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『あちこちでみんなやってるのかな』(加筆)


   (約1,100字)

タイミングとか、
体調とか、
人の声とか、
寂しさの量、
天邪鬼。

わかっているつもりでわかっていなかった。

ごちゃごちゃな世界で思いやっても、

必要のない心配を引き寄せたり。

昨日、読んだ本には、
耳に痛い戒めが、
その言葉たちは、目にも痛く。

私は非難されたようでもあり、
納得できて、それを気づいたことで、
生きやすくなる言葉として、
胸に閉じ込める。

他人を理解することと、
他人がやることを享受することは、
全く違う次元の話で。

私には、その区別がついていなかった。

深呼吸して居られる。

おそらくは、
それが正しい安息の場所。


ひとには、それぞれ息がしやすい居場所があって、それは侵されてはいけない。

分かりやすく言うと、
自分が書いているnoteのページ。
自分の記事は、他人が侵してはいけない。
だから、入ってきて欲しくないひとを入れないようにしている。

ああ、そういえば、
そんな時もあった。

そんな回顧するしかない日は、
誰にでも訪れる。

書いて、読んで、
ひとには読んだ証をつけて、

こちらから読みに行かないと、
読みに来ない人もいて。

読まないでいると、突然、大量に読んでくれる人がいて。

ん? なにかの発作か?

なんて思ったりする。

今は、毎日書いて、投稿して、
リターンがあるから読まれるけれど、
私が書かない日が続いたら、
そのうち、忘れられる。

部屋の隅で、気配を消すかのように
うっすら埃をかぶった、あの本みたいに。

私の記事に価値がなくなる日は
必ず訪れる。

誰かが書かないと
休み宣言なんかして書かなくなるから、

それを気付いた人は、
「またあるヒトがお休みするらしく」なんて
まことしやかに、
まるで、周辺の秘密を隠したいみたいに
ささやいている言葉を見つける。

どうせ帰ってくるでしょ、

って私は思いながら読む。

宣言する人は、忘れられたくないからね。 


大丈夫。

居なくなったって、

リアルな生活は、退屈でも、窮屈でも、
えんえん続いていて、


で、

リアルで埋められない寂しさとか、
閉塞感を埋めるために、
承認欲求を満たすために、
適当な嘘を交えても許される
人間関係で繋がった


SNSに戻ってくる。



綺麗なばかりじゃない。

真っ黒にも見えるときがあって。

たぶん

来年の今日は忘れられてる。

「寒いですね」っていう挨拶なんか
交わしたのが、

夢みたいに、私は忘れられる。

居なくなっても、
また新しい出会いがあって、

「さみしいよ」って別れを惜しんでも、
次の出会いに期待して、


また新しい季節で息をするんだよ。

その繰り返し。

私も、あなたも。

センチメンタルって儚いから。


読んでいただきたい記事が行方不明になり、
こちらに書き直すことにしました。

ビューの数が減るとホッとするように
なりました。
あんなに読んでほしいと願っていたのに。



noteには さよならの予約を。


決めていた時期より早まりそうです。



去年に撮影したブラジルの花⁇











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