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昭和99年

私は昭和生まれです。
平成でも36歳だから、それ以上です。

だから、昭和時代について話します。最初に、幼稚園ですね。
バスで通っている人はいませんでした。みんな徒歩で通ってくるしかなかった。
その幼稚園ぐらいの年齢の子供たちが亡くなることは珍しくありませんでした。
当時は白血病や心臓病、風疹などで亡くなることも多々ありましたし、
季節で言うと、7月くらい(夏)は川や海で亡くなる人も多かった。それが普通の状況でした。夏休み明けに友人がいなくなることも珍しくなかった時代。本当に人口が多かったです。
だから、どこに行ってもたくさんの人がいました。だから、人が亡くなっても、すぐに新しい命が生まれるという感じでした。
家族も、その時は悲しいけれども、2人目や3人目の子供がいるから何とかなると希望を持つことができた時代でした。私も実際、兄がいたらしいが、私が長男だし。

生活時間も以前とは異なりました。
私は”セブンイレブン”の登場が影響していると考えています。
それまで殆どの人が21時ごろには家に帰っていたはず。
飲み屋以外は基本的に21時には閉まっていました。そして、飲み屋も24時ごろには閉まっていました。昭和前半の街並みでは、24時以降にはほとんど人が歩いていなかったです。(まー新宿とか渋谷、六本木などの東京とかの繁華街は別として)
後、昭和の前半までは東京都千代田区に住民は少なかったもの。

最近は、アニメでしか見かけない『暴走族』が実在しましたが、
都会の人々の意識が変わって、暴走族よりもクラブに通うようになったかなー。
当時はディスコと呼ばれていたかもしれませんね。
うるさいバイクの音から、低音の音楽に若い人たちは魅了されていったのかもしれません。

私が思う人々の生活時間を大きく変えたのは、
昭和48年(1973年)に”つぼ八”が生まれた事、
昭和50年(1975年)に”セブンイレブン”が24時間営業に変わった事かな。

これによって、人々の行動パターンが変わりました。
居酒屋チェーン店である『つぼ八』や『村さ来』、『養老乃瀧』の営業時間が、朝の5時まで延長されるようになりましたし。
そして、帰宅途中にはコンビニがあるため、何時でも帰宅できるようになりました。これによって、昔の人々も24時間戦えるような日常が実現しました。
当時「リゲイン」と言う滋養強壮剤(精力剤)の謳い文句として
『24時間っ戦えますかっ🎵』と言うキャッチコピーが流行ったり。
今でいう「ユンケル」かなー。

しかし、この時代ではまだ一般的に携帯電話を持っていなかった。代わりに、公衆電話が至る所に設置されていたが、お金を入れる手間が面倒だった。
そこで、「テレホンカード」というものが登場した。
このテレホンカードにはアイドルやアニメなどの絵柄があり、高値で転売されることが流行したんです。その後、ポケベルから携帯電話に進化し、現在はスマートフォンが主流になった。

昭和から平成、令和と時代が変わりました。
私が一番面白いと思うのは、昭和時代には「ピンク産業」と呼ばれていた仕事です。

現代では、違法な活動や逮捕される可能性が高い営業が増えてきたのも「昭和」時代からです。
この話題については、別の機会に詳しく書くことにします。
ただ、私が一番笑ったお店は『ちちのや』(吉野家の造語)で、一度行ってみたかったです。ただ、私は関東人なので、大阪にある『ちちのや』はなかなか遠かったです。ですが、関東には新宿歌舞伎町があり、私はそこに住んでいたので、面白いお店にはたくさん行くことができました。
今後はその辺りのことを書いていく予定です。

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