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あの日逃した「優勝」から6年。超攻撃特化型からの転身

2014年12月。自分はとある麻雀大会に参加していた。

35人で予選3半荘を戦い、上位8名で準決勝卓、卓内上位2名が決勝卓に進出し優勝を争うという公式競技大会さながらの本格的なものだった。

予選は調子がよく、着順212でまとめて準決勝に進出。準決勝はまるで手が入らなかったが、オーラスでハネマン条件をクリアし、決勝進出を果たした。

人生初の決勝卓。

決勝卓に残れなかった者達はギャラリーとなって観戦する。余分な会話は一切なし。競技対局さながらの緊張感だ。

決勝卓に入っても苦しい展開が続き、1回もアガれないまま南場の親が落ちる。残り2局、トップ目とは1万点強の差がついている。

南3局、タンヤオのみのカン7p待ちをテンパイする。このゲームはじめてのテンパイだ。リーチするか?

我慢した。待ちも打点も不満だ。トップ目以外からの出アガリ2600で終わってしまうと結局次局マンガン条件が残る。

数巡我慢したのち、5pを引きピンフ変化、47p待ち。これならば・・・。

「リーチ!」

一発目にいたのは7pだった。そして裏が1枚乗った。

「ツモ!3000、6000!」

ギャラリーがどよめく。これでトップ目をかわし4000点以上のリードつけた。これは優勝者のアガリでは?と思った。

この時すでに優勝インタビューで何を話そうか考え始めていた。すぐ調子に乗ってしまうのは昔から悪い癖だ。

オーラス、前局の親かぶりで厳しい条件になったラス目からリーチ。ハネマンツモでも自分には届かない。きっと1つでも上の着順狙いのリーチだろう。

「ツモ!」

リーチをしたラス目から発せられた言葉に一瞬安堵する。自分が優勝だ。

「6000、12000!」

!?!?!?!?!?

キレイな手だった。自分は準優勝で終わった。

超攻撃特化「オリない麻雀」

2014年5月~2015年10月に東京・小川町にあった【麻雀コミュニティ・レインボー】という雀荘で月1回開催されていた月例大会での話である。最高位戦ルールのノーレートフリーで営業されているお店だった。

当時はオクタゴン、MLスタジアム、ベルバード、ラブリースマイルといった気軽にいけるノーレート雀荘がない時代、自分にとっては巣鴨移転前の「日本プロ麻雀連盟四ツ谷道場」、新橋にあった「日本プロ麻雀協会道場『Palette』」と最高位戦のプロの方がオーナーの「麻雀レインボー」が選択肢となっていた。

連盟道場、Palette、レインボーすべて好きだったが、一番寄りやすかったのが「レインボー」だった。今考えると、連盟Aルール(現公式ルール)、協会ルール、最高位戦ルールが気軽に打てるのは非常によい時代だったと思う。

自分はレインボーに入り浸っていた。スタッフさんもお客さんも強い人ばかりだった。当時初級者レベルだった自分がこの雀荘で勝つためにはどうしたらよいか?

2014年当時の自分は麻雀技術が皆無に等しかった。天鳳をはじめたのはこの年の3月。二段から初段に降段したこともあったし、やっと四段に上がれたと思ったらR1650以下で特上卓を打てるようになるまでかなり時間がかかった。四段から三段落ちも経験している。

2014年、特上卓では466戦打ってラス率29.3%だった。よわい・・・。

時間は前後するが、この年6月に天鳳私設リーグに参加したときのブログで以下のように語っている。

みなさん強いので、テクニックで劣る自分は正攻法では勝てないかなと思っています。
なので、超攻撃特化!
さすがに全ツまではいかないけど、手が整っている時はギリギリまで踏み込んでいきます。
ノミ手でもかわせたらデカイと感じたら、親リーと対決します。
(やりすぎて、ラスに落ちることもしばしば・・・。このへんのバランスは勉強中)
8割攻め、2割受けくらいのイメージです。
自分のポリシーとして、「攻める」「攻めない」以前に
「楽しない」「楽させない」というのがあります。
自分の麻雀のスタイルの問題なので、異論反論はあると思います。

ただ超攻撃特化だけでは安定して勝てないというのもわかっているので、
何らかのスパイスを加えなくてはなと思っています。

めっちゃしっかりしてるやん、昔の自分。弱いことを自覚して、どうすべきか考えてた。

そう、この頃は「超攻撃特化」型だった。だからハマるとめちゃめちゃ強かったし、強い人からも怖がられていたように思う。まあ自滅することもけっこうあったけど。

レインボーは本当に強い人ばかりだったけど、不思議と月間成績でマイナスになる月はほとんどなかった。大きなトップもとるけど、ひどいラスも引いてたから、毎月ちょいプラスくらい。(このへんは記憶が曖昧で、多少美化しているかもしれない)

少なくても2014~2015年前半あたりはリアル麻雀では超攻撃特化をつらぬいていた気がする。天鳳でどう打ってたかは忘れたけど。

自分より強い人と戦うときに気持ちで負けたらダメ。「オリない麻雀」がこの頃の自分のメインテーマだった。

そもそも相手にテンパイが入ったとて、山に何枚アガリ牌がある?放送対局で実況の人が枚数を数える。5枚あればよいほうではないか。実はゼンツしても意外と当たらない。

とはいっても毎回ゼンツだと当たるから、自分は価値あるテンパイがみえて無筋3枚通す必要があるとき、無筋の中で順番をつけて、危険度の低そうな無筋から切り飛ばす練習をしていた。一番危険度の高い牌を押すのは最後。これをしっかりやっていると、最後に残した無筋牌が当たりで、イーシャンテンの状態で被ツモや横移動、あるいは流局になって放銃せずに終局することが多かった。

そもそも価値のあるテンパイを果たしたのであれば、危険牌を切っても期待値で見合うことも多いから、意外と理に適っていたのかもしれない。

まあ、無筋の濃淡のつけ方もなんとなく感覚でやってたから、全然安定感なかったんだけどね。

最高位戦Classicプロアマリーグへの挑戦

レインボーの猛者達はよく競技大会にエントリーしていた。日々刺激を受け続けていた自分も、ガチな競技大会に興味を持つようになっていた。

2015年5月、その年に創設された「最高位戦Classicプロ・アマリーグ」の記念すべき第1節にエントリーした。

一発、裏なし。赤も当然なし。テンパイ料もなしというなかなか普通は打つことができないルールだ。

72名が参加。うちプロ団体所属23名。それ以外にもアマチュアの競技猛者がたくさん出場していた。この節のゲストプロは村上淳プロ、水巻渉プロ、大平亜樹プロだった。

このリーグ戦の魅力は優秀な成績を残すと、本来プロ団体所属者しか参加することができない「最高位戦Classic」にアマチュアで参加可能になるという点である。

1節ごとの優勝にも副賞が設けられており、それが次期の「最高位戦Classic5組参加権利」だった。

当然、優勝を狙った。自分はやればできる子。奇跡は自分で起こすもの。

結果は72名中3位。1位の麻将連合・下出和洋プロとはわずか3.4pの差だった。めちゃめちゃ悔しかった。

最終戦(4回戦)のオーラス、中盤でリャンメン待ちのダママンガンをテンパイしたけどかわされた。たらればは禁物だが、本当にあと少しだった。

失意の中、自分はレインボーに向かった。入店するや否や、みんな3位に入ったことを喜んでくれた。聞くと3回戦で2位に立って優勝が狙える位置にいた自分の途中経過を興奮しながら追っていてくれたらしい。

そうか。自分は優勝できなかった悔しさでいっぱいだったけど、猛者揃いの大会で初級者に毛がはえたようなレベルの自分が3位になれたことは、すごいことだったんだと気づいた。素直にうれしかった。

この年の10月にレインボーは惜しまれつつも閉店。直後に第1子が誕生し、リアル麻雀を打つ時間はほとんどなくなった。翌年2016年4月のRMUワンデー大会を最後に自分は表舞台から姿を消した。

この1年間の経験はとても大きかったようで、2016年4月27日、初めての天鳳七段に昇段する。

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まあ超上振れだっただけで、すぐに落ちたんだけどね。

あれからもう4年半以上が経つ。

いっぱい麻雀の勉強した。ありとあらゆる麻雀を観て、聞いて、試した。

毎月のように打ち方を変えて、その度にバランスを崩したりしていたけど、最近ようやく自由自在に麻雀が打てるようになってきた気がする。局面によっては「超攻撃特化」も使う。

今月に入って、人生で経験したことないくらいたくさん負けたけど、それでも自分の麻雀はブレることはなかった。トンネルを抜けた先にあったものは、あの日逃した「優勝」という輝きだった。

無理押しは決してせずに有利な状況を作り続けて、押し切った結果だった。

それでも当時一緒に打っていた方々に、あの頃より強くなりました!といえる自信はない。自信を持って言えるようになるまで、自分は勉強をし続けるよ。

今年一年関わってくださったすべてのみなさま、ありがとうございました!

おしまい

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