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家紋の始まりの話

こんにちは、ちびっとです。
今回は家紋ってどうやってできたの?って話をちょっとだけ深く、でも素人程度に掘ってみようと思います。

家紋とは、日本固有の紋章。

家紋は個人を識別するものというよりは家族を識別するものであり、縁組では図案は変化せず、一家族だけでなく家系全体で同一のものを用いる。分家の場合は本家の家紋に若干の違いをつけて区別する。 ー via. 紋章 - Wikipedia

家紋は「家族を識別するもの」。
だけど、もう一つ「家族を識別する」ものがありますよね。

「家紋」は家族を識別するもの。つまり「名字」に関わってくるもの。
だからまずは「名字」について知ってから、本題である「家紋」について書いていこうかと思います。


名字の誕生

遠い昔。名字がまだない頃。
古代ヤマト王権は氏族の連合政権でした。この中心にいたのは大王家。大王家はのちに天皇家となります。

氏族の長という立場から別格の存在になった天皇家は、氏族に「姓(かばね)」を与えました。これは自らの臣下であることを示し、当初は称号に近いものだったけど、そのうち氏族の地位を示すものになっていきました。

さらにそのうち天皇家は、分家した一族にも「姓(せい)※ 原則変更不可 を与えて臣下にして各氏族と同列に置きます。
そしてこの頃には「姓(かばね)」とか「氏」という概念もなくなってきて「姓(せい)」に統一されていきました。

平安時代になると、朝廷の役職は「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」と呼ばれる源氏、平氏、藤原氏、橘氏といった強力な4つの氏族が占めることになり、その中でも特に藤原氏が圧倒的な力をもって重要な役職を独占したわけなんですが、数がいすぎて区別がつかない(笑)。

そこで藤原氏の公家達は、自分の屋敷のある土地の名前をとって「一条」とか「九条」などの「屋号」を使って区別するようになりました。

平安時代後期には武士が誕生。武士達も自分の支配する地域の地名を「名字」として名乗りました。その後「屋号」と「名字」は「名字」に統合され、「姓(せい)」とは違って自分の意思で自由につけられる「名字」は室町時代には庶民にまで広がっていったのです。

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ちなみに鎌倉時代には名字は武士身分の者が名乗るものという風潮がありましたが、そもそも武士と農民の境界も曖昧だった時代なので、室町時代頃には庶民の間でも名字をつけるケースもあったそうです。

しかし戦国時代(室町時代後期)に豊臣秀吉が「刀狩り」を行い農民から武器を取り上げ、江戸時代には武士・農民・商人などの身分階層(士農工商)が完成。

そして「苗字帯刀(みょうじたいとう)」名字を持って武器を持つことが武士の特権となり、名字を名乗るのが許されたのは武士や公家など限られた身分となる(大地主や大きな商家、宿場の本陣家、一部職人などは公的に名字を名乗るのが許されていたそう)。
とはいえ公的に名乗れないだけで、実際は全ての庶民が名字を捨てることはなかったと考えられているんだとか。


参考にしたのは以下の本。

以下の記事も面白かったので合わせてぜひ。



家紋の誕生 ━ 公家の家紋

奈良・平安時代になると、朝廷に仕える公家達が、自分好みの「文様」を装飾としてあしらった衣服や家具等を使うようになり、そして家柄によってそれぞれ特有の文様を使う風習が生じます。

これらを近代以降「有職文様(ゆうそくもんよう)」と呼ぶらしいのですが、装束や調度・輿車・建築内装などに用いられた伝統的な文様で、起源は古代オリエントで発生し世界各地へと伝播した由緒ある文様群とされています。

で、この文様をきっかけとして平安時代の後期頃、家紋が自然発生的に生まれたと言われているんです。

なので全ての家紋が同じような理由で誕生したというわけではなく、例えば牛車に使われていた文様が転じて家紋になったり、公家が好んで着用していた衣服の文様を由来として家紋が生まれたり。

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また先祖を偲んでという「先祖が好きだったもの」をモチーフにしたり...と様々な由来から家紋が生まれたんじゃないかと言われています。

時代背景として「名字」という「家族を識別するもの」が広まってきた頃だからこそ、余計にこういった「分かりやすい目印」みたいなものが重宝されたのかもなぁ、と思ってみたり。

ちなみに貴族の家紋はこういった背景から発生したため、優雅な紋が多いのが特徴。シンプルなものももちろんあるけど、描くのが面倒なものが多い印象。

いくつか Adobe Illustrator で描いてみたのだけど、近衛牡丹とか描くの大変すぎて参りました(笑)。

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━ 有職文様から生まれた家紋

例えば「七宝輪違い」という文様から家紋が生まれています。

井筒-8_七宝輪違い

ここでは例としてすでに作っていた「七宝崩し井筒」をご紹介。井筒というもんを囲っているのが「七宝」で、上の模様「七宝輪違い」から派生したものです。

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━ 「先祖が好きだったもの」をモチーフにした家紋

菅原道真が梅が好きだったことから「菅原氏」の家紋は「梅鉢紋」を使用。
また菅原道真を祀った神社は全国にありますが、そのほとんどが梅の紋を使用しており、福岡の太宰府天満宮では「梅花」、東京の湯島天神では「梅鉢」の紋が使われています。

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武家の家紋

武家が家紋を用いるようになったのは、平安時代末期頃。
源平の対立が激化する中、敵味方の区別をつきやすくするため、また自分の手柄や動きをアピールするためなどの目的で幕や旗に描かれたとされています。

ただし平安時代に家紋を持っていた武家は多くなく、ほとんどは鎌倉時代になってから持つようになったそう。そして定着したのは鎌倉時代中期と言われています。

平安後期に至って、源氏・平家が中央貴族の武力を担って相争うようになると、いずれかに属した武士たちは、自分の功名を大将に認められることで、先祖代々の土地を守った。それには、自分の働きを大将に印象づける印が必要となる。そこで生まれたのが、武家の家紋だったのである。
貴族の家紋は優雅であり、武家の家紋がシンプルであるのは、ここに理由が見いだせる。複雑なものより、 単純な意匠の方が大将の目に残りやすいからに他ならない。また命を懸けて土地を守ったことから 「一所懸命」の言葉も生まれたのである。このように、貴族の紋はおくとして、 武士の名字と家紋は、武士が命を懸けた生き様から生まれ、いまに伝わってきた。仇やおろそかかにはできないものである。 ー via. 名字と家紋_column

明確にこの頃に作られた家紋を調べてみたかったのですが明確な時代がよく分からなかったので、鎌倉時代の有名そうな武家の家紋をご紹介。

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以下、参考にした記事です。



「模様」「文様」「紋様」の違い


記事を書くにあたって気になった「模様」「文様」「紋様」の使い分けについて。

美術・工芸における模様の様式をさすことばとしては、「文様」という慣用が確立しています。また、織物、染め物などの模様を「紋様」と呼ぶことがあります。こうした使い方を踏まえたうえで、放送では次のように使い分けています。

模様[モヨー]・・・ 「文様」「紋様」を含む広い意味で一般的に使う。
文様[モンヨー]・・ 美術・工芸における模様の様式をさす場合は「文様」と してもよい。
紋様[モンヨー]・・ 特定の分野で慣用が固定している場合に限って使う。

ー via. 「模様」?「文様」?「紋様」? | ことば(放送用語) - 放送現場の疑問・視聴者の疑問 | NHK放送文化研究所

上記は放送業界としての使い分けですが、模様は全体に使えるらしい!
そして文様と紋様はこちらが感覚的に分かりやすかったです。

自然と出来上がった模様が「文様」で、人工的なのが「紋様」という感じですかね。業界でも差はあるでしょうが、私はこのように理解してみました。



手描きの家紋

最後にこのリンク先が興味深かったのでご紹介。
NHK長野放送局で放送していた番組らしいのですが、「竹に雀」を実際に描いていく様子を写真とともに紹介しています。写真もっと大きくお願いしたかった!

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実際に描いていらっしゃる所、一度でいいから生で観てみたい!あとこの型を触ってみたいです w


調べてると他にも気になって調べたくなるけど今回はこんなところで。明らかな間違い等ございましたら優しくお教えいただけたら嬉しいです(笑)。

もしよかったら以下に家紋のあれこれ、まとめています & いきますので、ご覧くらださいませ。



最後まで読んでいただきありがとうございます。 暑くなってきたので冷たい飲み物が美味しいです。