魔法の森

野良猫目線の物語。 驚異の連続。 これはフィクションであってノンフィクション。

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最近の記事

のんびり生きたいのに

気づかないまま生きるのか、痛みを伴うけども気づいて前を向いて歩くのか。周りからなにを言われても自分の信念や価値観を曲げずに生きることは、それはそれで正しくもあり何も誰にも迷惑をかける事ではない。 新しい価値観を取り入れる時に、おそらくかなりのショックな出来事や周りからの圧力のようなものが働く事がある。 人はそれを被害的にとらえるのか、はたまたこれは何か自分の価値観を広げるためのものととらえるのかはその人次第。 ものさしを広げるという事に値するのだと思うけれど、新しい価値

      • 見えているものが全てかどうか。

        今見えているものは自分が作り出した世界か否か。 私の脳が作り出した世界で他の人には全く違う世界が映り込んでいるとしたら。

        • 伝説の猫屋台ラーメン

          「ピーラリ」 霧がかかった夜更けに突然現れる。と噂されている猫が屋台を引いてくるラーメン屋がいるらしい。 それは誰かの想像の中で作られている物語なのか、それとも実際現実に存在するのかは明らかではない。だから「伝説」なのではないだろうか? アラブの大富豪がどんな大金をつんでも、かわいいアイドルがどんな手を使ってお願いしても現れてはくれない。 そのラーメン屋を呼ぶためには、その屋台の店主が「よし、じゃあ行ってやるか」と思わせる何かがないとダメなんだそう。 それはある意味

        のんびり生きたいのに

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        • エッセイ
          2本

        記事

          人の記憶

          人間の記憶はいつでも書き換える事ができる。 トラウマは存在しない。自分にとってショックな出来事があった時は、その事に対して「おめでとう」とお祝いをしてあげよう。 起こった事象に対しての捉え方は人それぞれで、育った環境や経験等によって千差万別だけれど「苦しむ」という選択はしなくてもいい。 「こんなひどい事が起こっているのにそんな呑気な事をして」と周囲から批判されるのであれば苦しんでいる様を装うのも仕方がないかもしれない。 ただ、心の中では「おめでとう」とお祝いをしてあげ

          人の記憶

          摩訶不思議な猫

          「さあどうする?」 1匹の猫が突然現れた。見た目はとても綺麗とは言えない。むしろボロボロになっている。どこを彷徨ってここに辿り着いたのか、はたまた何歳なのかも全くわからない。 「明日生き延びるかどうかわからないから最後においしいものでも」 とさしだした食べ物にくらいついてむさぼり食べるその姿は、今までの壮絶な経験を物語っていた。その時は、このご飯を食べたらきっとまた他の場所を渡り歩くのだろうと思っていた。それからが始まりの時とは知らずに。

          摩訶不思議な猫

          「まっていたよ」地下に通じる階段をおりていくと魔女のような人にそう言われた夢を見た

          「まっていたよ」地下に通じる階段をおりていくと魔女のような人にそう言われた夢を見た

          結界

          人との距離、動物との距離、物との距離。特に今はソーシャルディスタンスといった文言がはびこっている。このご時世、距離を間違えると大変な問題に発展しかねない。それは、今まで誰も口には出していなかったけれども、察して欲しい部分の問題だったであろう。1人で行った飲食店で「今ここには座って欲しくない」と思う場所に、平気でぺちゃくちゃ話しながら腰掛ける脳天気な人類を戒めるにはちょうどいい時代に突入した。  今行っているあらゆる行動はまさに「結界を張る」作業のような気がしてならない。それ

          ありとあらゆる事象はもともと決まっていて、自分自身の意思では争う事は出来ない事実に気づいた時、人は覚醒と言われる現実を体感することになるという事。

          ありとあらゆる事象はもともと決まっていて、自分自身の意思では争う事は出来ない事実に気づいた時、人は覚醒と言われる現実を体感することになるという事。