芥川龍之介の俊寛像

芥川龍之介の俊寛像が面白かったのでもう少し追ってみた。

・美の基準、見た目の好みの話題にも仏教知識を持ち出す(その後も細々と出てくる)
・魚や肉を食べることを理論で肯定する
・島流しの艱難をも仏教的に捉えなおす
・鶴の前に惹かれたばかりに島流しになったと主張、謀叛を企てるような「貪嗔癡の三毒」の害は受けなかったと言う
・卒塔婆流しをした康頼について、神仏を祭文や香花と引き換えに冥護を与える商人のように考えていると批判。風向きを考えて沢山流すという行動を見て、ほんとうには冥護を信じていない「現金な男」と言う
・「岩殿と云う祠」について、康頼と成経の願は成就したが、成経の女房が成経が島を去らぬよう願ったのは叶わなかったことを「諸善ばかりも行わねば、諸悪ばかりも行わぬ」とし、「一体神と云うものは、人間離れをせぬ限り、崇めろと云えた義理ではない。」と言う
・赦免されなかったことを嘆いても仕方がない、「おれは今では己身の中に、本仏を見るより望みはない。」「おれはどこまでも自力の信者じゃ。」と受け入れて対応する

僧都なのだから信仰心の有無に依らずとも流石に知識はあるとして、日常的な思考に仏教思想が見られるのは平家物語の印象とは異なっている。
物語に没入するのをやめて視点を変えれば、俊寛を題材にした芥川がそうした用語を詰め込もうとしただけとも言えるのだが。

食事の内容については、島で自由に食材が選べないから適応の方便が必要となった面もありそうだが、元来規則にだけ縛られるような表面的な信仰を否定していたということか。
熊野に見立てて信心したり、あれこれ唱えて卒塔婆を流す、一見して信仰心のあつい康頼(と参拝に付き合う成経)との対比に繋がっていると感じた。

島流しの苦難も世界で自分だけが苦しんでいるわけではないと言い、自身が「食色の二性を離れぬ事」を認めて謀叛の志を否定するのは、発言をそのまま信じるならば確かにそのような野望を抱く理由はない。
だからこそ、島流しを受け入れるための虚構として自分の中で組み立ててしまった理論のようにも思われて、だとすれば哀れだ。

鬼界が島での熊野信仰エピソードは「岩殿」を中心に説明されているが、真似事であるという批判に加えて、願が通ったり通らなかったりすることを「人間のよう」だとし、「人間に近い神」は「何を仕出かすか油断はならぬ」と言う。
この辺が一番興味を惹かれた。俊寛は岩殿の祠に何かがいて何らかの力を持っていることを否定はしていない。ただ、そのような神を詣でることに懐疑的なだけ。
なお、虫食いの奇瑞については無理に読もうとしているだけだとして一蹴しており、奇瑞とは認めていなかった。
よく分からないものを勝手に有り難がって信心したくなる人間への批判という点では、古今東西通用するな。神仏に限らず何かにすがりたくなることも、そうした浅ましさが安定的に成功に繋がらないのも道理。
また、善を為したり悪を為したりすることを人間のようと例えるのは、そうした人間の筋の通らなさへの批判でもあるだろう。

赦免されず島に残ったことを受け入れ「自力」を強調する俊寛。孤独の受容の表現でもあるが、他力を否定しているという意味では、熊野信仰をしなかった理由を説明しているということか。
※この辺の思想の知識が不安

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