アンバランスとか。
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自分が招いたこととはいえ、失敗だったと思うことを書いてみます
他者へコメントをすることが私には正しいコミュニケーションだと思っていました
ずっと
それを誰に対しても同じ温度で行いました
それで傷をつくりました
最近になって、
もしかしたら、そういう意見や感想で人間関係を拗らせていたかもしれないと、考えるようになりました
最初に何かを与えることで、それをするのが役割りみたいな形になって、感謝されていたのに逆にしなくなると「冷たい人」のような位置付けになってしまう
noteだけでなく、
スタエフのプラットフォームでもそう
スタエフでは明らかにコメントを期待される方がいて、それが楽しかったはずなのに、
苦痛に感じるようになりました
私がコメントしたところで、聞いて「いいね」をくれるのは別の人で
それまで聞いていた人との関係が、完全に私からのギブだけだと思いました
人間関係の基本は、
ギブ&テイクで成り立ちます
天秤の水平な関係が保たれるものですが、私はギブが強かったのかとスタエフだけでなく、noteでも思いました
何文字だか(面白いかも分からない)記事を書くクリエイターからスキをもらうのが、文字数が少ないつぶやき記事だけのときにも苛立つ自分がいました
相手は長い文章を書くのに、こちらが読まれるのは短い文章のみ
しかも自分が書いたときだけ、私が書く短い記事しか読んでもらえないこともありました
いや、実際はそれが分かって読みに行かなかった人はいます
そういう人は、一度スキをつけて何度も読みに来てくださるわけじゃなく・・・自分にスキをつける人が欲しいのだと理解しました
利用されるだけ利用されて、利用価値がないと感じたら「要らない」と位置付けられるのかという気分になりました
だから、最初から同じスタンスで同じ量のギブ&テイクを保つ人が好感を持てるのだと気付いて、急激に嫌気がさしました
これはリアルではあまり実感がなかったのですが、ことSNSを利用するようになってから強く思うようになりました
何をしているんだろう
ひとに期待しないと頭では考えていた筈なのに、よくよく省みると、どこかでギブを望んでいたのかもしれません
惨めで、情けない気持ちに苛まれました
また誰かの書く場所を奪っているということも
不思議ですが、書きたい気持ちと読みたい気持ちのバランスが取れないのです
これが現在、SNSに身を置く私の正直な感想です
表現したい人は、誰の気持ちも省みずに
いくつも投稿されるというのに
いちばん悲しいのは、表現を迷うことじゃなくて、表現する居場所を奪うこと
それに、いらない、って思われていること
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