頑張れないときとか。
(約900字)
布団から這い出して、憂鬱な時間に呼び鈴が鳴る。
部屋を訪れるのは家族。
待ち合わせの時間に用意が出来ていなくて、私はいつものように溜め息をつかれる。
案の定、呆れられるが、毎度のことで怒られはしない。
片足を骨折している妹は、先に目的地に向かって歩き、私は20分後に家を出る。
到着は同じ時刻。
私は電動自転車で10分後、目的地に着く。
そんな日常が変わらずに続いて、それでも家族は私を見捨てない。
人は「この人は、自分を信じている」と思えば、その人の期待に応える。
それは他人に対しても言える。
昨日、近場の観光名所に行くため、電車に乗った。ほんの10分程度、何ヶ所か移動したから電車の中ではnoteを読んだ。
フォロワーの記事を読み、コメントを読んで、知らない記事の方に飛んだら悲しくなっていた。
電車の中で涙して、マスクを着用するご時世に感謝した。
私と同じ境遇だったら、本当につらいだろうと容易に想像できた。
コメント欄で人に執拗に疑問を投げかけたり、行動を促したりする輩がいて、そういう人が記事主を苦しめる現実がある。
でも、コメントした人間には分からない。
そういう人がおかしな記事を書いていても私はスルーしている。私人逮捕系YouTuberのようなことをしているが、記事をススメる人すらいる。
先日、書いたYouTube記事は、noteの記事を歪曲した内容で動画で語っていたが、写真で個人を暴いて楽しんでいるnoterは同じ部類の人間性だもの。
しかも大勢、存在する。
SNSで、noteの記事の程度が低いと思われても仕方がないと憂慮するしかない。
弱いのに、他人には暴力が平気なところがあって、正義って、そういうことじゃない。
間違いの記事を鵜呑みにするのは勝手だけど、鵜呑みにしたものを解釈して吐き出すのはやめられないのだろうか。
そろそろ、ひとの心を切り刻むのは辞めにしませんか。
働いているか、働いていないかは、問題じゃない。
労働の対価はなくても、
家事をこなして24時間を忙しく過ごすのも、すごい労働力。
だから、
平等ではないの承知だから、
心の位置だけでも優しくなれませんか。
みんな悔しいことがあるし、
みんな泣きたいことがある。
誰かの点数を下げても、
自分の点数が上がるわけじゃないんだよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?