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平凡大学生が起業を決意するまでのストーリー

こんにちは。Chi&Qooの桑原です。

今回は前回書ききれなかった、私がなぜ動物業界で起業をしようと思い立ったのか、そのバックグラウンドをお話ししようと思います。





愛犬「ちーちゃん」との出会い


なんでもない日のお昼寝中の一枚。


とっても可愛いですよね。自慢の愛犬「ちーちゃん」です。

私が幼い頃に家族として迎え入れ、この子と一緒に成長してきました。

よく母親に怒られて泣く子だった私を慰めるように寄り添ってくれていた姉のような存在であり、学校から帰ると「どこ行ってたんだよ」と言わんばかりの不満を訴えるように甘えてくる妹のような存在でもありました。

私たち家族はちーちゃんからたくさんの幸せをもらい、ちーちゃんのことを溺愛していました。


突然告げられた「癌」


当たり前のような変わらない毎日を過ごしていたある日、突然ちーちゃんが痙攣を起こして意識を失ってしまいます。

慌ててかかりつけの動物病院に駆け込み、なんとか一命を取り留めたものの、獣医さんから告げられてのは「癌」の宣告。

この時ちーちゃんは僅か5歳。ここから長い長い闘病生活が始まりました。

常に体調に変化がないか様子を伺い、定期的な通院と毎日の薬の服用と私たち家族だけでなく、ちーちゃん自身も苦しい思いをして家族のために必死に頑張ってくれました。

しかし、病気は次第に進行していく一方で私たちも治療を続けるべきなのか、これ以上苦しむ姿を見たくない、などと葛藤の日々が続いていました。


そんな時にいつもちーちゃんは「大丈夫だよ、いつもありがとう」とでもいうかのようにそばに寄ってきて甘えてくれるのです。
その姿に何度も一緒に頑張ろう、少しでもこの子と長く一緒にいてあげたい、この子にちょっとでもいい景色を見せて旅立ってほしい。
そう思うようになっていました。

亡くなる直前の写真。
我が家では可愛すぎる奇跡の一枚として今も仏壇に飾られています。


長い長い闘病生活の終わり


そして月日が経ち、肌寒い天気が続いたある日、私がいつものように学校にいると声を震わせた母から一本の電話が入りました。

「ちーちゃんが亡くなった。」

急いで家に帰るとそこにはぐっすりと眠るように動かなくなったちーちゃんの姿がありました。

小さな体で5年間も戦いぬき、天国へと昇ったのです。


10年。
人間である私たちにとってあまりにも短い時間で一生が過ぎ去り、ちーちゃんは二度と会えない存在となりました。

幼い時から一緒に過ごしていた大切な家族を失った私は途方に暮れていました。

「この子にとってどんな一生だったんだろう」
「うちにきて幸せだったのかな」
そんなことが頭の中いっぱいに広がっていました。



愛犬を看取って思ったこと


愛犬のちーちゃんを看取って感じたこと。

それは、「うちの子は幸せだった。」ということ。


今まで感じたことのないほどの喪失感に駆られ、写真を見返すとそこには楽しそうに走り回るちーちゃんの写真の数々。
警戒心を忘れ、番犬としての自覚などないかのように大の字で寝転びお昼寝をする姿。

野生を完全に忘れているちーちゃん


どの写真を切り取ってもちーちゃんは一生懸命、全力で”今”を楽しんでいました。
その横にはいつも笑顔で見守る家族の姿がありました。

たくさん辛い思いはしたけど最期まで愛し愛された家族のもとで一緒に過ごせた。

自己満足かもしれませんが私にとってはこの事実だけで
「この子は幸せだったに違いない。」
そう胸を張って言えます。




ちーちゃんだけが特別な存在だったのか


そこでふと、感じたことがあります。

「ちーちゃんは選ばれた特別な存在だから幸せな一生を送ったのか」

答えはNOだと思います。

もちろん、私にとってちーちゃんは特別な存在ですし、誰よりも愛しています。

しかし、言ってしまえば私がちーちゃんを愛しているのは”たまたま偶然出会ったから”
ちーちゃんからしても”たまたま愛してくれる家族のもとにきた”だけ。

もしもこの”たまたま”の歯車が1mmでもずれていたら、ちーちゃんは愛する家族に出会えていなかったかもしれません。


今の社会では、ちょっと横を見てみれば”たまたま”のせいで命すら尊重されず闇に葬られてしまう動物たちがたくさんいるのです。


これってとても怖い話じゃありませんか?




幸せな一生は”たまたま”ではなく”当たり前”


犬・猫が幸せな一生を過ごすのは”たまたま”ではなく”当たり前”であるべきだ。
次第にこの思いが強くなっていきました。

これが私が起業を決意した一番の理由です。


なぜChi&Qooなのか


ここまで私が起業を決意するまでの話をざっと書いてきましたが、最後に伝えたいのは「なんでChi&Qooという名前にしたのか」ということです。

ChiとQooは私の家族の二匹のチワワの名前です。(今回はくーちゃんの話には触れられませんでしたがまたの機会に、、、)

私はちーちゃんとくーちゃんは人間の元に迎えられて一生を過ごしたペットの理想像であると考えています。
安心して暮らせる環境があり、甘えられる家族がいる。
最期までどんなことがあってもそばにいてくれる家族がいて愛する家族の腕の中で最期を迎える。

これは動物たちにとっては願ってやまない理想であると考えます。

しかし、現実にはこの理想とはかけ離れた状況に置かれている子もいます。


そんな動物たちにこの2匹のような”当たり前に幸せな一生”を送ってほしい。

そんな思いから「二代目ちーちゃん・くーちゃんを全ての動物にしたい」からこの名前で活動しようと決めました。


そして何より、この二匹はこれからもずっと私にとっての原動力なのです。




ここまで拙い文章を読んでくださりありがとうございました。
少しでも私の想いがあなたに伝わってくれたら嬉しいです。






最後に、愛してやまない二匹の写真を添えて。




Chi&Qooはこのnoteを投稿する2024年2月26日に開業いたしますので引き続き活動を見守り応援いただけると嬉しいです。

全ての動物がChi&Qooになるその日まで。(ちょっと言い方変ですね。笑)



次回以降はnoteを使って事業の近況報告をしていこうかな、、




Chi&Qoo
桑原


















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