うちゅうからきた、たべさせたいマン

さいきん、チビスケのお部屋の窓のところに
「おやつをあげないでね、ちびはいっぱいたべました」
と書いたホワイトボードを
ときどき置いておくようにしました

というのも
じぶんがいないときや見てない隙に
チビスケに勝手におやつをあげてしまう人が
あらわれたからです

いままでは
多少のにんじんを配っている人から、ほんのちょっと
あるいは飼料屋さんが車に積んでいる
おいしい乾草の残りとかを、おあじみ程度に
ちょこっと、もらっているだけだったので
チビスケがお行儀よくもらっているのであれば
(手をかんだり、前がきしたりしなければ)
禁止するほどじゃない
むしろ、にんげんとお馬のおつきあいを学ぶのに
ひつようなことだと思って
特にそういった貼り紙はしてこなかったのですが
定期的にやってきては
お馬たちが、ぶーぶーと騒いで
手に持っているものをちょうだい!というのが
たのしいというタイプの
「たべさせたいマン」が現れてしまったからです

「たべさせたいマン」はとっても要注意です
びょうきがあって、食べさせてはいけないお馬にも
目が合ったから、と、にんじんをやり
注意されたら、ちゃんとしたものだから
そこのスーパーで買ってきて、ちゃんと洗ったからと
よくわからないことをいうのを見たことがあります

あるいは、朝早く、チビスケのお部屋にきたら
馬房のまえに、あげた覚えのないオヤツのかけらが
落ちていることもありました

どうも「たべさせたいマン」には
じぶんの馬じゃない、
よそのお馬に勝手におやつをあげたら
いけない、ということが、理解できないようなのです

かなりきつい言い方で
勝手におやつあげるの、やめてもらえませんか、
ということを言うと
このひと、ちょうかんじわるい、みたいなことを
言ってきたりします
うん、かんじわるい、そのにんじんさんを
勝手にあげてるのは、ちょうかんじわるい、
そう思っているんだけど、つたわらないのかなあ…
このひと、うちゅうからきたのかなあ…

以前、難しい国家試験を受ける前に
とってもストレスが溜まってしまって
近所でヤギさんやブタさんがいるところに行って
フェンス越しに
むしゃむしゃと食べている様子をみると
すっきりして、また勉強できるようになったので
受験が終わるまで、毎日そこを見に行っていた
というひとから話を聞いたことがあります
動物たちが、無心で、
食べ物を食べているすがたをみると
見ているひとは、こころがすっきりするとか
やすらぐ、というのは、Twitterの動画でも
しきりと言われていることなので
なにかそういう仕組みがにんげんの中にあるのかな、と
思ったりします

でも、ちゃんと、栄養をけいさんしてもらっている
ごはん以外に、おやつをあげていいのは
お馬のオーナーのひとか
管理をまかされているひと
あるいは、オーナーのひとか、
管理をまかされているひとに
ちゃんと許可をもらって、あげるひと
だけ、勝手におやつをあげるのは
ぜったいにぜったいに、ダメ、なのです

まして、ぶーぶーと鳴いて騒いでるお馬たちをみて
自分がきたから、よろこんで鳴いてるんだと思ったり
こんなに欲しがってるんだから、あげないとかわいそう
と考えるのは、ちがいますよ、と言いたいのです

お馬たちが
日常的にもらえるおやつは
毎日のお世話の中で、にんげんが、
お馬にたいしてやる必要なこと
(たとえば、検温するとか、裏掘りや、ブラッシング)
のあとに、
かならず、ちょこっと、
ほんのひとかけら、ごほうびとしてあげます
お馬たちは、ごほうびをもらえることを予測して
いいこにしてくれます
これは、とっても大事な訓練のひとつです
(さいきんでは、動物園のどうぶつたちも、
この、日常的にもらえるおやつを利用した
トレーニングで
検温や採血に、自主的に協力して、すとれすなく
健康管理ができるようにしているそうです)

特別なおやつは
いっぱい運動したり
治療や、装蹄のときに
ちゃんといいこで、言うことを聞いたあとに
たくさんほめてもらってから、もらえる
とくべつなごほうび、です

こうやって、にんげんは
お馬たちの体の大きさと比べると
信じられないくらい、ちいさな、にんじん
ほんのちょこっとの、りんご、
2つぶの黒砂糖、なんかで
いうことを聞かせちゃうのです

だから、ぶーぶーと鳴いて騒いでる状態で
お馬たちが、ねだるままに、
おやつをあげてしまうと、こういう
いうことを聞くトレーニングの一環としてのおやつ
という仕組みが、あっけなく崩れてしまいます
何かしなくてもおやつがもらえるなら、
お馬たちだって、騒いでみようと思うのです

(こういうことをいうと、おやつをあげないでも
お馬にいうことを聞かせられる
じまんを始めるひとがいますが
ちゃんとしたおきゅうりょう払わないで
働いてくれる従業員さんを
じまんするぶらっく企業のえらいひとみたいにみえるので
きゃっか、です)

なんで、「たべさせたいマン」が
発生しちゃうのか、ということは、
じぶんにはよくわかりません
いろいろ考えても、すとれすとか、
抱えているこころのもんだい
なんじゃないかなあ、と思ったり
動物とのふれあい、というと
すぐに、えさやり体験、とかになってしまって
食べさせることが、
動物との、ふれあい、かかわり方の
基本になってしまっているからかなあ?
と思ったりします
お馬たちが、おやつがほしくて
ぶーぶーといっせいに鳴いて騒ぎ始めるのを聞くと
ちょっとした王様きぶん?になっちゃうのかもしれないし
なんだろうなあ…

にんげんと、動物の、いちばんのちがい、
について、
むかし、とっても、びっくりするような見かたを
話してくれたひとがいます
そのひとは、長期入院したときに
「食べたいときに食べ物を食べられるかどうか」
が、にんげんと、動物との
いちばんのちがい、だと思っていたけど
入院してみて、
食べたいときに食べ物を食べられないのは
やっぱり、とんでもないすとれすだった、というのです

食べたいときにいつでも食べちゃったら
むしろ、それは節制ができないから
にんげんとしては、ちょっと、お医者さんに
おこられちゃうんじゃないかなあ、と
そのときは、思ったのですが
もしかして「たべさせたいマン」は
お馬たちが、食べたいときにいつでも食べられないと
すとれすになっちゃうとか、思ったりしてるのかな?
それだとしたら、
ひまつぶし用の乾草とか
いつでも舐められる岩塩とかあるし
お馬は1日4食だから
だいじょうぶです、と言いたいです

おいしいおやつを食べて
お馬も、にんげんも、にこにこさんでいたいから
ちゃんとおやつるーるを守ってほしいな

さいごに…
これはじぶんの考えなのですが
いままで、チビスケにちょっとしたおやつを
あげてくださった方については
ほんとうにありがとうございます、と、
この場でもうしわけないのですが、おれいを言いたいです
ちょこっと、にんじんさんをくださったり
残った乾草をいただいて、
チビスケは、とっても、うれしかったし
社交的なお馬にそだったのも
そういう方たちのおかげとおもいます
これからも、きにせずあげていただけたらうれしいです

でも…
じぶんから、直接注意されたことのある
「たべさせたいマン」はおことわりです
そのにんじんさん、もったいない
っていうなら、いま、ここで、ぜんぶ
自分でたべてくださいね、って、いいますからね

ぶちこ。

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