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急にそんなこと言われても

昨日、英語の先生とのレッスンで「なぜヨガをするのか」の話をしていて
その理由の一つに「年齢的に後がない、運動を若い頃からしてきたわけでもないので習慣付けたい」という話になると
「なぜそんなに自分を駆り立たせるのか、頑張るのか」と言われて
はて、なぜだろう??と思いもう少し考えてみると
外見のコンプレックスを解消するため、それはきっとマインドに繋がっているということと
小さい頃から「自分はダメなんだという思いがあったから」と話すと
「それはどうしてそう思うのか?
世の中の目に映る色々なメッセージの中から
なぜそういったことをピックアップするのか」と言われ
「えー!なんでだろう??」と思って
さらにさらに考えるとそれは、親や世間の刷り込みやサブリミナルかもしれないと思った。
そして、常に誰かや何かと比較し比較されて生きてきているからかもしれない。
"You're wonderful, already wonderful."といわれた言葉にも
「そっかー、そうなのかなあ」と思ってみたり。

先月、ギターのM山さんのレッスンに行った時も
「無理にアドリブ・スキャットする必要はない。突飛なことをする必要もない。」と言われてちょっとびっくりした。
だってM山さんと言えばこんな人↓だから。突飛の極み。

特に私の場合は、世の中に揉まれて矯正されてきた部分があれど
基本的には人間同士の付き合いが苦手で繊細、詞とか書かせたらええんやろな、という人間で
それならば曲の持つ良さを活かした音楽をやればいい、とのこと。
「なんか『M山さんとやるなら即興ができないとダメでしょ』とか言われたり
みんなやりたがるからやってるけど
僕レベルにまでなると、『決めたことを最大限に表現することの楽しさ』も知っている」だそうで…。
苦手なこと、やりたいと思っていないことをやる必要はない。
他の誰かになる必要もない。私が私であることが重要なのだ、と。

なんというか、こう言うふうに
目にする現実が変わってくると、ちょっと不安になるじゃん。
不安と安心のチャンポンですよ。
急にそう言われても、今までのスパルタ的生き方から急にシフトチェンジするのって
意外と難しいというか…。もう、頭の中から再インストール必要なのかも、と思っている。


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