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二足のわらじで夢に向かう 出版翻訳者 寺田早紀さん

寺田早紀(てらだ さき)
 京都出身。英日翻訳者。出版翻訳、記事・マーケティング翻訳。英語教師歴はそこそこ長い一児の母。訳書は『最新科学が証明した脳にいいことベスト211』(文響社)。ミステリとジャズ(チャーリー・パーカー)と手帳が好き。note https://note.com/sterada、twitterアカウントは @s__terada

 はじめまして。こちらに寄稿させていただくのも恐れ多い、まだまだ駆け出しの英日翻訳者です。寄稿のお声がけをいただき、どういうことを書くか散々悩みました。自分のブログのアイデアなら「よし、書こう!」と思ったら2,3日で出てくるけれど、「翻訳と私」というテーマで考えると、とんと定まらない。いや、書きたいことは山ほどあるけれど、あまりにも自分の内側のことすぎて、自分の脳内だけでおなかいっぱい。もう少し客観的に……と思っていたところで、やってきました、2月です。確定申告ですよ。フリーランス翻訳者として2年を終えるところで、ビジネスとしての翻訳業を振り返りました。そしてこれからどう食べていくのかを考えた結果、「二足のわらじも悪くない」という結論に至りました。他の翻訳者さんの経歴を見ると、「兼業から専業へ」が一般的な流れのようです。そういうストーリーを見るたびに、専業にならなければ!と思っていました。「一流の翻訳者なら専業」という呪いを自分自身にかけてきたこの2年間。愛憎入り乱れる(?)二足のわらじ生活について、自分の今の考えをまとめておきたいと思います。

教員というわらじ
 私の今の生活を経済的に支えているのは、翻訳業ではありません。長年やってきた教員業です。高校で英語の正規教員として15年間働いたのち、フルタイムをやめて、いまは大学と専門学校で非常勤講師をしています。フルタイムをやめたのは、翻訳を本業にしたかったから。目標は文芸出版翻訳者。大好きな物語の世界にどっぷりつかって、印税で食べていきたい。そんな(社会一般の人からすると浅はかすぎるであろう)夢を実現するために、正社員という立場を捨てて、好きな道を歩もうと決めました。

 幸運にも、退職したその年に、アメリアのスペシャルコンテストで訳書を出版できることになりました。これは今考えても、本当に幸運としか言いようがない。選んでくださった文響社様には一生頭が上がらないでしょう。この一冊こそが、その後の翻訳を続けるモチベーションとなっています。なんせその後、鳴かず飛ばずの状態が続いていますから。翻訳という行為自体は、はちゃめちゃに楽しいのですが、それにより得られる結果というと、まあ、気が滅入ることのほうが多い。コンテストやオーディションでは日の目を見ないし、何より、自分の訳文の下手さに落ち込む日々。専業の出版翻訳者への道は遠い。

 そんな私の自尊心と生活を支えてくれているのが、教員という立場です。大学生の頃から、家庭教師や塾講師をしていて「教える」という行為はすごく好きでした。高校教員になってからもすごく面白くて、「これは天職だ」と思いながら、大学院で英語教授法の修士号をとりました。理論を学んで、それをすぐに実践にうつせる。それに対する生徒のリアクションをダイレクトに感じられる。もちろん、人間相手の仕事だから、感情の振れ幅はものすごく大きいです。落ち込んだり腹をたてたりする日もあれば、嬉しくて楽しくて仕方がない瞬間もある。そんな毎日を15年間過ごしてきて、「ちょっと疲れたな、なにか新しいことをしたい」と思い、翻訳学校に通うことにしました。そこで、翻訳という、とてつもなく面白い行為に出会ったのです。子どものころから大好きだった物語の世界。その世界をつくるのに自分も加わりたい!という衝動に駆られて、40歳を迎える直前に翻訳の世界に足を踏み入れました。

翻訳者というわらじ
 とは言え、文芸翻訳への道のりは遠い。でも翻訳の仕事に携わりたい。というわけで、実務翻訳の道を探り始めました。実務翻訳ならなにかしら専門をつくらなければ、と医薬やITなど興味のある分野の勉強を始めました。ちょっとかじってみて思ったのは、ああ、この分野で稼げるようになるには何年もかかるな、ということ。英語の文法や読解はそれなりに自信があります。大学受験レベルの英語を教えるのにかなりの時間をかけてきたから。毎日、授業準備のためにロイヤル英文法や学習参考書を引き、難関大学の過去問に向き合ってきました。だけれど、専門的な文章は、英語が分かっても意味が分からない。意味が分からないと訳せない。英語教師って経歴は無力だな、と落ち込みました。

 そんなとき、アメリアでEd-Techのマーケティング翻訳の求人を発見! 教育現場向けのテクノロジーを開発している会社さんです。「これは!」と思い、応募して採用いただきました。実際にお仕事をやってみると、英語の文章の意味がするすると分かる。一般用語に擬態している専門用語も見分けられる。とにかく英文読解の解像度が他の分野の文章より格段に高い。「読める! 読めるぞ!」とラピュタのムスカ大佐状態です。だって分野は教育。実践も理論も、これまで15年間も費やしてきたものだから。

 そう、私の専門は「教育」なんだ! この分野でクライアントを獲得すればいいんだ! もちろん、パイはそんなに大きくない。でもコロナ禍でオンライン授業など教育のIT化が進んだおかげで、Ed-Tech系はこれから期待できる分野のような気もする。とにかくこの分野の仕事を全部とれば、私ひとりくらいが食べていける稼ぎになるのではないか。外に手を広げるより、自分の足元を深く掘るほうが効率がいい。そもそも自分の足元の土には、これまでの自分の「好き」が詰まっているのだから楽しいはず!

二足わらじで、専門と言葉の武器を磨く
 そんなこんなで、今はその分野の2社さんから定期的に案件をいただいています。だけれど収入は月ごとに変わるので、英語講師の仕事で安定収入を得ています。もつべきものは定期収入。授業がうまくいかないときは、翻訳の仕事を増やしたいなぁ、と思うし、翻訳依頼が来ないときは、講師の仕事があって良かったと思う。「翻訳専業になりたい」と思ってきたけれど、選択肢がふたつあるっていうのは、精神的にも経済的にもいいかもしれない。いつか専業翻訳者になっても、また教壇に立ちたいと思うような気もする。この先、自分の考えがどう変わるのか分からないけれど、とりあえず今は、わらじ二足を履き替える生活を楽しもうと思います。

 そして翻訳にかかせない、専門性と語学力を磨きたい。今、実感しているのは「専門性」って本当に強い、ということです。長く携わってきた分野だからこそ、基本的な知識はもちろん、その裏にある歴史や背景、専門用語が染みついている。英文を読んでいて、第六感がはたらく。このレベルの直感を、他の分野で身につけるには相当な時間がかかるだろうと思います。翻訳者としての方向性を探っていた時期は、「教員」という経歴が何の役にも立たないことに落ち込みましたが、今の専門分野を開拓できてからはこれまでの経験がびっくりするほど役に立っていて、嬉しいし、楽しい。「早く専業に!」とあせっていた時もあったけれど、兼業が翻訳に役立つならオイシイと思うようになりました。

 そして、翻訳といえば語学力。英語力と日本語力の双方がなければ、話になりません。いろいろと翻訳講座も受講していますが、自分の授業のための準備もかなり役立っています。「1教えるには10を知る」とはよく言われること。今の二足わらじ生活では、授業準備の時間がそのまま翻訳の勉強時間になっています。「英文法に興味をもってほしい」と、分かりやすい説明を考えたり教材探しを始めたりすると、いろんな情報や知識が身に付きます。リーディングの授業準備では、翻訳者の血が騒いで、テキストの内容すべてを裏取りしたくなります(テキスト会社に問い合わせたこともあります)。「教える」という行為が、翻訳に必要な語学力の鍛錬につながっているのだと感じます。

二足のわらじで夢に向かう
「翻訳者」と「教員」という二足のわらじ。どちらかがすり減っても、スペアがあると思えば心強い。そんな二足のわらじを履きながら、目標の出版翻訳に向けてコツコツと歩んでいこうと思います。でも、今この文章を書きながら思ったのは、「専業の文芸出版翻訳者」という立場を得られても「実務翻訳者」と「教員」というわらじは捨てられるのだろうか、ということ。そのときは、きっと三足、四足、五足くらいのわらじを履く、ムカデ翻訳者かもしれない。まあ、それも面白そうだなあ。

寺田早紀(てらだ さき)
 京都出身。英日翻訳者。出版翻訳、記事・マーケティング翻訳。英語教師歴はそこそこ長い一児の母。訳書は『最新科学が証明した脳にいいことベスト211』(文響社)。ミステリとジャズ(チャーリー・パーカー)と手帳が好き。note https://note.com/sterada、twitterアカウントは @s__terada

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