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地域資源を見つけて観光資源に昇華するために その1「民俗学的アプローチ」

その土地には必ず地域資源があると感じています。
私は、取材記者~旅行情報誌の編集長~魅力発掘プロデューサーとして現在に至る35年間の間、その時その時の立場で、ずっと地域資源を活用した観光振興に取り組んでいます。
その一例として「民俗学的アプローチ」について記します。
 
民俗学的アプローチとは、その土地の歴史、文化、口承伝承などを対象とした情報収集アプローチです。日常生活を観察し、自分で見聞・体験し、その土地ならではの傾向を発見し、さらに、莫大な日本民俗学の学的蓄積と照合し、「確からしさ」に迫る方法論です。特徴としては、その行動の源泉が取材者自らの興味関心からはじまるので、その探究心の強さと興味関心の方向性次第で、今までにない観光資源を突如創出することです。
 
一例を挙げます
松原神社の河童の「ひょうすべ」像(佐賀市)
 
経緯
筆者が2009年秋、同市に赴任して日も浅い頃、まちの視察中に松原神社に寄った際に「河童のひょうすべの木像があります。ご覧になりたい方は作務所まで」という掲示を見つけて、拝観した。
 
背景
背景松原川には河童伝説があり、川沿いには河童のモニュメントが複数あったが、いずれもその起源などにふれるものではなく、伝説のリアリティは感じないでいた
 
結果
一目見た時に、なにかしら異様な雰囲気を感じた。通常私たちが感じる河童の姿とは程遠い姿で、いわば、宇宙人か、土偶のように見えた。
 

後に神社に祭られたひょうべ像(後述)


進捗
・その謎を知るために、神社に伝わる言い伝えを聞いた上で、小松和彦氏ほか民俗学上の河童関連の文献をつぶさにあたったところ、段々と真実が見えてきた。そしてそれら個々の伝承を繋ぎ合わせ、地方史書に調査対象を拡げたところ、中世の奈良、京都さらに四国の宇和島から佐賀県武雄に到る足跡をたどることができた。その結果、この河童一族の時空を超えた悲しい流浪の旅の物語として紡ぎだすことができた。
 
発表
・文献を丹念に当ったって繋いだ所、なぜ、この河童のひょうすべがここ佐賀市内に安置されているのか、の輪郭が見えてきたため、それを「新説」であるとして、夜のまち歩きの際に披露し、神社の協力を得て、ツアー客だけ特別に陳列して見せてもらえるようになった。
 
反響
ツアーのクライマックスにこの話をし、さらに同じタイミングで調べていた佐賀の化け猫騒動とあわせて紹介したため、「人に尽くしたのに邪険にされた」という共通点を訴求したためインパクトも高まり、地元メディアが一面で特集を組むなどしてくれた。
 

佐賀新聞さんの総力取材


レガシー(残ったもの)
まちあるきツアーが評判を呼んだことで、当時の権宮司の発案でこの「ひょうすべ」像を祭神とした新たな神社「河童社(かわそうしゃ)」を建立。いつ行ってもお参りができる新たな訪問スポットとなり現在に至る。
 
感想
ねじり鉢巻きに筋骨隆々の肉体だけど、足腰の関節が常態とは違う形。そして、どんぐりまなこと堂々とした立派な鼻。暗い作務所の隅ではじめて対面した時の衝撃は忘れられません。なにか、ひょうすべの無念の想いがこちらに伝わってくるように感じました。そして、決定的だったのは、「ひょうすべ」の発音。それまで神社では「兵主部」と漢字をあてていましたが、民俗学的な説をあてると「日雇統」ではと疑問を覚えた。日雇統として調べたところ、陰陽師からはじまる歴史の暗部が生んだ生き物だということに確信を持てた。「あくまで仮説だが」としたうえで、ツアー客には自信をもって紹介した。このような口承伝承には強烈に人の心を動かすエッセンスが入っているのが常だが、これもその例にもれずツアーのクライマックスのお話しに相応しい物語として供出できた。
 

恵比須・化け猫・河童伝説 佐賀のお城下ナイトウォークツアー自治労スペシャルを終えてキャストで記念写真

いかがでしたでしょうか?ちょっとマニアックかもしれませんが、ネットでの情報検索が主流となりSNSなどで「好きなものを掘り下げる」傾向が強くなった現在、消費者の探究心もその向かうところは深く狭くなっています。ですので、情報発信者である私たちもまずは自分の「好き」を磨いて、まずは「自分が深く調べる、自分を好きを掘り下げる」というスタンスを失わないようにしたいものですね。そういう時こそ、その対象の歴史、口承伝承を収集しじっくり分析する民俗学的アプローチは役に立つことと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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