないの?」という具合に話が展開する。
これは年齢がただの数字ではない考え方。
反対に、自分と同い年くらいの人と話すと「まだ若いのに、何を迷っているの!?」と喝を入れられるような、年齢を理由にしないメッセージを感じた。

20代の頃の私は、なんだかんだ言いつつ年齢をいう数字を気にしていたような気がする。
「もう25歳だからちゃんとしなきゃ」
「もう20代終わっちゃうからこのままじゃいけない」
「どうしよう、30代になったら転職はできない(かなり厳しい)かもしれない」
この辺は多くの人が通ってきた道じゃないかと思う。
例に漏れず、私もこの感情を通ってきた。

まあ、だからと言って何か変わったわけではない。
何かを変えるときは年齢を理由に決めるわけではないし、数字に固執しているわけでもない。

ただ、年齢を全く気にしていないのかというと、そうではない。
やはり若いに越したことはないと思うこともある。
海外での就職の場合は、国によってビザ申請に年齢制限があるので、これは数字と適当に流すことはできないし。
でも、戻りたい、あのときはよかった、と無駄な回想をすることは無くなったように感じる。
年齢という数字で何かを諦めたり、後ろ向きに考え方を変えたりすることに意味がないから。

アラサーになると、周りの環境も大きく変わっていく。
自分はどんなに変わっていないと思い込んでいても、周りがすごいスピードで変化しているわけで。
自分だけが一切何の変化もないということは多分ない。

結婚する友人が増え、子どもが生まれる友人だっている。
あっという間に離婚する人もいたり、マイホームを購入する人もいる。
これらは、今までの私は経験していないことばかり。
でも、その影響で友達との付き合い方や遊び方に変化が生まれたし、自分の考え方だってきっと変わった。
良くも悪くも。
だからきっと、私も立ち止まっていないで、同じではない道を進んでいるのだと思う。

最近、転職を考える感情の波が来ているので、また「今の年齢での転職(未経験)はきついかも」と頭をよぎる。
でも、何歳でも転職している人はいるし、年齢を理由に断られるのだとしたら、本当は他に足りない何かがあったんだと思う。
その理由を年齢に託したのでは。
採用はしたことないから、そんなに簡単な話じゃないかもしれないけど。

少なくとも自分では、年齢を言い訳にしなくていいようにいろいろな方向に種を撒きたい。
いつか、思わぬ形で花開く時が来るかもしれないから。

今はいくつか思い浮かぶ「すてきな大人」に向かって、丁寧に歳を重ねたいと思うと同時に「やっぱり数字でしかないやん」と笑い飛ばしたい。
そして、いつか誰かの「すてきな大人」になれたら最高だなと思う。

今日が一番若い。

今が一番いい、最高だって。

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