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競技麻雀デビュー ~勇気と無謀の狭間で~

本記事は2020年5月31日に公開したもののリメイクです。
当時ほとんどビュー数が得られずに人知れず涙を流したのですが、
読んでいただいた方には面白いと言っていただいていたので、
2年間の沈黙を経て加筆・修正版をアップします!

自己紹介がてら、今Twitterやnoteでつながっている方々にはほとんどお話しをしたことがない、自分の競技麻雀の原点について記します。

競技麻雀デビュー

麻雀は昔から大好きでした。4歳で親戚の家のポータブル麻雀ゲームをいじり、6歳で親戚から譲り受けた麻雀牌とマットを使い、両親とリアル麻雀をやっていました。ちなみに両親は麻雀ほとんどやったことがなかったはずなのですが、付き合ってくれて本当に感謝をしています。

高校時代は友人と度々麻雀を打っていましたが、社会人になって上京してからは麻雀の頻度が極端に減りました。

もっと麻雀を打ちたい…。

2012年12月、自分はとある雀荘のドアをたたきました。
日本プロ麻雀連盟四谷道場(通称:連盟道場)」です。
※現在は巣鴨に移転

今、巣鴨にある日本プロ麻雀連盟本部道場は初心者向けの麻雀教室が設定されていますが、四谷時代の道場は初心者や初級者が気軽に行けるような場所ではありませんでした。プロがリーグ戦やタイトル戦の前に調整に来たり、アマチュアの猛者が常連さんでいたり、まあレベルが高かった…。

この時の自分は麻雀初級者で、感覚だけで麻雀を打っており、読みはおろか、牌理やベタオリの知識もまったくない状態でした。点数計算も本当に簡単なものしかわからず、とてもプロの道場に行けるレベルではなかったのです。

せめて中級者ぶるために必死に麻雀を打ちました。しかし同卓されていた方にはすぐに初級者だということがバレていたと思います。
点数計算があやふや(1半荘に1回以上は間違える)、チョンボをめっちゃする(1カ月に1回くらい)、守備を知らない(親のリーチにど真ん中無筋ドラを平然と通す、役なし愚形テンパイで12巡親リーチに対して押し続けるetc...)等。まあひどかった。

プロ3人に囲まれることも日常茶飯事で、自分のような若輩者が入るのは今考えると本当に申し訳なかったです。
しかし、みなさん自分のことを優しく受け入れてくださいました。
自分が麻雀を嫌いにならなかったのはその頃の経験があったからかもしれません。

あっ、点数計算はいまだにとっさに出てこずに間違えることあります…。さすがにそろそろしっかりしないといけませんね。笑

ちなみに、はじめての四谷道場で自分に席を譲ってくれた(ただのご案内)のは、当時プロ1年目の菅原千瑛プロです。
その時は一切会話をしませんでしたが、いつしか菅原プロのゲスト先に伺うようになっていました。いろいろな雀荘に行くきっかけになったのは菅原プロです。

手が滑ってまさかのトラブル

連盟道場に通い始めて、何日か経った頃の話です。
麻雀牌自体にもそれほど慣れていなかった自分は、牌を捨てる時に手が滑って、上家の方の手牌に直撃させて何牌か倒してしまうという事件がありました。

そんなこと普通ないですよね?
今考えてもどういう仕組みで牌が飛んでいったのかまったくわかりません。

その上家の方があろうことか日本プロ麻雀連盟会長の森山茂和プロ(当時副会長)でした。

麻雀人生終わったかと思いましたが、森山さんは普通に倒れた牌を元に戻して、そのまま場は進行していきました。手が滑ったときを含め特に怒られることはありませんでしたが、肝を冷やしましたね。
その後5~6回同卓させていただいたかと思います。

もう、完全に怖いものはなくなりました。笑

麻雀リアル大会で…

日本プロ麻雀連盟主催のリアル麻雀大会にも3回参加させていただきました。

最初に参加したとき、開始前に会場の2階に向かう際、満員寸前のエレベーターにギリギリで乗ったのですが、真後ろの荒正義プロに自分の背中を押し付けることになって本当に申し訳なくなったり、トイレに行ったら灘麻太郎プロと隣で用を足すことになったり、刺激の連続で今はどんな大物プロと突然遭遇してもまったく緊張しなくなりました。

テレビの中の人だった故・小島武夫先生のスピーチを聞いたり、二階堂亜樹プロと同卓したり、佐々木寿人プロ、白鳥翔プロ、魚谷侑未プロと何も知らずに同卓したり、伊藤優孝プロと同卓したり本当に貴重な経験をさせていただきました…。優孝さん優しかったなあ。

2度大きな大会に参加し、3度目に参加した大会は小さめのものでしたが、高宮まりプロがネームホルダーの回収係をやっていて、帰りにお渡ししたのを覚えています。

協会、最高位戦のプロの方との接点

2013~2016年にあった日本プロ麻雀協会道場「Palette」(協会ルールノーレートフリー)、2014~2015年にあった「麻雀コミュニティ・レインボー」(最高位戦ルールノーレートフリー)でも数々の方とお会いすることができました。特にレインボーはけっこうな頻度で通わせていただいて本当に楽しませていただきました。

「Palette」も「レインボー」も連盟道場と同じく、プロの方が調整に来たり、アマチュアの猛者が集まるような場所でした。なぜそんなレベルの高い場所に自分は行ってしまうのでしょうか。

Palette、レインボーともに野生のプロの方や強い方がたくさんきており、本当によい環境で麻雀を打たせてもらっていたなと思っています。

今、RMUで令昭位戦Aリーグで活躍されている楢原和人プロとも、アマチュア時代にレインボーで度々同卓していました。応援している1人です。

藤田晋氏に話しかける

2015年の最高位戦ペアマッチに参加した時に、対局の間でたまたま1人で卓についていてヒマそうだった藤田晋氏に話しかけます。なんて命知らずなのでしょう。笑
お話しするのはこの時がはじめてでしたが、10年前に1度すれ違っていて、その時のことをお話ししました。

実は藤田氏の会社にWebデザイナーのアルバイトとして勤めていたことがあり、社内麻雀部の存在を知っていたのです。
こんなよくわからない若輩者に対して、丁寧に会話してくださった藤田氏は本当に器が大きいなと思います。

自分が伝えたかったこと

もし、今あなたが迷惑をかけるかもしれないからやめようかなと思っていることがあれば勇気を出してチャレンジしてみましょう!
たいていのことは必死にがんばろうとする気持ちがあれば何とかなります。がんばろうともしないで迷惑をかけるのはダメですが。笑

自分は昔、"コミュニケーション能力に難あり"と言われたくらい人と話すことが苦手で怖いです。でも温かい人が本当に多い。世の中捨てたもんじゃありません。たまに悪い人がいるかもしれませんが、そういう人とは適度に距離をとりつつ、人生を楽しんでいけたらなと思っています。

普段とは少し違った毛色で書いてみました。

ちなみに森山会長、東場で鳴いて1000点でアガってたからね。
麻雀は自由だ!

おしまい。

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