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目的や意味の外

初めて会う人と話をしていて、
自分が走っていることが話題になると、
たいてい同じような質問を受ける。

「なんで走るんですか?」

この質問は、いつも返答に困る。
多くの場合、「なんで」の質問の背後には、
「何の目的で?、何を求めて?、どんな意味が?」
があるような気がするからだ。

ダイエットをはじめたくて、とか
自分の限界に挑戦したくて、とか。
そういうわかりやすい目標があれば、
たしかに納得できる、かもしれない
実際、私も、その質問をした人が納得しやすいだろう
適当な理由をみつけて、
この話から、話題をそらすことが多い。

しかし、思う。
本当に走ることに目的や意味は必要なのだろうか?と。

あらゆることに目的や意味を求めすぎている気がする。
もちろん、社会生活を送るなかで、目的や意味が必要だったり
重要だったりする場面は少なくない。
でも、そういう枠組みから外れるものも、あるのではないか。

数学者の森田真生さんの本『数学の贈り物』(ミシマ社)に
次のような言葉がある。

行為に先立って意味があるのではない

「数学のルールの意味がわからない」という理由で、
数学が苦手となる人に向けてかけられた言葉だが、
数学だけに当てはまらない、射程の広い言葉だと思う。

目的や意味の外にあるものも存在するはずだ。
そうでなくては、あまりに息苦しい。


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