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仕事とは何か

先日の保育園訪問。
朝9時に保育園に着くと、すべての子供たちが仕事をしていた。手にホウキを持つ子、雑巾を持つ子、花に水をやる子、廊下を拭いている子。

側に指導する先生はいない。
わからないことがあれば隣の友達が教えてくれる。
「ミニボウキがない」しかし困らない。頭の部分しかない大ホウキをミニホウキ代わりにして使っていた。

朝の清掃時間が終わり、すべての子供たちが園内に戻ってくる。
「あら?水あげたかしら」とつぶやく先生に、
2階まで上がって来ていた男の子が「あ!忘れてた!」.と走って外に向かう。なんてことだ!!

仕事とはなんだろう
そう子供達を見ていて感動した。
仕事はこの子達にとって既に「楽しみ」となっていた。
先生に「はい」ではなく「あ!忘れていた」と答えるほど、自分の一部と化していた。

「役割の獲得」には
外的期待と内的期待が必要だ。
▶︎外的期待:他者からの評価。褒められたり、任命されたりカタチは色々だが、外部からの評価全般。
▶︎内的評価:自分がしたことを自分で実感し良し!とすること。

外的期待と内的評価のサンドイッチで、社会の中の自分の位置付けを作る。自分はこの社会の中でいいぞ!と定着するのだ。

どちらも大切だけど、外的期待は言わば他力次第なところもあり、そこばかりに頼ると
「僕をもっと見て!見て!」
「なんでこうなるんだ💢どうして君はこうしてくれないんだ!」
「一番じゃなきゃ嫌!」
「私ばかり…可哀想な私」
となる傾向にある。

その反面内的期待は。
生活の中で、自分が満足すればそれで良し!と自己肯定感を自分で構築していくことができるのだ。

この子達はまさに…。
掃除をしてる最中誰の目線も気にしていない。
保育園ではよくある洋服自慢も誰もしてこなかった。(みて!鬼滅の刃のTシャツだよ。見て♪わたしのスカート)
内的期待で満たされ、仕事も遊びも自己肯定感を支える作業となっていた。

内的期待はどうしたら育つのだろうか。
自分のしていることを自分で実感し良しとする力。
それには、自分のしていることを実感できてるかが重要だ。もちろん役割活動の大切さの道徳的教えは大切…それと同じぐらい実感できるかは大切なのだ。
◉力の感覚や関節の動きなど運動の感覚
◉高さや傾きなど状況の感覚
それらの育ちを保障しないといけないのだと思う。

この子達に作業の遂行にためらいがない。
何がしたいのか(ideation)
どうしたらできるのか(planning)
実際やっての結果と計画の一致
全てにブレーキがなかった。素晴らしい。

もう一度保育とは何か。
教育とは何かを問いたかった。
コロナで行動を抑制され続けた子供たちはどこに向かうのだろう。最近思う。
センターとしてせねばならんと思う。

今日は梅雨明けのグランド。
息子のサッカーのための草刈り。
1時間草刈りをしてヘトヘトになった頃「さて、もう少し頑張るか」と親の声かけに「イェーイ!」と笑顔で走って草刈りに向かう子供達を見て思う。
特別な環境が作り出すのではない。
自分を自分で良しとする力に大人は目を向けねばならい。

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