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休日  【完全週休七日制希望者】

 立ち込める熱気と人のうめき声。地獄というものにふさわしいかもしれない。別府地獄めぐりという例のように、温泉が地獄と例えられるいわれはここにあるのだろうか。
 ただし、温泉や銭湯や風呂というのは、地獄なんかとは程遠い。快適な銭湯の湯に浸かりながらそんなことを思う。立ち込める熱気といっても四十度程度のお湯の湯気だし。人のうめき声といってもおっさんがお湯につかるときの「ゔあーい」とかいう気持ちいいときの唸りだし。おっさんの唸りなんて聞いてる方は地獄だけど。
 とにかく、銭湯は地獄なんかじゃない。むしろ天国。というか銭湯の外界の現代社会のほうが地獄まである。ここでさらにサウナって整っちゃったりなんかしちゃったら、大天国にも行けるかもしれない。
 ということで、いざ、サウナもとい大天国への扉を抜けるとそこは……地獄だった。
 まさに寿司詰め状態。寿司といっても、つやつやの新鮮なマグロやタイなんか無い。干からびたかんぴょうだけ。しわしわのおじいさんの詰め合わせ。だが、この地獄を抜けて整ってこその大天国かもしれない。決死の覚悟を決めて隅っこに、寿司詰めでいえばガリの位置にしゃがみ込む。周りは年を召されたおじいさんばかり。かなりのお年を召されているので、こんな高温のサウナなんかに入って天に召されないか心配だ。
 というか、今日は平日、しかもまだ午後三時ほどなのに、どうしてこんなにおじいさんがいるのか。俺は講義の取り方次第では休みなど何とでもなる天下の大学生だが、社会人は労働をする日である。まあ、現代社会では、平日じゃなくても労働をしなければならないことが多々あるらしいけれど。現代社会ってマジ地獄。とにかく、ここに大勢いるかんぴょうおじいさんたちは、平日だけれど労働をしないのだろうか。会社に干されたのだろうか。かんぴょうだけに。…これが言いたかっただけである。自分のつまらない冗談にマジレスしてしまうと、単におじいさんたちはとっくに定年退職して年金で暮らしているのだろう。
 年金、か。思わずため息が出る。熱気ムンムンのサウナでは、大きく呼吸すると苦しいのに。若人の捻出した年金。それがいま、銭湯の入場料に変換され、汗となっておじいさんの身体から捻出されているのだ。なにそれ、白熱電球よりエネルギー変換効率悪いだろ。今俺が感じているやりきれない気持ちは、単におでこから噴き出す汗を手でぬぐいきれないことへのそれだけではないだろう。ただ、そうは言っても俺も「俺」から「儂」に一人称が変わるころには同じように惰汗捻出機と化しているから、そうは言えないのだ。
 結局、どうでもいいことを考えていたら、かなり体の芯まで温まった感じがする。そろそろ外気浴で整う頃合いだろうか。
 ということで、いざ、露天もとい今度こそ大天国への扉を抜けるとそこは……まさに大天国だった。天に召されそうなほどに。気持ちよすぎて、体重が無いような感覚。天使たちが天に召すために持ち上げているのだろうか。むしろ、それならいっそ天使たちには頑張って天に召しきってもらって、天国旅行でもしたい。現代社会は地獄だから。
 現代社会のことを思い出した途端、天使たちは俺から手を放してしまったようだ。急に冷静になる。若者言葉でいうと「冷めたわー」とかいうやつ。別に、「冷めた」のはサウナで整う過程で水風呂に入ったからではない。むしろ水風呂より世間の風のほうが冷たいまである。
 思い出したのは就活のこと。エントリーシートやら面接やら、大変すぎないか? 大体、こっちは会社に飼いならされる犬になるのだから、雇い主というか飼い主というかはもっと俺たちを大切にしないと動物愛護団体が黙っていないぞと、俺はそう言いたい。まあそうは言っても、人間が犬などの動物になるなんて魔女が信じられていた時代なら禁忌中の禁忌なはずだから、その過程でかなりの困難があったとて不思議じゃないか。ただ、その「困難」というのがエントリーシートやら面接なのは、非難殺到だ。(主に俺から)。特に面接なんて、コミュ障の俺の天敵だ。
 いや、待て落ち着け。まだ俺は三年生になりたてじゃないか。猶予はある。今からコミュ障を克服すればいいだけの話だ。ためしに、帰りに思い切って誰かに声をかけてみようか。イカス誘い文句でも考えれば、色のついた展開も期待できるかもしれない。そうだな…。帰り際には、陽がもう沈んでいるころか。では、こんな誘い文句はどうだろうか。
「こんな人工的な明かりで埋め尽くされた町で、君のような綺麗な星を見つけられるとは思わなかった。車のヘッドライトの流れ星を見ながら、整然と並んだ街灯の天の川を君と歩きたい。その前に、君という名の星の名を聞いてもよろしいかな?」
 …いや、いやいやいや。駄目だろ。駄目すぎだろ。「君という名の星の名」ってなんだよ。「君という名の星の名」はもう「君」じゃねーか。そもそも文章がキザすぎる。キザ野郎通り越してキモイ通り越して不審者まである。それはまずい。SNSですぐ愚行が拡散される現代社会は、不審者には厳しいんだ。というか現代社会は不審者じゃなくてもコミュ障にも厳しい。むしろ極度のコミュ障は不審者と同等扱いまである。俺は詳しいんだ。なんてったって当事者だからね!…湯けむりあふれる銭湯にはおよそ似つかわしくない乾いた笑みがもれる。
 それに比べて、銭湯は本当に俺に優しい。そもそも喋る場じゃないからコミュ障も安心だし。悠々自適に快適タイムを過ごせる。
 ああ、銭湯って本当に天国だわ。それに比べて現代社会は…やっぱ地獄だな。


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