飼育小屋から出して貰った話。

小学6年生のある日、ウサギ小屋に閉じ込められた。同じように飼育委員の男の子2人に、世話当番の終わりがけ外から南京錠を掛けられた。一畳ほどの空間。網張りになっていて外からも見える。だから、つまり言いたいのはわざと中にいるまま鍵をかけられたんだってこと。

一緒に飼育委員をしていた女の子は本当に怒って、鍵を返せ!と怒鳴ったけれど、彼らは彼女が憤怒することをも楽しんでるみたいだった。腹がよじれるくらい、体を曲げて大きな声で笑ってた。

確か昼休みも終わりかけていたから、その子は焦って南京錠をガチャガチャと触ったり、どうにか開かないか試してくれた。私はごめん、いいよ、いい、そう言って、もうこの頃はいじめられることにもすっかり慣れてしまってた。普段は楽しく動物の世話をする関係であるはずの彼らすら気まぐれに裏切って、面白いと思えばそういうことをするんだなあ。そういう悲しみだけでいっぱいだった。

先生を呼んでくれば?そんなふうに思うかも。きっとそう、それが正しい。けれど当時の担任は、私のいじめをスクープみたいなやり方で下手くそに騒ぎ立てたことがあって。それ以来私のいじめは、酷くなったから、だから先生を呼んでなんて言葉は微塵も考えられなかった。

最終的にあの日小屋から出してくれたのは先生でもなく、笑い終わったクラスメイトでもなく、隣のクラスの男の子だった。休み時間校庭から帰ってくるところ。多分、私を閉じ込めた男の子とも仲が良かったはずだけど、お前何してんだよ、そう言って鍵を奪い取ると鍵を開けてくれた。
私とは特別仲が良いわけでもなかったから、ただ単純に彼はそういう人だったんだと思う。
正義感なのか、同情心なのか。

虐められている人を直接助けることは、次のターゲットになる可能性だってある、かなり勇気のいることだと思う。彼はクラスの割と中心に居るようなタイプだったはずだけれど、虐めはそんなことを無視して行われる。とてもかっこよくて感動したけれど、ありがとう以上のことはいえなかった。ただ、そんなことより次の日もその次の日も、私の代わりに彼がいじめられていないことに少しほっとした。

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