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「僕らはいきものだから」Nコン中学校の部課題曲を考える
緑黄色社会の長屋晴子さんが作った曲はいきものの根源に関わるものだった。守られていた人間の成長を歌うだけではなく、生き物が成長していく姿までも俯瞰している気がする。曲の始まりと終わりでは、主人公の視点が大きく変わる。
このままがいい → 変わってゆこう 心も身体も
今は手を振りたくはない → 手を振ろう
歌うのが中学生としたら、親に守られていた自分が自我に目覚め、新しいことに恐れず挑戦していく姿が描かれている。その姿にエールを送っている構造だ。
変わりゆく僕らが美しいのです
息をする僕らが愛おしいのです
希望に満ちあふれた羽ばたきを、ときにはつまずきもあるよと励ましながら、応援している。本人も周りの人たちも、改めていきものとしての宿命を感じている。
この曲を聴くと思い出すことがある。旧約聖書の創世記アダムとイブ(エバ)の物語だ。私は聖書の世界に生きていないので、見当違いのことを言うが不満に思わせたら許してほしい。
神に保護されていたふたりは、禁断の木の実を食べる。
「美味しそうなものは食べてしまおう」と。
原罪を背負った人間は、守られていた楽園から離れることになる。待ち受けていた苦難は、「渋くても消えない 紛れもない 経験たち」となる。彼らは、困難に満ちた旅を悲しむこともあるが、前を歩くしかない。打ちひしがれるだけではなく、自らが変わっていくことで世界に順応していく。エデンの園にはもう戻れないからこそ、少しでも良いことを見つけて前へ進むのではないだろうか。
美しい、愛おしいと賛美することばかりではない。
しかし、ようやく旅立つ若者に苦難の中にも救いがあることを示唆しているように思える。
そうでなければ、終末に向かうだけのいきものはつまらない。批判を覚悟でそう思うのである。
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