翻訳と私〜すべてがここにつながっていたと、信じたい 独日翻訳者 鵜田良江さん
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翻訳と私〜すべてがここにつながっていたと、信じたい 独日翻訳者 鵜田良江さん

翻訳と私

鵜田良江
独日翻訳者、元化粧品開発技術者。訳書は宇宙英雄ローダン・シリーズ655巻『神聖寺院作戦』、ローダンNEO 24巻『永遠の世界』、『スターリンの息子』(いずれも早川書房)など。小児がんの娘と自閉症スペクトラムの息子とバタバタ暮らし。福岡市在住。Twitterのアカウントは@hexenkursです。メッセージはお気軽にどうぞ。

翻訳と私〜すべてがここにつながっていたと、信じたい

 はじめまして、の方がほとんどだと思います。ドイツ語から日本語への出版翻訳をしております、鵜田良江と申します。
 これまでに訳してきた作品は、共訳が2冊、単独訳が18冊。すべてがSFかミステリー小説です。英語圏のエンターテイメント小説の翻訳者で理系出身の方は珍しくないような気がしますが、ドイツ語となると少ないですよね。おまけに、大学でドイツ語や文学を専攻したわけでもなく、ゲーテ・インスティトゥートのような語学を学べる学校や機関に通ったこともなく、ドイツ語圏在住ではないどころか、ドイツ語圏に、いえ欧米にさえ行ったことがないとなると絶滅危惧種レベルのようで、経歴の話をすると珍獣を見るような顔をされたこともあります。
 おまけに、小説の翻訳者に連想されがちな、ちいさいころ浴びるように絵本を読んでもらったとか、小学生のころ山ほど読書をしていたとか、実家が西洋の教養あふれる場所だったとか……そういう育ち方もしていません。

 そんな私がどうして小説の翻訳をするようになったのか。「翻訳者になれるかどうかは12歳までの読書量で決まる」あるいは「翻訳者になるには留学経験が必要」そんな神話につまずきかけている方々の希望になればと思い、書かせていただくことにしました。


実家のこと

 まず、フェアではありませんよね(言っちゃった)。子どものころの経験で翻訳者になれるかどうかが決まるというのは。私の両親は大学に行っていません。父の仕事は土木建築関係、母は主婦。話によれば、ふたりとも、戦後の混乱期にずいぶん理不尽なことがあったようで、大学には行きたくても行けなかったそうです。父は高校卒業後4年で1級建築士免許を取得した努力家でしたが、文学を味わうような雰囲気ではありませんでした。

 私は1970年、昭和45年に生まれて、男は男! 女は女! といういかにも昭和的な家庭で育ちました。とはいえ兄弟がいたものですから、いっしょにテレビアニメのコンバトラーVやマジンガーZを夢中で見て、リカちゃん人形より超合金のミクロマンがほしいと言って周囲を困らせていましたっけ。長じてからも松本零士原作のアニメや機動戦士ガンダムを兄弟といっしょに楽しみ、少女マンガ雑誌のりぼんを読みながら、週刊少年ジャンプも読んでいたり。でもだって、リカちゃん人形よりミクロマンのほうがかっこいいじゃないですか(すみません、好みの問題です)。
 そんな実家にあって、母がくりかえし読んでくれた物語絵本が1冊ありました。
 それが『かずくんのきいろいながぐつ』(山下明生さく、柏村勲え、福音館書店 1973)。
 海に落ちてしまった黄色い長靴が、たくさんの色鮮やかな海の生き物と遭遇する冒険をしたあとで、持ち主のかずくんのもとに帰ってくるお話です。ふだんはあまり話さない、小言ばかりの母が、別人のように楽しげに語るあたたかな言葉、兄弟と布団にくるまって聞くわくわく感、最後に長靴がかずくんのもとへ戻る安心感。いまもはっきりと覚えています。

 三つ子の魂百までといいますが、このときに私の基本的な読書の姿勢は決まったように思います。たくさんの本を浴びるように読むのではなく、1冊の本をじっくりじっくり、覚えるほど読む。それからも、数は少ないものの、1冊ずつ、何度も何度も読んできました。
 そのなかで覚えている本は、小学校にあがる前に無理やり読んだ神沢利子作『ちびっこカムのぼうけん』、ディズニーのボード絵本『眠れる森の美女』(この物語の世界に入りこんだ私は、王女さまになっていたのではなく、王子さまといっしょにとんでもなく大きいドラゴンと戦っていました)、グリム童話『二人兄弟』や、いわさきちひろ絵の、メーテルリンクの『青い鳥』の絵本。小学6年生のころに友人から勧められた星新一のショートショート。中学高校ではまった、グイン・サーガやレンズマンなどのシリーズ。中学時代には、暇さえあれば図書室に行って、シャーロック・ホームズが並ぶ棚の前の床にぺたんと座り、端から順に読んでいました。
 やがて当時のエコロジー・ブームに乗って、環境庁入りを目指して大学に進学します。紆余曲折のすえ、林野庁まで二次の面接試験を受けに行ったものの……九州の山や田んぼで走りまわって育った私にとって、霞ヶ関の6階にあるトイレの窓から見た灰色のビルの景色は、ディストピアそのものでした。あぁこんなところでは働けない……その思いが顔に表れていたのでしょう。順当に不合格。なんとか化粧品メーカーに入社して、技術者として働きはじめます。

物語の翻訳を意識したとき

 こうしてざっとまとめると、たしかに本は好きだったみたいだけど、翻訳、ぜんぜん関係ない! という経歴に見えますよね。
 でも、環境庁入りを目指して理系コースで受験勉強をしていた高校3年生のころ、書店で1冊の本と出会いました。

水の時間 風の休日』(落合恵子、リクルート出版 1988)

 作家の落合恵子さんが書かれた4ページのエッセイが55編おさめられています。当時、なぜか突然、父から「女は大学に行かんでいい」などと告げられ、気持ちが路頭に迷いかけていたころ。「フェミニズムとは、個人が個人であることを拒む、外側からのあらゆる規制、侵略、決めつけに対する拒否の姿勢から始まる。」「足を踏まれた人が、踏んでいる人に『痛い!』と伝える時、少々声が高くなったところで、なぜ悪いのか。」そんな言葉を目にして、そうか、これは怒っていい状況なんだ、と、現実に引き戻してもらえた1冊でした。
 そしてこの本で、松岡享子さんの『サンタクロースの部屋』(こぐま社 1978)という本の1節がとりあげられていたのです。
「子どもたちは、遅かれ早かれ、サンタクロースが本当はだれかを知る。知ってしまえば、そのこと自体は他愛のないこととして片づけられてしまうだろう。しかし、幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。」

 この言葉に惹かれて、『サンタクロースの部屋』を手にとってみました。アメリカ合衆国の図書館で働き、子ども図書館でたくさんの子どもたちと接してきた経験からつづられた文章がまとめられた本です。子どもと本のかかわり、翻訳の言葉の大切さ……。

 こうして翻訳という営みがあることを知りました。環境庁に入って環境保護にかかわる仕事をしたい。でも、子どもの本の翻訳もやってみたい。とはいえ、どちらを選ぶかと悩んだ時間はあまり長いものではありませんでした。『水の時間 風の休日』のなかで、薬剤師をしながら一生をかけて子どもの本とかかわっていくと決めた女性のエピソードが紹介されていたからです。

 大学の農学部に入り、当時刊行されていた翻訳の雑誌(『翻訳通信』だったのか、『翻訳ジャーナル』か、はたまたべつの雑誌だったのか、はっきりとは覚えていないのですが……)に訳を応募して、ときどき載せてもらえたり、通信講座にも申し込んだりして、楽しく勉強を続けていました。この時期に、それまでほとんど読んだことのなかった古典的名作、赤毛のアンのシリーズやシェイクスピア、『風と共に去りぬ』、『高慢と偏見』など、手あたりしだいに読みました。ところが、大学で出会った化学に夢中になってしまったのです。夜通し培養細胞と格闘したり、液体クロマトグラフィー装置と添い寝したり、そんな研究室に入ることにしたので、物語の翻訳の勉強どころではなくなってしまいました。

 それでも、心の隅で子どもの物語や翻訳のことを気にしながらすごすうちに、いろいろな本と出会いました。瀬田貞二さんの『幼い子の文学』(中央公論新社 1980)、大学の教養部でお世話になった教授の影響で興味をおぼえた『子どもの宇宙』(岩波書店 1987)などの河合隼雄さんの著作。上の写真にある4冊は、私にとって大切な本でした。子どもたちが生まれてからも、たくさんの絵本と出会い、福音館書店の雑誌『母の友』を読んだりして、子どもと物語とのかかわりや、作家が細部にこめたメッセージなどについては、ずっと考えていくことになります。

病気、退職……

 化粧品メーカーに入社してから6年弱、おもに基礎化粧品や洗剤の新製品の開発を担当していました。グリセリンや界面活性剤などの原料まみれになりながら、やりがいを感じながら働いていましたが、慣れないパンプスを一日じゅう履いて歩きまわった日を境に、謎の体調不良に悩まされることになります。
 全身のだるさ、手足のしびれ。とくに朝がひどい。自己免疫疾患かな…と思って受診しましたが、診断がつきません。それでも何かがおかしいと松葉杖をついて通ってくる私を前に、業を煮やした大病院の医師は、なんと看護師にこう言い放ちます。
「この人、精神科に連れていって」
 それから神経症と診断されて向精神薬を処方されますが、ちっとも効かず、量を増やし種類を変えても、現れるのは副作用ばかり。ますます体が動かなくなり、退職することになりました。
 いまは、膠原病グループ関節リウマチ(自己免疫疾患です!)と診断されています。神経症と診断されてから2年後、精神科の担当医が次々に交代し4人目にして「あなたに薬は必要ないと思う」と言われ、向精神薬から解放されました。リウマチについては、扁平足だの(これはもはやネタ。どうしてこうぽんこつなお医者さんにばかりあたってしまったのか……)痛風だのと誤診が続き、ようやく診断がついたのは12年後のこと。いまの担当医には、精神科に連れていかれたあのころに発症したのだろうと言われていますが……まったくひどい話です。
 とはいえ当時、精神科にいくら通っても快方には向かわないし、自分でもなにが起きているのかわからない状態で、茫然と暮らしていました。精神科通院中の人に強い偏見を持つ人たちからは「頭がおかしい」「働かざる者食うべからず」などといった、ひどい言葉を投げつけられたりしながら。
 さてどうしようかと考えるなかで、愕然とすることになります。
 技術者、とくに化学系の技術者は、危険物を扱いますから、いったん大学や会社のような組織を離れてしまうと、あれほど努力して身につけた技術も知識もなんの役にもたたないのですね。体調がよくて再就職の見こみがあったりすれば、話はべつなのでしょうけれど。
 すっかり落ち込んで……いまにして思えば、視野が狭くて落ち込みすぎだろうと思わなくもないのですが、あの状況では仕方がなかったのかもしれません。多少の病気になっても、こんなふうにあっさりと奪われたりはしないなにかを身につけたい……そう悩んでいたときに、ひょんなことからドイツ語の本に出会いました。

ドイツ語!!!

 英語はそんなに不得意ではなかったし、辞書を引けばなんとかなる? と、わりと気楽に取り組みはじめたドイツ語の本。でも、さっぱりわかりません。
Sie schreiben es an sie an.
 たしか、こんな文だったと思います。代名詞だらけで、そのうえ分離動詞。代名詞の働きや文法を知らずに辞書を引いたところで、どうなるはずもありません。
 でもなぜか、あきらめようという気持ちにはならなかったのです。そうだ、語学力なら、病気になったという理由でかんたんに奪われたりはしないじゃないか。光が射した瞬間でした。
 そうはいっても、ドイツ語、手強いです。30日でわかる! という参考書で勉強しましたが、さっぱりわかりません。でも、偶然に出会ったドイツ語の本を読みたかったし、単語ひとつ覚えられただけで、文法事項がひとつ理解できただけで、すごくうれしかった。もう1冊、参考書を買って、こちらは例文を覚えるまで、何度も手で書いて勉強しました。ドイツ語の地図がなんとなく頭のなかでできあがってきたころ。
 この本を読みたくてドイツ語を勉強している、そう友人に話すと、私も読んでみたいという返事が返ってきました。仕事として翻訳をするのはむずかしいだろうけれど、友人に読んでもらうために訳してみるのはありかもしれない。でもそれなら、きちんと勉強しないと。こうして猛勉強が始まります。
 いまでも、どうしてあんなにがんばれたのか、夢中になれたのか、いまひとつわかりません。とにかく楽しかったのです。『やさしく歌えるドイツ語のうた』(田辺秀樹、NHK出版 2006)というCDブックに収録されていたドイツ語の歌を聞いて、その響きにすっかり恋をしてしまいました。診断のつかないまま進行するリウマチで体が言うことをきかなくても、単語ひとつ、文法事項ひとつを身につけるたびに、できることが増えていくような気がしました。崩壊した世界が再構築されていくかのような。本腰を入れてから4年間、1日に10時間、ドイツ語の文法の勉強。独学でレベルアップをはかるには、ドイツ語検定を1級ずつクリアしていくのが早道だろうと途中で思いついて、4級からはじめて、半年に1級ずつ、合格していきました。ドイツ語がある程度わかってきたところで、翻訳の通信講座も受けはじめます。
 そうこうするうちに経済的に逼迫してきました。体調も回復しないので、自宅でできる翻訳の仕事がないだろうかと思うのですが、ドイツ語検定準1級に合格した段階でできる都合の良い仕事など、そうあるものではありません。翻訳者ネットワーク・アメリアに入会して、ふと見つけた翻訳会社のホームページでドイツ語を含む多言語のリーディング講座があると知り、申し込んでみました。
 フィクションとノンフィクションについて、課題図書と自分で選んだ本を各1冊、合計4冊のシノプシスを書くという講座でした。期限は1年間。
 とにかくやってみようと取り組みはじめた矢先、大事件が起こります。


娘のがん

 いろいろとありつつも、娘は元気に楽しく学校に通っていました。ところが、小学校中学年のある日、学校で転んだといって帰ってきます。わき腹を打ったようで、熱が出て痛がって、夜も眠れません。整形外科を受診したところ、なんともないと言われました。それでも熱は下がりませんし、夜は眠れません。絶対になんともないはずはない! 母の直感です。あらためて行きつけの小児科に相談したところ、大病院の小児外科に紹介状を書いてもらえて、大きな病院に行きました。ところが、きょうは小児外科の新患は受け付けていないと剣もほろろなのです。絶対になんともなくない、きちんと診てもらえるまでは絶対に帰らない! という決意のもと、行きつけの小児科に連絡をとったところ、小児外科ではなく小児科で診てもらうようにと言われました。血液検査の結果、即日入院。小児がんでした。
 当時、下の子は幼稚園でしたから、祖父母がいるとはいえ、預け先の確保や、小学校や幼稚園との話し合い、病院と自宅の二重生活の調整……大変でしたが、落ち着いてみると、病院で付き添う保護者というのは、意外と暇なのです。いえ、楽だということではありません。ただ、待ち時間がたくさんある。リーディング講座、もうあきらめていたけれど、この時間に勉強を進められるんじゃない……? 悪魔がささやいてきました。
 まわりを見渡しても、病院で勉強をしたり仕事をしたりしている保護者はあまり見かけませんでした。でも、いいや、やっちゃえと。パソコン、ドイツ語の本、電子辞書を持ちこみ、病室の娘用の棚についている引き出し式のテーブル、25×50cmほどのスペースでリーディング講座の勉強を始めました。
 このころには、トライアルを受けてみないかというお話をいただいて、受けて落ちたりしていました。そうこうするうちに、病院のみなさま、医師や看護師や、チャイルドケアやアシスタントのスタッフさんにまで、なぜか応援されるようになり。珍しかったからかもしれません。英語ではなくドイツ語というのが。トライアルに受けて落ちても、落ちちゃったーと言いながら、ドイツ語楽しいー! なんて言ってる私が気の毒になったのかもしれません。でも、応援してもらってしまったら、あとには引けなくなっちゃうじゃないですか。

自分の時間?

 そうそう、娘の入院中、こんなことがありました。症例の少ない小児がんの治療をする病院って大病院ですから、いろいろな学生さんが実習にくるのです。医学生さん、看護学生さん、コロナの前には、それはたくさんいらっしゃっていました。そんななかで、ある日、熱心な看護学生さんがお母さんの話を聞いてみたいとやってきたのです。娘や下の子のこと、その合間にドイツ語の勉強をしていること、などなど話しているうちに、ふと、こう尋ねられました。
「自分の時間はどうしているんですか?」
 えーと。20歳になるかならないくらいの若い女性の学生さんです。まだ結婚はしてないはず。お子さんもいないはずです。インターネットの記事か、雑誌の記事かなにかで読まれたのかもしれません。子育てでは、母親が自分の時間、たぶん、おしゃれなカフェみたいなところでひとりでゆっくりすごす、そんな時間を確保するのが大切だと。
 虚を突かれました。そんなこと、娘の入院以来考えたこともなかったので。そのときにはこう返事をするしかありませんでした。
「そんなこと、考えてないです」
 それから頭をひねってみても、出てくる結論は、「すべてが私の時間」。娘や息子の世話をしながらふたりとなんだかんだ話している時間も、娘の治療の説明を受けている時間も、病院のスタッフさんと相談したり雑談したりする時間も、夜間に病院へ入れてくださいと警備員さんに挨拶をする時間も(すっかり顔馴染みになった警備員さんは、「明日退院します」と最後にお伝えしたとき、顔を真っ赤にして「よかったですねぇ」と言ってくださいました)、いろいろな手続きに走りまわる時間も、ちょっとした移動時間にドイツ語の音声教材を聞いている時間も、娘の病室の小さなテーブルでリーディングの勉強している時間も、ぜんぶ、自分の時間。
 たとえ5分10分であっても、ひとりになれる時間を確保しようと考えたりすれば、苦しくなってしまうと思いました。それに、同じ病気の子どもを持つ親御さんたちが経験せざるを得なかった悲しすぎることも、嫌でも視界に入ってくる。考えれば考えるほど、そんな形で手に入ってしまう「自分の時間」、ひとりの時間がリアルに目の前に立ち上がってくるのです。なので、もういいや、あんまり考えるのはよそうと思いました。いろいろ考えると苦しくなるから、とにかく必要とされるかぎり、子どもたちの手は放さない、それだけ。だから、できるだけの範囲でドイツ語を続けると決めました。ドイツには行けなくていい、それは私の目指すところではない、と。


翻訳者登録? ローダン?

 娘は1年以上入院してから退院しました。リーディング講座も、なんとか期限内にシノプシス4本を提出。フィクションの自由課題に選んだのは、ダウン症の男の子と出会った女の子が主人公の、児童書でした。
 とにかく仕事につながれば、リーディングスタッフになれたら、そう思って提出したシノプシスでしたが、まさかの「翻訳者で登録します」という連絡が入ってきました。
 1冊、リーディングのお仕事をしたあとで、トライアルのお話をいただきました。
 それが早川書房のSF小説、ローダンNEOシリーズでした。はじめに思ったのは、ほんとうに失礼な話で申し訳ないのですが、「ローダンって、なに?」でした。同じく早川書房のグイン・サーガ・シリーズ、そのあとがきでローダンが話題になったこともあるらしき、あの長大なシリーズを愛読しておきながら、まったく知らないなど信じがたいことではあるのですが、ほんとうに知らなかったのです。
 もし、宇宙英雄ローダン・シリーズを読んでいたら、50年という長い歴史を身をもって知っていたなら、とんでもないと断っていたに違いありません。私の場合は、知らなかったからこそ思い切って飛びこめたのだと思います。
 なんとかトライアルに合格したものの、出版翻訳のことなど右も左もわからないなか、突然ほうりこまれた小説の翻訳の世界。ゲラの校正記号の入れ方さえわからず、まさにオン・ザ・ジョブ・トレーニングでした。数々のご迷惑をおかけしてしまい、いま思いだすと恥ずかしいやら申し訳ないやら……。
 物語の翻訳を意識してから、30年近い年月を経ての翻訳者デビューでした。すべてがここにつながっていたと信じたい気持ちでいます。あれから5年ほどがすぎて、訳書も20冊ほどになって振り返ると、当時はほんとうに未熟で、それでも採用していただけたことには感謝するしかありません。
 SFもミステリーも、はじめての作品はトライアルに合格してから担当することになりました。ドイツ文学を学んでいない学歴や、留学経験がないといった経歴ではなく、訳文だけを見て判断していただけて、心から感謝しています。
 仕事として翻訳を引き受けるようになってからも、息子の不登校や自閉症スペクトラムの診断、娘の小児がんの再発と、いろいろなことがありました。ドイツ語!!!と、衝撃的な出会いをしてからいままで、ドイツに行きたくても行けるはずがなかったというのは、ご理解いただけるのではないかと思います。もちろん行けるものなら行ってみたいです。作品の舞台になった場所で瀟洒なペンションの部屋を借りて訳出なんて、夢みたいですよね。でも、SFの舞台ってアンドロメダ星雲だったり6000万光年先のおとめ座銀河団だったりするので、どうがんばっても行けません!

どこまでも続く勉強

 悪条件が続いても、できるかぎりに、できる努力を続けていくしかないと思っています。チャンスはいつ訪れるかわからないけれど、チャンスがきたときに実力がないなんてことになると、悲しいですから。
 上で触れたように、私はドイツ語検定の準1級には合格していますが、1級には合格していません。一次の筆記試験には合格したのですが、二次の口頭試験には合格できなかったのです。独学ではむずかしいな、と思いました。それから二次試験合格のためにドイツ語会話のレッスンを受けようという気持ちにはなれませんでした。なにしろ高額ですし、相手のいることですから、会話をする時間の調整もしなければなりません。子ども優先のいまは、そこに注力する時期ではないと思って。
 先日、あるSNSの翻訳者グループで、英検準1級でも翻訳の仕事はできるのかというのが話題になっていました。ドイツ語検定の経験から言うと、翻訳で語学検定1級の取得は必須ではないかもしれないけれど、1級の筆記試験に合格できるくらいの基本的な語学力がなければ、締切までに一定の品質で訳をするのはむずかしいのではないかと思いました。新人にまわってくるのって、ピンチヒッター的なお仕事、つまり締切までの時間が短い可能性が高いですし。
 ついにチャンスがやってきたときに、1級の筆記試験に合格できるくらいの基本的なことが身についていなかったとしたら、文法や単語を調べるほうに膨大な時間をとられてしまって、原文を深く読みこなすほうに時間をかけられなくなってしまいます。作家が随所に張りめぐらした関連の糸をとらえて、邦訳の読者が迷子にならないように訳を調整したり、歴史的・文化的背景の調査をしたり、ささいな記述からそれぞれのキャラクターの来し方を読みとってセリフに活かしたり、そういうことを重ねて訳を仕上げることができないうちに締切がきてしまう気がするのです。
 勉強って、いくらやっても終わりが見えなくて、勉強してもしても足りないことばかりで、広大な砂漠で小さな砂粒を拾いあげているような気分になることもあります。これだ、と思ったけれど、ほんとうに拾わなければならなかったのは3歩先の砂粒だったり。でも間違えて拾った砂粒もなにかの役にたつかもしれない。嫌になることがあっても、こつこつと勉強を続けていくしかないのだろうと思います。そしてどの砂粒も、じっくりと観察してみれば、たぶん、美しいのです。とはいえ、こういう気分で勉強するにも最低限の語学力は必要で、それが検定試験1級程度なのではないかと思っています。
 それからもうひとつ、白状しておいたほうがよさそうだなと思うのは、私がたまたまキリスト教徒だったことです。ドイツの神学校に通っていた聖職者様にお世話になっていて、はじめて出会ったドイツ語の本もキリスト教神学の本でした。ドイツ語圏のような、キリスト教を文化的背景とする言語圏の小説には聖書のモチーフがよく登場します。宗教的なことを知らなければ解釈がむずかしいこともあります。そのあたりを理解するためにキリスト教徒になる必要などないのですが、私はキリスト教徒だったおかげであらためて聖書の勉強をする時間を省略できて、すこし楽をさせてもらえたと思っています。

さいごに

 長い話に最後までおつきあいくださいまして、ありがとうございました。
 私もまだまだこれから。これからどんな作品に出会えるだろうと、わくわくしています。
 このところ、思うように誰かと会ったり遠くに行ったりできない日々が続いていますが、小説なら、6000万光年はなれた星にだって行けちゃうのです。読者の方々に安心して飛んでいっていただけるような、そんな訳ができるようになりたいと思っています。
 どうか、みなさまもお体には気をつけて! おたがいにがんばってまいりましょう。

鵜田良江
独日翻訳者、元化粧品開発技術者。訳書は宇宙英雄ローダン・シリーズ655巻『神聖寺院作戦』、ローダンNEO 24巻『永遠の世界』、『スターリンの息子』(いずれも早川書房)など。小児がんの娘と自閉症スペクトラムの息子とバタバタ暮らし。福岡市在住。Twitterのアカウントは@hexenkursです。メッセージはお気軽にどうぞ。

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翻訳と私
どんなに環境が変わろうとも、自分の軸がしっかりと根づいていたら、日々変わっていく風景にも心を惑わされることはないかもしれません。Where there is a will, there is a way.