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魔法の色は恋の色

「口紅…?」
美味しく限定品のチーズケーキを食べるミルフィーユに、ランファが熱く語りかける。
「そう!あの口紅で有名なシャネラ社の最新作が、先日発売されたばかりでね、その色合いが凄く絶品なのよ~♪」

日差しの良いとある街のカフェで、エルシオールから離れて休日を満喫しているエンジェル隊の面々。その机には、フォルテやミント、ちとせ、ヴァニラ達も座っていた。他愛ない世間話をしている間、ファッションの話でランファはふいと話題ブランドの口紅の話を熱弁し始めていた。

「確かに、シャネラ社の口紅は流行そのものだと言われるほど、センスも質も最高級と言われてますわね。」
「さすがミント、分かってるじゃないっ、それに今月の占いによると、私のラッキーカラーはローズレッド!丁度今度発売される新製品と同じ色よ!これさえゲットできれば、今月の男性運もばっちりという訳!ということで~、今からみんな一緒でコスメ専売の店にいかない?」
「え~、でもまだ食べてみたいケーキいっぱいあるのに~。」
「なに言ってるのよ、ミルフィーったらさっきからずっとケーキ食べ放題してるじゃないっ。」
突っ込む蘭花に頬を膨らせるミルフィーユを見て、フォルテが微笑む。

「はは、ミルフィーらしいね。…そういえば、ヴァニラやちとせとミルフィーは、口紅付けるとこあまりというか、殆ど見ないね?」
「仕事するのに、必要ないですから。せいぜい乾燥防止のリップぐらい…。」仕事熱心のヴァニラ。
「私も、正式な社交の場ならともかく、普段は特に必要がある訳ではないので…。」生真面目なちとせ。
「それに、パーティとかでは食べ物食べる度に落とさないといけないし、その後付け直さないといけないし…。だからあまり付けたくない…。」そして食い気旺盛なミルフィーの反応である。

そんな彼女らに、蘭花は頭が痛くなったような表情を浮かべ、フォルテとミントがそれぞれ笑い出す。

「あらあら、ヴァニラさんとちとせさんらしいですわ。」
「ほんと、ミルフィーも正に色気より食気な答えだねぇ。」
「あのね~、ヴァニラやちとせもそうだけど、特にミルフィーは彼氏持ちとしてもう少しコスメに気をかけるべきよっ。」

「ちょ、ちょちょちょっと!どうしてそうなるの!?タクトさんとは別に関係ない…」
「大有りよ!どうせあんたのことだから、デート中でも口紅全然使ってないでしょこの大食い娘!いい?口紅は魔法のようなものよ!男女が更なる進展を求めるには、デートでの雰囲気ほど重要なものはないっ、そして口紅は、その雰囲気を支配するための大事なアイテムの一つなの!」
身を乗り出して熱く語る蘭花に圧倒されるミルフィーユ。
「口紅を正しく使いこなせば、仲を進展させるだけじゃない、相手を手玉に取るように意のままに動かせることすら可能なのよ!」
「て、手玉に取ってって…。」
タクトを手玉にとって何させる気なの、という突っ込みは言い出そうで言い出せないミルフィーユであった。

「…少し大げさだが、キスするだけでも半年以上かかるお二人さんには、確かに少し刺激があってもいいかもねぇ。」
フォルテが言う。皆に指摘されるまでは、キスすること自体思いつかない二人。相手がミルフィーユなだけに、タクトが自粛しているかも知れない。だからこそ、ミルフィーユも何らかのアプローチがあった方が良いのでは、と思った。
「まあ、元気なミルフィーさんはつけない方がらしいかもしれませんが、たまにはイメチェンしても宜しいかと。最近は食事でも落ちにくい口紅が作られてますし、タクトさん、いつもと違うミルフィーさんを見たらきっと喜ぶと思いますわよ。」
「そ、そんなものなのかなあ…?」
ミントの言葉に、少し揺らいでは照れるミルフィー。普段と違う自分を見て嬉しく微笑むタクトの笑顔が思い浮かんできたからだ。

「そうに決まってるの!あんた達、明日から二日間デートするんでしょ?今回を機に試してみれば分かるわよ。」
「ランファの言うとおり、一度やってみる価値はあると思うよ。口紅は香水と同じぐらい、人を魅了する効果を持ってるからね。例えば熱情溢れる真紅のレッドでアピールすれば、普段控えめなタクトも大胆に迫るようになって、果ては大人なムードになってそのままゴールインするまで発展しちゃうとか…。」

「フォ、フォルテ先輩っ、公衆の場でそんな発言は…っ。」
「セクハラ発言は、良くない…。」
真っ赤に慌てるちとせと突っ込むヴァニラに、フォルテはニヤニヤとしながら紅茶を啜る。ミルフィーユ本人はただ顔を火照らせて俯いて唸ってるだけだった。

「そうそう、新製品の口紅を買うついでに、明日のデート用の口紅も買ってあげるわ。ヴァニラとちとせも、今回を機に見学すれば、きっと口紅の素晴らしさが分かるわよ。」
「ランファ先輩っ、私は別に大丈夫ですから…。」
「だーもうっ、つべこべ言わないでさっさと行くわよっ!」

こうして蘭花に引っ張られてワイワイと騒いでは、六人のエンジェルの口紅巡りが始まった。

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その日の夜、寝巻きに着替えたミルフィーは街の滞在先のホテルで、ベッドに背をもたせていた。

「もう、ランファったら、一度言い出したらやめないんだから…。」

暫くぼーっと天井を見つめては、手元にもっている口紅に視線を移す。その後一同は、コスメ店でいろんな色を試しに塗ってみたが、なかなか色を決めることが出来ず、やがて蘭花が今月のミルフィーユのラッキーカラーとして選んであげたのが、このエメラルダ社のブルーレッドだった。(ヴァニラとちとせもミントとフォルテが選んであげたが、また別のお話である)

「タクトさん、本当にこれで喜んでくれるのかなあ…?」

明日のデートの場所はこの街のテーマパーク。基本的にそんなに食事する訳でもないから、試しにつけてみるのもありかな、と思う一方、心にどこか引っかかっていた。店で試しに色んな口紅をつけてみたが、どこか言い表せない、違和感を感じていたからだ。

ミルフィーユは鏡の前に座り、もう一度口紅をつけてみた。一抹の鮮やかな色が、瑞々しい唇に描かれる。---確かにいつもとは違う可愛さが感じられ、大人びて色気も多少帯びてるように感じる。けどやはり、どこか物足りない。何か重要なピースが欠けているような、そんな感じの違和感だった。めいっぱい微笑んでみても、控えめに笑ってみても、その感覚が消えることはなかった。

(なんだろう…なにがいけないんだろう…?着てる服と似合わないから?光加減のせい?…う~ん分かんない…。)

鏡の前で違う角度で、異なる表情を何度も試しても、結局答えはでなかった。果たしてこのまま明日のデートにいって良いのだろうかと、妙な不安を覚えるミルフィーユ。

(考えてもしょうがない、今は休んで、明日になってから考えよう…。)

ふと小さくため息をついては、ミルフィーユはベッドに横たわる。だが完全に眠りに入るまで、その目は机に置いた口紅にずっと向けられたままだった。

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翌日の朝、天気予報どおり晴れ晴れとした空の下で、私服姿のミルフィーユはタクトとの待ち合わせの場所へと向かっていた。

「はあ…どうしよう、つけようかな…つけないかな…。」

ミルフィーユは手に持った口紅を見る。結局、未だに口紅を付けるかどうか決めかねていた彼女は、とりあえず口紅をもって、つけたいと思ったらすぐにつけようにしていた。

「とにかく、今は早く待ち合わせ場所に行こう、タクトさん、もうついているのかも…って…え?」

ぽっぽっと、小さな水の粒が頭を打つ、顔をあげたら、さっきまで晴れてた空は、いつの間にかどす厚い雲に覆われ、やがて盛大に雨が降り始めた。
「うそ!?さっきまで晴れてたはずなのにどうして!?」

急の出来事に、ミルフィーユはとにかく急いで近くの軒下へと駆け寄る。が、

「きゃあっ!?」

走る途端、何もないはずの道でいきなり盛大につまづいてしまう。
「いった~~~っ…、もう、どうして…て、あっ!」
起き上がろうとするミルフィーユはすぐに気づいた。手に持った口紅がつまずいたと同時に飛び出て、路面を転んで排水溝へと転んでいくのが。いけない、落ちてしまう!
「ダメ!まって…!」

急いで拾い上げようとするが、その努力もむなしく、ぽちゃんと虚しい声とともに、口紅は排水溝の奥へと落ち、降り出した雨によってすぐさま流されてしまった…。

「ああ…っ。」


----日差し除けとして持った傘をさして歩くミルフィーユの心は、今降る雨と同じぐらいに重たかった。天気予報では一日中晴れのはずなのに、いきなり雨が降るのは、間違いなく自分の凶運のせいだ。それならまだしも、せっかくの口紅までも落とすのは予想外であり、とても悲しかった。
「こうなると知ったら先に口紅つけるべきだったなあ…。」
先ほどまではつけるかどうかに悩んではいたが、それでも心のどこかで、タクトに見せて喜ぶ姿を多少なりとも期待している気持ちも、やはりあったと気づくミルフィーユだった。

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「あ、ミルフィーっ。こっちこっち。」
やがて着いた待ち合わせの場所となるテーマパークの前に、近くの軒下でタクトが手を振っていた。心なしか、落ち込んでいた気持ちも少し晴れてきたミルフィーユ。例え雨でも室内タイプの施設なら心おきなく楽しめる。彼との時間を満喫して、嫌なことは忘れよう。そう思って、ミルフィーユは多少駆け足で彼の元へ寄ってゆく。
「まさかいきなり雨が降るとは思わなかったよ。ミルフィーは大丈夫?雨に振られてない?あ、ちょっとだけ濡れてるね?」
「えへへ、大丈夫ですタクトさん、これぐらいなら平気です。…ごめんなさい、今が雨が降ってるのは多分…ううん、間違いなくあたしの運のせいだと思う…。」
「…やはり、そうだったんだ。」
「え?」
タクトはまるで納得したような感じで、申し訳なさそうにテーマパークの入口を見る。それにつられてミルフィーユもそちらを見ると---

パークの入口では、『臨時休園』の看板が立てられており、アトラクションの機械が、なぜかいっせいにトラブルを起こし、やむなく臨時メンテに入ったという旨が書かれていた。
「そ、そんなあ…、ここのアトラクション、このあたりで一番有名だからぜひ遊びたかったのに…。」
不幸続きとは正にこのこと。今までも似たようなことを二人で何度も会っていたが、今回ばかりはタイミングが悪すぎると言うべきか、口紅の件もあって、さすがに堪えたミルフィーユは先ほどよりも落胆して俯いてしまう。

「ミルフィー…。…ほら、こうしてもしょうがないさ。ここはプラン変更して、まだ行ってない街の店でも見に行こうっ。何か新しい発見があるかも知れないしっ。」
そんな彼女を見て、タクトはいつものように励ます。
「タクトさん…。」
少し悲しそうな目で彼を見つめるミルフィーユを、タクトは更に元気の込めた声でにかっと笑う。
「なぁに、凶運の後は必ず幸運も巡って来るさっ。だからほら、ミルフィーも一緒に笑って気合い入れいこうっ!そうすればすぐにでも運が回ってくると思うよっ!」
彼の言葉に、ミルフィーユも徐々に元気を取り戻し始める。そう、運に嘆くこと自体が凶運そのもの。ましてや自分は、一人で凶運と戦ってる訳ではないから。今までがんばってきたように、今回も運には負けず、精一杯楽しもうっ。
「そう、ですね…。そうですよねっ。よ~し、今回はいつも以上に精一杯楽しんでやるんだから…っ。」
「その意地だよっ。それじゃほら、気合い入れて---」

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予定外の街での散策は、意外と悪くはなかった。暫くしたら雨は止み、巷の隅にある独特な風味を持つデザート屋を見つけたり、雨に降られて普段よりも綺麗でフレッシュな公園の空気が味わえたり、人通りが多くていけなかった街の名所の展望台へ行けたりと、様々な体験と新しい発見と共に二人の時間を満喫した。

「さっきのストリート・マジック。思った以上に面白かったよね。」
「はいっ、まさかあたしの髪から鳩さんが出てくるなんて、本当にびっくりしました…っ。」
街を歩き回った二人は、やがてあるチェーンのカフェで足を休ませながら、先ほど街で出会ったストリート・マジックの話題で楽しく盛り上がっていた。ここで注文したマンゴーパフェも、思った以上に美味しいものだった。

「それにあの覆面マジシャン、マスクを取り外した時も驚きましたっ。まさか女性で、しかもとても綺麗な方で…。」
ふとあのマジシャンの顔がミルフィーユの脳内をよぎって、口ごもる。端正な顔立ちでありながら、その秀麗さをさらに際立たせる、鮮烈なルージュ色の口紅。つけてるのがマジシャンなだけに、その色はまるで本当の魔法のように、その人の魅力を極限に引き出していて、同じ女性でありながらも胸の高鳴りを感じずにはいられなかった。自分も口紅を落とさなかったら、タクトに自分の違う一面を見せてあげることができたのだろうか。違和感のことなど気にせず、積極的に試して見るべきだったと、多少後悔を感じてしまう。

「どうしたの、ミルフィー?」
「あの…タクトさんは…もし、あたしが、口紅をつけたら、やはりおかしいと思います?」
「口紅…?」
唐突な口紅の話にきょとんとするタクト。
「た、例えばの話ですよっ?ほら、自分でいうのもだけど、あたしって口紅は合わないと思って、必要あるとき以外殆ど使ってませんけど、で、でも、時々イメチェンしたい時もあるんじゃないですかっ。そ、それで、タクトさんは口紅つけているあたしを、どう思うのかなって…。」
慌てて早口で説明するミルフィーユを、タクトはただその様子をじっと見つめているだけだった。
「す、すみません、変なことを言って…、やっぱり合わないですよねっ、いきなり口紅なんかつけてもおかしいだけ---」
「いや、そんなことはないよ。」
「え?」
返事をするタクトは、どことなく嬉しい表情を浮かべていた。
「本当はデートの終わりに渡したかったけど、丁度良かった。ちょっと手を貸してくれるかい?」
「タ、タクトさん…?」
困惑するミルフィーをよそに、彼女の手を取るタクトは、何か細長いものを掌に置いて、優しくそれを握らせる。戸惑いながらも手を引き戻し、ゆっくりと手を開けると----

「これって…。」

そこには、素質ながらも明るさを感じる花の模様が描かれた容器が一本。

「口紅…?」

殆ど無意識に蓋を開けてみたら、目の前に花が咲いたように、柔らかで朗らかな色が、瞳の中へと映りこむ。

----まるで春そのもののような、桜色の口紅。

訝むミルフィーユは不思議そうな表情でタクトを見て、彼も少し恥ずかしながら語り始める。
「ココとアルモが教えてくれたんだ。この街では、男性の女性への贈り物の定番として、口紅を贈ることが風潮だって。それで二人にアドバイスして貰って買ってきたんだ。しかもこの色、どうやら期間限定のもので、"運よく"最後の一つが残ってたんだ。その時、これは間違いなくミルフィーに贈るべきものだと確信したよ。」

今だに信じられないような顔をしていたミルフィーユは、口紅とタクトを交互に見て行く。
「…ひょっとして、気に入らなかったかな?口紅の色。」
「そ、そんなことないですっ。」
ぶんぶんと顔を横に振って、妙に照れながら喋りだす。
「ただ、まさか丁度タクトさんから口紅を貰うことになるなんて、夢にも思わなくて…。タクトさんは…みて、みたいですか…?口紅をつけた、あたしを…。」
少し恥ずかしながら問う彼女に、タクトははしゃぐように答える。
「勿論さっ、いつもと違うミルフィーが見れそうで寧ろわくわくするよっ。…本当は、ひょっとしたら口紅つけるのが嫌かもしれないと思って、贈るかどうか迷ってたけど、まさかミルフィーも同じこと考えてたなんて、なんだか嬉しいなあ。」

じわりとした温かさが、ミルフィーの奥底から滲み出る。先ほどまで心に残る憂鬱も今や完全にどこかへ消えゆき、桜色の口紅に負けないくらい明るい笑顔を見せた。

「えへへ、あたしもとっても嬉しいです…っ!」
口紅もそうだが、お互いの考えが知らぬところで通じ合ったことが、それ以上に嬉しかった。

口紅は、明日の植物園のデートで改めてつけるということで、その日はそのまま帰ることになったが、ミルフィーユの心は、雨が降り止んで澄み切った空のように晴れやかだった。


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「ふう、植物園って思ったよりも街から離れてるな…。」

次の日、タクトは連絡バスから降りて、この地方でも有名な植物園へと向かっていた。この星特有の植物がふんだんに集められ、観賞用から農業用まで幅広く扱っており、季節ごとに咲く花で彩られた園内はデートスポットとしても有名である。いつもの能天気な感じで鼻歌を歌いながら、タクトはこれからのミルフィーユとのデートに思いを馳せる。天気も今のところ晴れており、問題はなさそうだ。

(あ、あのカップル達も植物園にいくのかなぁ。それに女の子の方、口紅をつけているね。)

道中では、女性とすれ違うたびにどうしても目が唇の方にいってしまう。その色のバリエーションは実に豊富で、華やかだ。見ていてついミルフィーユが口紅をつけている姿を想像して、にやけてしまう。実際、ココとアルモに指摘されるまで、一緒にいたあの半年間でも一度もミルフィーユと口紅を結びつけるような考えはなかったし、普段口紅をつけなくても彼女は十分可愛いから、特に気にはしなかった。だがいざ意識し始めたら、つい期待を膨らせてしまう。

(さっきの子、口紅つけてて可愛かったなあ~。ミルフィーが口紅つけたら、きっともっと可愛いんじゃないかな。)

口元が段々と緩んでるのに気付き、いけないと軽く自分の頭を叩いては、無意識に駆け足となっていた。程なくして植物園の入口が見え、ミルフィーユの姿が目に映った。

「あ、タクトさん。」
「おはようミルフィー、待たせてしまっ…」

彼女に駆け寄るタクトの言葉が、ふと止まった------


程よい光沢に、やんわりとしながら明るさに溢れる、一筋の桜色が、愛おしいミルフィーユの唇に塗られていた。初めての口紅による恥らいで頬が少し赤く染められており、はにかんで微笑む彼女の笑顔が口紅の色と相まって眩しくタクトの目に映る。

「いいえ、あたしもついたばかりですから…。」

激しい鼓動の衝撃が、タクトの胸をドクンと打つ。愛嬌のある恥じらいの声、それを紡ぐ艶やかな唇、心なしか服も普段より淑やかなコーデになっている。いつも見慣れたミルフィーユでありながら、まるで女性と初対面したかのような気分にさせるような、不思議な雰囲気を纏っていた。

(ミ、ミルフィーってこんなに可愛かったっけ…?いやいや!普段も十分に可愛いけどっ…。女の子って、口紅一つでここまで変わるのか…?)

初めて口紅なだけに緊張するミルフィーユに、まじまじと自分を見つめるタクトを見てさらに気恥ずかしくなっては心配そうに聞く。

「や、やっぱり口紅を付けたのはおかしかったでしょうか?口紅に合うように、昨日の夜急いで洋服店で似合いそうな服を探してきましたけど…それともどこか問題が…」
「そんなことないっ、とても似合ってるよっ!ああ、すごいなミルフィーっ、完全に見違えたよっ!」
ギクシャクしては、ここ数日間一番嬉しそうな表情で褒めるタクト。耳まで真っ赤のままで。それに気付くミルフィーユも、彼の初々しい反応に驚いていた。

(な、なんだかタクトさん、凄く嬉しそうだけれど、いつもと違うような…。これも、口紅をつけたからなの…?)

いつもあたり前のように一緒に過ごした二人でも、互いの空気の変化に気付いて俯いて黙したままになる。それでも二人の間の雰囲気は、これでもかといわんばかりに熱されているのが感じられる。いけない、このままでは二人とも卒倒しそうだ…っ。

「と、とにかく行こうミルフィーっ。ここ大きいから、早く行かないと回りきれないしねっ。」
「は、はいっ、そうですね、行きましょう…っ!」
手を取り合って園内へと向かう二人。お互いの手からは、心まで届くほどの熱が伝わっていた。


---「あ、見てくださいタクトさん、これ、宇宙チューリップですよ。」
そよ風に当てられて小さく揺らぐ赤い宇宙チューリップを嬉しそうに手を添えるミルフィーユ。
「この品種の宇宙チューリップの球根は、糖分が豊富で製菓材料として有名なんです。あたしも良くこれを使ってお菓子を作ってましたよ。」
園内を散策しながら植えられた花々を鑑賞する二人。さすがこの街随一の植物園であって、目を張るものが揃っており、それを見て楽しそうにはしゃいで見回る彼女。
「そうなんだ、うん、すごいね。」

微笑しながら相槌を打つタクト。どことなく上の空な感じの彼は、入園してからずっと気が気でならなかった。その視線は、ついつい彼女の唇に惹かれてしまうからだ。

(うう、なんだか凄く申し訳ない気分だ…。)
そう思っても、それでもその彩られた唇から目を離すことはできなかった。いじらしい仕草をする時も、元気にはしゃぐ時も、どんな表情をしても、それらを更に鮮やかに飾る色。あたかも何か魔法をかけられたかのように、自然と注意がそこへと逸れる。

(どうしてそこまで気にしてるんだろうオレ…。同じ口紅をした子には、今までこんなに動揺することはなかったのに…。)
ふと、似たようなコーデをする子が近くを通る。その可愛さを引き立てる口紅の色もまた見事に綺麗なものだが、やはりミルフィーユのと比べると何かが違うように感じた。今まで綺麗に着飾った女性とは、それこそ星の数ほど会ってるのに、なぜただ一人ミルフィーユだけ…?

「そ、その、タクトさん…。」
「え?」



「ち、近いです…。」
「あ!?ご、ごめん!」

タクトは慌てて離れる。知らぬ内に、彼女の顔に近寄りすぎていたのだ。まるで口紅そのものに引力があるように。
ミルフィーユも、紅潮する顔を伏せて動悸を抑えるのに必死だった。彼女もまた、今日タクトの視線がずっと自分の顔に、唇に釘付けしていることを気にしていた。

(タ、タクトさん。やっぱり今日はいつもとは違う感じがする…。まるで魅了されたようにずっとこっちを見て…。これが、ランファが言っていた、口紅の魔法なの…?)

「ちょ、ちょっと座って休もうか?さっきから歩いていて、さすがに疲れたなあ。」
「そ、そうですね、そうしましょうっ。」
さすがにこれ以上は別の意味で気まずいと思ったか、二人はすぐそこにあるベンチで座りながら、七色に満ちた満開の園内を眺めていた。その絢爛に咲き乱れる花達を見て、二人の心も徐々に落ち着きを取り戻す。

「綺麗ですよね…。エルシオールの展望公園も、花が咲く季節は綺麗でしたけど、ここはそれ以上に綺麗に整理されてる感じがします。」
暫く眺めると、自然と感想を口にするミルフィーユだが、やはり多少緊張感が篭っているようだ。
「そうだね、今日はここに来て本当に良かったよ。思った以上に良い場所だったし、」
この雰囲気に耐えかねたのか、タクトは一呼吸してから思いっきり素な気持ちを語りだす。
「いつもと一味違うミルフィーが見れたのが一番嬉しいよ。正直、さっきからずっと君から目が離せなかったぐらいだから。」
「タ、タクトさんったら…。」
改めて悶々とした気持ちを素に伝えて、先ほどまで形容しがたい気まずさがようやく融けたように、向かい合って微笑む二人。それでも二人の頬は相変わらず火照っていた。
「でも、嬉しいです。最初は恥ずかしかったけれど、思い切って試してみた甲斐がありました。」
照れながらえへへと微笑む彼女。
「うん、オレも大好きなミルフィーの…」
ふと何か思いついたのように、タクトは道を歩く女性を見てから、改めてミルフィーユの方に顔を向ける。

「タクトさん?どうかしたのですか?」
「そっか…やっと分かったよ、なぜミルフィーだけ綺麗に見えるのが。」
「ど、どういうことですか…?」
唐突な彼の言葉に戸惑うミルフィーユに、タクトは落ち着きながらも喜びを含んだ声色で答える。
「実はさっきからずっと気になってたんだ。着飾ってる女性なんて一杯見てきたのに、何故ミルフィーだけは、見ていてドキドキっしぱなしなのが。それは多分、いや、間違いなく、つけるのが宇宙でただ一人大好きなミルフィーだから。ミルフィーが作るケーキだから美味しい、ミルフィーが見せる笑顔だから嬉しい。その理由と同じで、ミルフィーがつける口紅だから、可愛く魅力的にみえる…。君という恋人だからこそ、ものは特別になりうるんだ。」
「タクトさん…。もう、そこまで言われると恥ずかしいです…。」
口ではそう言うものの、率直なタクトの言葉に、気恥ずかしさよりも満ち足りた幸福感が、温かく体の中を満たしていた。多少俯き気味になりながらも、目はそんな彼の瞳を見つめたままだ。

「あっ。」
「え?どうしたの?」
ふと声を上げるミルフィーユ。タクトの瞳の中で、自分が幸せそうに笑っている自分が見えたから。この瞬間、彼女もようやく分かってきた。口紅をつけた自分に何が欠けていたのか。そのピースがいま正に、彼女の側にいたのだ。
「タクトさん、あたしも分かりましたっ。自分の口紅姿に、何が足りなかったのか…っ。」
「足りないもの…?」
さっきとは反して、今度はタクトがポカンとして彼女を見つめる。
「はいっ。実は最初、口紅をつけてる自分がどうしてもおかしいと感じてたけれど、それの理由がやっと分かりました。あたしが塗る口紅は、他の誰のためではないから、他人や自分が見て評価しても意味がないんです。これは…す、好きなタクトさんに見せるためのもので…タクトさんに見せて、喜んでもらうものだから…。」
「ミルフィー…。」
それを聞いたタクトも、胸の奥から暖かな気持ちがじんわりと滲みでて、照れながら幸せそうに微笑むミルフィーユを見つめては微笑む。

間違いない、これが口紅を魔法たらしめる一番大事なもの。口紅単体では、つける人を少し綺麗に見立てるぐらいしかできない。けれどそこに、思い人と一緒にいて、恋という"色"が添えられて初めて口紅の魔法が成就される。そう、今タクトの指が、自分の唇を愛しく触れてくるように-----

「タ、タク…っ!?」

ようやく気付いて言葉を発そうとするミルフィーユの瑞々しい唇を、タクトの指がさらに愛しく触れて遮る。あまりにも、あまりにも自然と触れてきたから、気付かなかった。

いきなりの出来事に強張るものの、ミルフィーユの気持ちは寧ろ蜜に浸かってるかのようだった。指先からタクトの体温が自分の唇を火照るようにして伝わり、それが小さく自分の唇を撫でる度に、彼の熱が意識を溶かしてゆく。潤ってもの言いたげなタクトの瞳から、訴えている思いが直接心に響かせてるようにくっきりと分かる。

「ミル、フィー…。」

ぴくりと体が震わす。声一つだけでも、とろけそうな熱が心地よく感じるぐらいに体を駆け巡る。ファーストキスをしてから、口付けなんて何度もしてきたのに、それがあたかも初めてキスを交わすように緊張してしまう。これも、口紅の魔法の一環…?

偶然にも人通りが少なくなったが、魔法に魅了された二人にはもはや関係なかった。
ミルフィーユは自然と瞼を閉じる。恋色の魔法に導かれるままに。
タクトがふらりと顔を近寄せる。口紅の魔法に酔われながら。

ーーーその日のキスは、いつにも増して不思議な甘さに満ち溢れていた。


ーーーーーーーーーー

「おや、ミルフィーちゃんじゃない。お帰りなさい。」
「あ、ただいま、おばちゃんっ。」

エルシオールスタッフの休暇が終わり、人員が続々と戻ってくるこの日。荷物を置くよう部屋へと向かうミルフィーユは、同じ休日明けで食堂へと向かっているおばちゃんと回廊でばったりと出会った。

「休暇明けなのになんだか機嫌が良さそうだね。何か良いことでもあったのかい?」
「えへへ、ちょっとだけ、かな?」
多少照れながら口に添えるミルフィーユの手には、先ほどふと取り出して眺めていた、花の模様が描かれた一本の容器が握られていた。
「あら、それって口紅?ミルフィーちゃんがそれを持ってるだなんて珍しいわね?」
「あ、これですか?」
少し驚いたおばちゃんに、ミルフィーユは元気と幸せで一杯な笑顔で答える。

「これは、本当に大事な時だけに使う、あたしのとっておきの魔法ですっ。」


ーーーその後、相変わらず普段のときも口紅を殆どつけないミルフィーユだが、極稀に、明るく咲く桜のような色が彼女の唇に彩られており、そしてその時は決まって、側には思い人のタクトの姿がいたという。

(終わり)


後書き
ミルフィーユが初めて口紅を試すお話、いかがでしたでしょうか。
話のアイデアは、アニメを見てるならご存知の、ミルフィーユがドレス姿で口紅をつけてるあの話からです。元気な彼女がつける口紅はとても印象的でした。ただ、アニメでは純粋天然で都会育ちと言ってあり、性格的に口紅つけることに違和感無かったのですが、ゲームや漫画系は菜園を作るとか、色気より食い気と蘭花に言われるなど、どことなく田舎娘な雰囲気がしてたので、あまりつけそうな感じがしないこともあって、この話を作ってみました。イラストにもあるミルフィーユのバッグの模様も、その話から拝借してます。

時間軸はMLからELまでの半年間。恐らくキスも段々と慣れて普通にイチャイチャしあう仲になってるはずなので、キャラの性格や反応は、特にミルフィーユはそのあたりも意識して書いてます。前半まではいつもどおりの元気さを、凶運を通して強調するようにし、後半は口紅を通して"初心"に戻らせ、ML後半の初めてキスを交わす時のような初々しさを醸し出すことにしてます。服装も、前半は活発で動きやすい服にし、後半はもう少しお洒落な服にして区別してます。

今回大変悩んだ部分としては、やはりテーマとなる口紅の色の選定ですね。ご存知な方もあると思いますが、イラストで塗られているミルフィーユの口紅の色は、桜よりも多少赤よりの色となってます。最初はそのままミルフィーユの名前にも出てくる桜の色を使いたかったのですが。ミルフィーユ自身の髪色と被ってしまって目立たなくなるのに気づいたのです。アニメのスタッフも恐らくそれに気づいて、赤めの色にしたことを、画面を見れば気づくと思います。自分としては明るい桜色の方が元気な彼女に似合うとは思いますが、悩みに悩んだ挙句、結局はビジュアル的を優先して赤めの色にしました。ちなみにご参考として下に描いてる途中の、違う口紅の色を並んだ画像を晒します。皆様はどちらがいいのでしょうか?w タクトはどっちかと言うと全部一通りキスしていくのかも知れない、というかミルフィーならば全然気にしないのかもw

それと、構成力や文章力の問題もあって、中盤の凶運から元気だしてのデートは少し硬いと自分は反省してますね。もう少し円滑に展開できればと思いますが、残念ながら自分の能力では今が限界。いつか実力が向上したら、また改めて書き直ししてみたいですね。

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