いらいら記事の下書き化
(約700字)
忘れられる権利。
っていう権利があるのなら、総動員してほしい過去とか、事件とか、それぞれに抱えているように思います。
時代はデジタル化で、紙よりデータに残る。
インターネットに載った情報は、過去に電子データ化された情報が、残酷なまでに残る。
芸能人の歴史なんて、何かあれば一字一句掘り起こされて、あたかも今日聞きました、という新しさで世間に公表。
無名時代の誰が知りたい?と思う、雑誌の一言まで甦る。
「え〜、何て言ったかなぁ」
クイズ形式で質問に答えて、流行りのスイーツを会場のゲストにプレゼント。
過去のくっだらない自分の生活の一コマと、
今、目の前にいる会場内の楽しみとごちゃ混ぜです。
法律が変われば、救われる人がいる一方で、その法律が無かった時代の救われなかった過去の苦しみが今、目の前に晒される。
傷つく人は、2倍に増えるのです。
なんか、演説みたいな記事だわ‥‥
あんまりにも、スキがつかない記事が
ビュー数を伸ばしていることに納得がいかずに、記事を下書きに戻しました。
まぁ、一度でも記事にした言葉は、携帯電話でスクリーンショットで保存されたら、もう自分が努力したって、回収できません。
下書きに戻す意味がないことぐらい分かっています。
それでも、過去の記事を配信した時間は残っている。それが自分が発信した時間だから、著作権は自分にある。
だから、私は記事を消せませんでした。
好奇の目に晒されて、スキをつけずに盗み読まれても、気持ちに記憶が残る。
目の前に無かったら、忘れられる。
イライラした自分の言葉に傷つくのかなぁ
それで、下書きに戻した記事があります。
noteを去って、過去の人になっても、
記事を残していたら、その気持ちは
過去にならないんでしょうね。
記事を書いたクリエイターは、
いつまで
書き手なんでしょう?
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