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一番古い記憶

自分の中にある一番古い記憶について考えたことはあるか。

友人と話しているときに気づいたのだけれど、もしかしたら自分は人よりほんの少し、記憶のキャパシティーがあるのかもしれない。

もちろん全てではないが、たまに自分でも引いてしまうぐらいに細々としたところまで記憶に残っている。友人に話すと「よく覚えているね」と驚かれることがしばしばあって、覚えてないの人の方が多いのかもしれないという感覚に陥る。

ただ20代の真ん中に差し掛かった最近になって、その様々な記憶を抱えていることが辛くなってきた。自分の記憶に付き合いきれなくなってきている気がする。

例えるならカメラやスマホの容量がなくなってパンクしていくような、そんな感覚。写真を撮ったらアルバムにしまうなり、SNSにあげなければいけないのかもしれない。

この2020年を経ることを考慮しても、それだけに限らないがメンタルが少しずつ蝕まれ死んでいいくのを身をもって体験している最中だからこそ思う。

ずっとずっと、自分の記憶を整理したかったのかもしれない。

自分の良い記憶も居心地の悪い記憶も整理して、少しでも現在の状態から脱せたらいいなと願って。

一番古い記憶

SNSで胎児記憶の話を目にしてからずっと考えていた。

考えた末に行き着いたのは、沐浴をされている私を円になって上から覗くように笑顔で私を見ている母と親戚の姉たちの記憶だった。

私はアジアの北にある田舎村で生まれた。アジアと日本のミックスだ。

もっというと母はまた別の国のクウォーターらしいので、私はダブルクウォーターとも言える。この表現が正しいかはわからないけど。

私を出産した時、母は20代半ばで父は40代半ばだった。

今の時代から考えると当時はその年の差や国際結婚はめずらしく容易ではなかったのだろうなと、そこまで知識の無い私でも考える。

入籍時に役所の人から「詐欺じゃないだろうね?」と疑いをかけられたと母も笑って話していた。

母の家(祖父母の家ではなく母が買ったので母の家なのである)は浴室とお手洗いが一緒になっており、通常の部屋から床を一段下げ全面タイル張りのような造りになっている。分かりづらくて申し訳ないけどこれが私の語彙力の限界。

母はその入り口に腰掛け、脚を伸ばして座り、自分の体側に私の頭がくるよう私を寝かせて沐浴をさせていた。

私から見て母が真上に、そこから円を描くように親戚の姉たちが覗き込むように私を笑顔で見ていた。

私が生まれたことは田舎も田舎に加えて、母の祖父、つまりは私の曾祖父が村に小学校を建てたのもあり村では話題になったらしい。知らんけど。

20代になって帰国したときも「○○さん(母)の子どもなのね!」と知らない人から声をかけられることがあるのでビックリする。正直心の中は「誰やねん」状態だけど母の教えどおり綺麗に笑顔で挨拶をすることが私の仕事である。

我ながら、この記憶が自分の中で一番古い記憶だなんて本当に幸せものだと思う。

記憶の始まりということは、私の始まりだと思う。

いつも思うけど、死にそうなくらい辛いときでも必ず周りに人がいることを忘れてはいけない。

別に支えてくれているとかそんな大層な重要な人物じゃなくてもいい。

働けなくなった今の状況でも、何かしらの形で側にいてくれる人がいることを身にしみて感じている。友人たちには本当に感謝である。

友人でも親でも、なんなら好きなアイドルや推しでもいいと思う。

きっかけでもう少しだけ生きてみようかなとか、多分そんなんでいいと思う。

とりあえず私も、死ぬまで生きてみようかなっていうところまで思えるようにはなってきている。

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