松野苑子『遠き船』30句撰
薄氷に縄文土器の模様かな
脚痙攣しつつ羊は毛を刈られ
草雲雀りりりと誰の恋敵
猫の恋巨大スクリュー影を生み
雪解けて甲骨文字のやうに草
鶯の鳴く方向よ正面は
吹雪く夜の密告の舌ならば切れ
出目金のいつもどきどきしてをりぬ
凍滝の全長光る木霊かな
アロマ一滴硝子全面緑さす
灯の電車人を零してクリスマス
耳鳴りの呪文の中を去年今年
削げば刃に鱗飛びたる寒の晴
炎心の透明バレンタインデー
露の玉一瞬眩み分かれたる
点滴の管を流るるものに虹
夏落葉踏みて体の内の闇
らうそくを点け滝音の冥くなる
一本の後ろ無数の曼珠沙華
月光に置く陵王の神楽面
来し方や東京タワーに月刺さり
悲しみの芯は無色や氷柱に日
削られし岩肌咳の沁みゆくか
薄氷のつつと二つになるところ
百年をただ放心の雛の口
桜ふぶき人のかたちを消してゆく
叫びたきことは原色アマリリス
寂寞の砂丘は女体日の盛
焚火その炎が風になる境
菜の花の大地の起伏光りあふ
所感
正直なところ、この30句が『遠き船』の魅力を十分に表現できているかどうかは自信がない。街同人である松野苑子氏は、私からすれば大ベテランの俳人であり、ここに挙げた感銘30句以外にも巧みさを感じた句や面白さを感じた句は多かった。むしろこうやって並べてみると、私の撰は面白さや突飛さ、珍しさにウェイトを置きすぎているような気もする。
松野氏の“特徴”を強いて挙げるとすれば、客観に見せかけた主観、すなわち写生の殻の中に自身の内面を詠み込もうとしている点だろうか。つい先日、きごさいに掲載されている『句集別加藤楸邨100句 岩井善子選』を上から辿った際の印象として、楸邨が批判に晒されがちなのは、表現が自身の内面を指向しているために、理解され難かったり、嫌悪や反発の対象になるという側面があるのではないかと感じた。(むしろそういった“おぞましき部分”を掬い上げていくことこそが芸術の意義だと私自身は思うのだが。)
松野氏の作風にもどこか師系を感じたものの、内面の指向を読み取ろうとする私の解釈にはやや断章取義のきらいがあるのも確かだ。なにより、松野氏は長きに渡って『鷹』で技術的な裏付けを培ってきたのだから。
https://kigosai.sub.jp/bs/?page_id=25563
松野氏からは学ぶことばかりなので、今後とも多くのことを吸収していきたいと思っている。ここに挙げた以外にも勉強になった句がたくさんあった。
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