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【書く習慣】#10 求めているときには見つからない

よくある話だと思うのだが、求めているときに限って見つからない。
別に求めていないときはそこにあったり、簡単に見つかったりするのに。

今日はずっと狙っていたお店に行ってきた。
ドーナツのお店。
私が近くに行くとき定休日で全然行けなかったけど、最近定休日を変更したらしくやっとお邪魔できた。

念願かなって行けたもんだから、お店で少しチルして美味しいお茶もいただこう♡なんて考えていたものの、ここにも憎きコロナの影響が。
コロナの影響でテイクアウトのみだそう。
とっても素敵なお店だったから残念だけど、こればっかりは仕方がない。
2つくらい食べちゃおうかと思ってたけど、冷静にひとつ選んでお持ち帰りに。

どこか行きすがらの公園で食べればいいか。

そう思っていたのに……
あれ?いい感じの公園が見つからない。
ん?私の今日の行動範囲、こんなに公園なかったっけ?
大きくなくてもいい。他の人の邪魔にならず、迷惑にならず、ドーナツが頬張れればそれだけでいい。

なのに、今日に限って公園の近くを通らない。
わざわざGoogleMapsで検索して、経路を合わせないと公園に行けない。

結局、公園はあきらめて、職場に戻ってから食べることにした。
買ったときはまだ温かくてほかほかのドーナツが楽しめるはずだったのにすっかり冷めてしまった。
それでもすごく美味しかったのだけれど。

こういうことないですか?

私は、今日の公園だけじゃなくて、本屋もよくある。
ちょっと気になる本があるとき、一か八かでポチッとしないで本屋で見てみたい。
できることなら本屋で買いたい。
本屋さんがなくなったら寂しいから。

なのに、いつもはダラダラ本屋にいたりするくせに「今日は〇〇買う!」というときに限って、小さい本屋しかなくて置いていなかったりする。

Wi-Fiが自由に使えるカフェとかも。
普段スマホがしっかり使えるときは、いい感じにカフェにたどり着くのに「今、スマホ微妙!」というときに限って、なぜかフリーWi-Fiではないカフェにたどり着く。

「不便を楽しめ」ってこと?

もちろん、普段行きついているのだって、検索して狙いを定めて行っているわけではない。

でも、そういうの嫌いじゃない。

今日のドーナツは温かいうちに食べたかったけど、行き当たりばったりな感じは割と好き。
楽しめるタイプ。

ただ引きが悪いのか「〜に限って」ってやつ。

そういえば、留学先でどうしても部屋の鍵が見つからなくなったことが一回だけあった。
鍵の取り替えは結構な金額がかかるから、貧乏留学生にとっては痛い出費なんてもんじゃない。

もちろん血相変えて探す探す探す……
部屋をひっくり返す勢いで探した。
でも、見つからない。
いよいよ猶予の時間が切れて支払いか。と諦めたときに出てきた。

もう誰かが隠していたのをポット出したくらいな感じで。
何度も見たところから。
小人のせいだよね?と言いたくなるけど、多分私のせいなんだろう。
ギリギリに発見したことで追加料金はなく事なきを得たがヒヤヒヤした。

あれは一体なんだったんだろう。
公園が見つからないこととは関係ないが、歩きながらそんなことを考えた。

物質的なものではないが、人の考えでも似たようなことは起きる。

今後の人生どうしたものか、仕事どうしようかなど悩みは尽きないけど、コン詰めて悩んでいるときは大抵答えは出ない。
答えのかけらも見つからない。

でも「もう、どうにでもなれ〜」と離れると解決策や新たな視点が生まれる。
物も、頭の中も追い込んではいけないってことかしら。

何事もリラックスして、どうにでもなれ精神で余裕を持てばうまくいく?
でも、これが!
そういうことかと気を抜きまくったら、見放されるんでしょうね笑

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