ひとの心の中のことなど
(約1,100字)
SNSと一括りに言っても、色々な形態があります
私が「スタエフを楽しい」と言えるのは(noteと違って)「摩擦」を感じないからなんです
書くこと、喋ること、どちらも自己表現で、同じように誰かに高評価を伝えられる
noteはスキ機能、スタエフはいいね機能
スタエフでも人間関係は存在するけれど、note同様、ひとと群れることが嫌いなので、誰かをおとしめる目的がなく、マイペースでやっていられる
文字を書いて表現することは元々好きだから、書く方が楽と言えば楽
noteの記事を作るのに気をつけているのは、出来るだけ言葉数を減らすこと
他人の時間を奪うのが、そもそも好きじゃないです
電話が嫌いなのも、相手の時間を奪ってしまうからで。
身近に長電話、長話しをする人間がいたおかげで、ひとを拘束するのも、されるのも嫌いになってしまった
以前にも書いたことがありますが、意味の分からない言葉を追うのがストレスで、「詩」の善し悪しは難しい
何を言いたいのかが分からない井戸端会議も、会社の無駄に長い会議も、好まない
分からない者同士が、やらなければならない課題を考え合うのも、時間の無駄だと思っている
頭の出来が良くないから、延々と考えるクセは付いている
それは他人に迷惑をかけないから、やり続けられる
他者を巻き込んで、誰かの時間を奪うのが嫌なのです
本はアナログだけれど、頁数が一目で分かり、あと何頁でゴールかがはっきりしている
携帯電話やタブレットで本などの読みものを目で追うとき、全体に対する読んだ分量がカーソルの位置でしか測れない
(これは書籍を電子化したものは頁数が分かりますが、noteはそうはいかないです)
それで記事の最初に文字数を入れました
文章は削れるだけ、削っている
リンクがいくつも貼り付けてあると後回しになり、他の画像を見る記事も「うっ」ってなる
シンプルで、分かりやすいのが楽
頭を使わなくて済むから
私の文章にイライラする方は読まなくていいです
もうすぐnoteで書かなくなりますし
ひとは分からないことが最大のストレスを生みます
自分がどの辺まで読んだのか、持っている知識で処理できるのか
私は明言できないことがあるし、わざわざ言う必要がないと思っている
誰にも心には 多かれ少なかれ、説明しづらい感情を抱えていて、
それを上手く文字化している記事があると感動する
それは、代弁してくれたというより、自分の心が「そういうもの」と位置付けられたことに安堵するのでしょう
だから、好きな記事を書く人は躊躇なくフォローすればいいんです
気持ちがスッキリすると、視界が開けてきて、世界が広がります
しょせん、ひとの心など分からないのが当たり前です
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