見出し画像

暑くて起きてしまって書いてる

           (約1,000字)


ひとを傷つけない記事なら書いてもいいかと思った

眠れないわけではない

根っからの心配性なのに、
親しくしていた人からは「楽観的だ、いい加減だ、飄々と生きてるように見える」とか‥‥
まるで他人をあまり気に掛けない人物像として認識されることがあるから不思議だ

リアルな人間関係では見えない人物像が、SNSで浮き彫りになることを良しとはしないが、誰からも好かれたいと思うほど自惚れてはいない

スキをくださった方の記事を読んで、さらにフォローしている方の言葉を読んで、コメントしようかとコメント欄に言葉を書きかけて辞めた

必要とされていない人には、余計な言葉を残すまい、と何処か保守的になった自分が書くことを自制した

心配事や不安や同じような経験を繰り返したくない思考が、行動の幅を狭めている

書いて気は済むけれど、それだけで解決する問題でもなく、昨日もやりたい事に手がつけられなかった

楽しかったことに身が入らず、体調は低飛行で、やらなければいけない事すらやらずに真夜中を彷徨っている

昨日、楽しくて笑いあった出来事も、差し入れてもらったお寿司や丼が美味しかったことも、意外なところを褒められて嬉しかったことも、noteを開くと相殺された

手がつけられなくなってしまう

これが20代の恋の悩みだったら、いくらでも可愛らしい小説になるのに、現実主義のスッキリした左脳には到底、他人が抱きしめたくなるような想像の物語は浮かばない

書けと言われたら書けなくもないけれど、書きたい気分にはなりにくい

小説にしてもエッセイにしても、書く基準は常に思いつきだから、他人が何を思おうが私には関係ない、と切り捨てられるのが私の書くスタンスなのに

こんなに意気地なくなってしまうのか

誰かの心配をするなんて人生に当たり前のことが、こんなに苦しいことだっけ

免疫力が下がって、気持ちまで弱くなっているのかもしれない

1日の半分は楽しい計画に費やしている

ちょっとずつ前に進めていこうと決めたばかりの新しい月に、2日めに早くも暗雲立ち込めて、さっき読んだnoteの記事に落ち込む

頑張りはきく方なんだけど。


今までだって、無い知恵を振り絞って何とかやってきたんだから

神社で引いたおみくじに、明るい未来の予感を期待したばかり

未来が上向きだと書かれたヒラヒラの紙切れに、つまんない人生を託す

あと半年で何も変わらないのなら、他人が示唆した人生も選択に入れようと考えた

結局、自分の人生が思うようにならないのは相場が決まっている

ここまで十分、やってきた

まだ朝まで時間がある

少し眠ろう





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?