芥川龍之介『俊寛』

平家物語では熊野詣の真似事にも参加せず何を祈る様子もなかった俊寛が、真面目に信仰心を持っている姿を読むと、謎が解けたような感覚。
平家物語の俊寛のイメージからはあまりにかけ離れていて別人。本文中でも琵琶法師の語りは間違っていて(この作品における)真実は~となっているくらいなので当然だけれども。

最初に平家物語を読んだとき、熊野に見立ててお参りを始める康頼と成経が不思議だったのを思い出した。ごっこ遊びのようなことをしているのは、寧ろ罰当たりなような気がして何だか不安にさえ思った。
最近ではそれが帰京に繋がったという平家物語の世界に慣れつつあったけれど、鬼界が島を熊野に見立てたことを芥川龍之介が子供の遊びに例えているのを読むと、違和感を覚えていた頃に引き戻されるようだ。

鬼界ヶ島にないものを嘆く成経、茶化す俊寛、それに怒らず悲しむ成経、気の沈むも笑いながら慰める俊寛、その慰めに怒り「笑われる方が本望」と言う成経、吹き出す俊寛。
この流れはドタバタと激しいけれど、喜劇と悲劇の境界を感じた。

鶴の前の話は源平盛衰記にあるという。こうした細かな話にも興味はある。
平家物語ほど楽に手に入らないのと、混乱して疲れそうなので読むかは分からないけれど。

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