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たとえば

              (約1,500字)

もし、誰かの記事をよんで、「面白いな」と
思ったときにスキをつけられないと
結構、ショックです。

ブロックされた自分とそのクリエイターさんとの関係性の問題なんですけどね。

まぁ、大概、私が悪いと思います。
余計なコメントを書くから。

それをブロックしている方が、悪く思わなくていい、と気持ちで許してくれていても。

もし、私がコメントなんかせずにスキを押さず、読むだけだったら誰も傷つくこともなく、そのクリエイターさんに気づかれることもなく、作品を楽しめていた。
ビューを伸ばすだけの存在。
そういう人も多からずいるでしょう。

作品を作る人は、スキをもらって嬉しい。

もし、何を書いても誰もスキをくれなかったら、書き続けられるだろうか。

聞かれない音声がノイズ、読まれない記事は落書き、と書いた方の作品は、直接は読んでいないけれど、それをコメント欄で聞いたときに、ものすごく腹が立って、悲しくて。
言い出した人は多分、スキをたくさんもらう人なんでしょうけど、「心がない発言」だと思いました。

自分が初めてnoteで書き始めたとき、
「誰か読んでくれるだろうか」と思っていました。
みんなそう思うのではないかな。

スキがあまり付いていない作品が文筆業の方だったりすると、不思議ではあるけど、多分、コメント欄でコミュニケーションを取らない人なんだろうと推測します。

お付き合いのスキがnoteには存在します。

その人の発信した内容しか、そのクリエイターさんを知る情報はありません。

何ヶ月か前に、エロい記事を書こうとするクリエイターさんが「ちょっとエロい記事を書いてしまいますけど、許してね」みたいなフリがあって、
(全然、どなたかは覚えていませんが)
結構な期待を持って読んだんです。

そしたら、何にも私にはエロく感じなくて、
そのフリさえなかったら「時間を無駄に使ってしまった」と後悔することもなかった。

もし、そんな記事が有料記事になっていたら、すごく腹が立つでしょう。
エロい記事を書いていいと思いますが、読んだ人がそのジャッジをするものです。

何のフリもなくて、下ネタ要素がないのにエロい記事だと感じたら、そういう作品は
文才がある記事だと分かります。

多分、私たちが読みたいのは、そういう作品なんです。

今日、富士山の写真を撮りに行く道は、ほんとに人に会わなくて、長い上りの坂道で、暑くて日陰がなくて眩暈がしました。

多分、標高が300mくらいの山道で、ここで行き倒れたら、誰にも見つからずに死ぬだろうと思いました。
電動自転車がただの鉄の塊で、重くて、進まないし、日差しが体力を奪うし、山に入る前の幹線道路で買った冷凍のレモンウォーターが
溶けて、10時過ぎには飲めるようになっていました。

気晴らしになるかと「藤井風」さんの曲を何曲か聞きながら進み、いよいよ目眩が酷くなって木陰を見つけて座ったとき、noteを開いて読んだ記事には誰もスキがついていませんでした。

投稿した時間の2分後で、私はそのクリエイターさんにはスキをつけられないけど、すごく面白く読めました。
多分、私が最初の読者だけど、それを知らせることは出来なくて、初めてそういうジレンマが苦しいと実感しました。

だから、やっぱり私は誰もブロックしません。

最期に読みたい記事が私の記事だと思う奇特な人は居ないでしょうけど、そんなことを思わせる文章が書ける人になりたい。

目眩でクラクラしながら、死ぬかなと思いながら、そんなことを暑い山の小道で考えていました。
文章の凄さは、与えるインパクトです。
自分が読んできた言葉をいくつ並べても、こういうのが読みたいんだ、と脳みそが認めたらそれは嬉しい瞬間です。

だから、やっぱりnoteで書いてくれて良かったと思いました。



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