ユダヤ人は中東欧の民族である

「ユダヤ人は中東欧の民族である」
現代において、ユダヤ人はその9割がふたつの国のどちらかに住んでいます。「ふたつの国」とはアメリカイスラエルです。おのおのユダヤ人は700万人程度で、それぞれが地球上のユダヤ人人口の半分近くを占めています。歴史的にユダヤ人に寛容な政策を取ってきたフランスすら今やほぼユダヤ人はおらず、ユダヤ人の子孫は現地人に同化するかアメリカ/イスラエルへ移民しました。
では元々ユダヤ人はどこに住んでいたのでしょうか?それは神聖ローマ帝国(現在のドイツとその周辺)、およびロシア帝国(現在のロシアとその周辺)です。19世紀まではなんとこの2つがそれぞれ地球上のユダヤ人人口の半分近くを占めていました。
ざっくり言うとロシアとドイツ、あるいは中東欧と呼ぶべき地域に19世紀までユダヤ人のほとんどが住んでいました。「ゼレンスキー大統領の祖父がユダヤ人」とかあの地域にちょっとユダヤ人の血が入った人が多いのが当時の名残です。私がネットで知り合ったロシア人の女の子もロシア国籍の他にイスラエル国籍があると自慢していました。おそらく近い親戚にイスラエルに住むロシア系ユダヤ人がいるのでしょう。
ユダヤ人は一応古代イスラエルに2000年前住んでおり、ローマ帝国がキリスト教を国教に定めて彼らを弾圧したため世界に散らばったとされています。このうち中東欧のユダヤ人は「アシュケナジム」と区分されており、一応他にも2-3種類別の場所へ逃げたユダヤ人もいるそうです。しかしユダヤ人の9割が19世紀時点で中東欧にいたアシュケナジムです。
ユダヤ人が散らばった地域はヨーロッパと中東ですが、この地域には後にキリスト教とイスラム教が広まりました。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は旧約聖書を元ネタとしているため共通点が多く、現代に至るまでのユダヤ人弾圧を決定的にしているのが「ユダヤ人達がイエスを処刑した」話、そして「同胞にお金を貸した時利息を取ってはいけないルールが原因です。
このルールのためキリスト教徒はイスラム教徒にしか、イスラム教徒はキリスト教徒にしかお金を貸して利息を取れませんでした。現代でもイスラム教国ではこのルールが守られている場合があります。つまり金融業ができません。ところが極小数のユダヤ教徒は利息を取れない相手は同胞のユダヤ教徒だけで、キリスト教徒にもイスラム教徒にもお金を貸して利息を取れます。つまり近世まで西洋では「金貸し=ユダヤ教徒」であり「金融業者=ユダヤ教徒」でした。
そしてイエスを殺したユダヤ教徒は土地などの固定資産を持てない(リンチされて土地を奪われるから農民になれない)ため、芸人になったり身一本で生きていくしかありません。よって近世以前のユダヤ人は搾取的な金融業者になりがちで、「ユダヤ人が裏で経済を支配している」というのは近世のドイツ帝国やロシア帝国では多少当たっていました。それでも産業革命まではユダヤ人が皆殺しにされることはありませんでしたが、産業革命が起きて社会が高度化するとユダヤ人金融業者がロシア人やドイツ人を搾取している構図があからさまになってきました。
このためナチス・ドイツ支配地域ではホロコーストが、ソ連ではポグロムが行われ中東欧からユダヤ人はいなくなり、ユダヤ人達はアメリカorイスラエルへ移民するか、現地人に同化するかしました。
従って現代においてアメリカイスラエルにいる「ユダヤ人」を名乗る民族は「中東欧の民族」と言えます。実際にイスラエルでは今もロシア語を解する者がわりといるそうです。逆にヘブライ語が苦手でロシア語主体で生活している旧ソ連地域出身の中高年のコミュニティもあるそうです。
それにしても私が不思議なのがユダヤ人がロシア人やドイツ人に同化しなかったことです。想像するにキリスト教とユダヤ教の対立を考えるとほとんどのユダヤ人は現地化(同化)したはずです。中世の中東欧にいたユダヤ人の子孫はおそらく多くがそのままロシア人なりウクライナ人なりドイツ人になっており、ユダヤ人としてのアイデンティティを保ってアメリカやイスラエルへ移民したのはごく1部でしょう。一方アメリカやイスラエルでユダヤ人を自称している人達は、逆に托卵される形でいつの間にかロシアやドイツの血がほとんどになっていて、彼ら/彼女らは中世ロシア人やドイツ人の子孫であるはずです。つまり古代イスラエルから逃げてきたユダヤ人は中世の段階で現地の中東欧の人々とシャッフルされているはずです。
一方でずっと苦難を味わってきたという「古代イスラエル人」は誰なのでしょうか?出エジプトしたりバビロン捕囚された古代ユダヤ民族は確かに存在したはずです。
彼らのうち一部は教えを守って世界に離散しましたが、おそらく多くはキリスト教なりイスラム教を受容して現地に居残ったはずです。常に土地と人民はセットだからです。つまり現在イスラエルと戦争しているパレスチナ人こそモーセに率いられシナイ半島をさ迷った末”シオンの丘”に辿り着いた人々の子孫なのです。
なお、日本の地図ではパレスチナにはファタハ率いるヨルダン川西岸地区とハマス率いるガザ地区があることになっていますが、現実にはヨルダン川西岸地区のほとんどはイスラエル軍に制圧されてユダヤ人入植地となっています。ユダヤ人が土地に固執するのは彼らの祖先が農民になれなかったからです。
何にせよ、ヨルダン川西岸地区はもはやほぼ存在せず、2000年前モーセが率いた人達の子孫はハマースとなってロシア人(イスラエル人のこと)相手に最後の聖戦に臨んでいます。
なお、私は今イスラエル人を”ロシア人”と表現しましたがそれはイスラエル人の中核が中世ルーシの子孫だからです。ならばそのイスラエルを買い支えているアメリカはどうでしょうか?13植民地が独立戦争を戦っていた時代、既にイギリス人は少数派で飢餓を理由にアイルランドから来た人が多数派となっていました。そして現代アメリカ白人の中核は近世ドイツ人の子孫です。そもそもイギリス人自体が「ドイツから来た」と自分で言っているのでアメリカ、イギリス人は中世ドイツ人の子孫が中核っぽいです。
かのアドルフ・ヒトラーも「アーリア人同士戦争する意味が無い」とイギリスがいつか講和に応じることに期待をかけていました。ヒトラーはドイツ人とイギリス人(+北欧のゲルマン系民族とオランダ人も)を「アーリア人」という大きな括りに入れて同一民族と見なし、ロシア人やポーランド人、イタリア人やフランス人は異民族とみなしていました。
この辺りの感覚は韓国人とさえ全く言葉の通じない日本とは全然違うようで、例えばオランダ語は英語とドイツ語の中間とされたり、低地ドイツ語の一方言とされたりしますが、英語とドイツ語でショーをしたらオランダ人の観客は英語の時はイギリス人と同時に笑い、ドイツ語の時はドイツ人と同時に笑ったというお話があったりします。またイングランド人はスコットランドやウェールズの言語を「ドイツ語」呼ばわりすることがあります。ドイツ人と米英白人の距離感は敢えて言えば江戸時代の日本人と琉球人のような感じなのでしょうか?
ちなみに印欧祖語が7000年前に発生したとされており、これは日本語と韓国語の分岐年代と同じです。
米英白人やドイツ人にとってロシア人イラン人は日本人にとっての韓国人のような距離感なのでしょうか?
ちなみにイラン人は周辺の他民族と異なりヨーロッパ系の民族です。「イラン」という国名も「アーリアン」がなまったものでありヨーロッパにルーツがあることを意味しています。19世紀までペルシャという立派な名前だったのに第一次世界大戦あたりの時期に何を思ったのか急にペルシャからイランに変更してくれと各国に要請しました。
そして「国を持てない最大の民族」と呼ばれるクルド人もそうです。クルド人はイラン系民族です。クルド人は周辺の他民族と同じくスンニ派を信仰していますがヨーロッパ系なので周辺の他民族と仲良くできず、親方のはずのイランもシーア派だからイランとも仲良くできず今の状況があります。
また、ウイグル人と中央アジアのトゥルク系民族スキタイという古代イラン系民族の子孫とされています。中央アジア人とウイグル人はトゥルク系言語を話していますがトゥルク系言語はモンゴル発祥で日本語や韓国語と同系統の言語です。ウイグル人は中国語をマスターして北京に出るよりも日本語をマスターして東京に移民する方が(言語が近いから)遥かに楽なはずです。何にせよトゥルク系言語は白人である彼らの本当の母語ではなく、東洋系の遊牧民に支配されて覚えた言語であり、彼らの祖先もまたイラン系と考えられています。
言うまでもないですが、トルコもトゥルク系言語を使っています。日本に地味にトルコ人が来ていてケバブ屋しているのは日本語がトルコ人にとってマスターしやすいからです。
トルコはどう見てもビザンツ帝国の後継国家でヨーロッパ人種ですが、イスラム教を国教としている以上ビザンツ帝国との連続性は肯定できません。よってトルコは自国民を古代モンゴルにいたトゥルク民族の子孫だとしており、また自国は突厥の後継国家だとして突厥の歴史から国史として教えているそうです(!)。
「トルコ人は親日」というよく聞かれる話もこの歴史教育が原因で、この歴史観によると古代モンゴルから東へ行ったのが日本人と韓国人、西へ行ったのがトルコ人ということになります。よってトルコ人は親韓でも有名です。
しかし現実には日本人、韓国人とトルコ人は確かに言語は似ていますが人種は全く異なります。言語のルーツは古代モンゴルにあっても結局DNAは元からの住人のものがほとんどだとを見れば分かります。
逆にトルコはギリシャをライバル視しており、かつてギリシャ系住民を全員追放して代わりにギリシャからイスラム教徒を受け入れるという住民交換をしたこともあります。
その一方で冷戦時代、米ソはトルコとギリシャを戦略的にセットで扱っていました。トルコがなぜかNATOに入っているのもギリシャをNATOに入れた時にトルコもセットで入れるべきだとペンタゴンが言ったからです。
おそらくこの2つ、DNA的には両方ともビザンツ帝国時代の住人の子孫のままのはずです。ビザンツ時代の伝統を継承しているのがギリシャで、侵略されてトゥルク系イスラム教徒に成りきったのがトルコなのでしょう。少なくとも古代トゥルク人はモンゴロイドなのでトルコ人の祖先ではありません。またトルコの首都はアンカラですが、それと別にイスタンブールという謎の巨大都市があります。イスタンブールの都市圏人口はロンドンとパリを合わせたのとちょうど同じで、イスタンブールにはヨーロッパ部分とアジア部分があるためここをヨーロッパの都市と区分するとヨーロッパではモスクワとイスタンブールが双璧の圧倒的2大都市となります。
ここはかつてビザンツ帝国の帝都コンスタンチノープルでした。当時の大都会が人間だけアジア系に入れ替わってそのままそっくり維持されているのでしょうか?そんなはずはありません。イスタンブールの中身は明らかに帝都コンスタンチノープルです。ちなみにモスクワはヨーロッパいちの華の都ですが、かつてここは「第3のローマ」と言われました。それはローマ帝国、ビザンツ帝国に続いてロシア帝国が正教を保護し、ビザンツ最後の皇帝の娘とロシア皇帝が結婚したからで、ビザンツ帝国はローマ帝国の中核部分でしたがロシア帝国もまたヨーロッパの半分を占めていたことから自身をビザンツ帝国の後継国家と位置づけ、その帝都モスクワは古代ローマと中世コンスタンチノープルと同じ立場にあるという意味です。これは逆に言えばイスタンブール(コンスタンチノープル)は第2のローマだとロシア人も認めていたということです。イスタンブールは謎の大都会ではなく、ビザンツ時代からよほど栄えていたのでしょう。ちなみにビザンツ帝国はコンスタンチノープル周辺しか直轄しておらず地方は豪族が仕切っていたそうです。そのため後半の時代は何度もコンスタンチノープル周辺だけの都市国家に追い詰められては地方を取り返すということを繰り返していました。この時地方のイスラム豪族がいざコンスタンチノープルに攻め込むと、「ギリシアの火」というロストテクノロジーを使われて海戦でどうしても躓いたそうです。またロシア国家は「正教の守護者」をよく自称しますが正教の最高位は形式的にはモスクワ総主教ではなくコンスタンチノープル全地総主教です。これが存在するせいで全地総主教がウクライナに独立した主教座を認め、新たに設置されたウクライナ正教会と元からあるモスクワ系の正教会がウクライナでは並立することになり、モスクワ系は戦時下のため弾圧されています。全地総主教もトルコ政府には逆らえないはずですがトルコ時代もオスマン・トルコ時代もずっとビザンツ時代の「コンスタンチノープル全地総主教」の名称のままです。ちなみに皇帝号を持っている人への敬称はhis majesty、教皇号を持っている人に対してはhis holinessですがコンスタンチノープル全地総主教に対する敬称はhis all holinessというワンランク高いもので、この言葉のことを特別に「HAH」といいます。一方でロシア国家が正教の守護者であるという主張もそれなりに正しく、そもそも正教はロシア以外ではマイナーなので信者の半分はロシア連邦の領域内に住んでおり全地総主教と言えど手出しできません。「HAH」のような特別な敬称が今も残っているのはビザンツ時代の名残ということです。かつてのコンスタンチノープルはめっちゃ凄かったようですが、現代イスタンブールのとてつもない大都会ぶりがこれと全く連続性がないとはまさか言えないでしょう。
長々と何が言いたかったかというと、「トルコはビザンツ帝国の後継国なのに自分たちをモンゴル系だと主張していて実際にモンゴル系の言語を話してまでいる」ということです。
トルコの歴史教育は突飛な例のように聞こえますが、イスラエルもやっていることは同じで、自身をユダヤ人と定義している人達のDNAはほとんどスラブ人ではないでしょうか?
日本には「被差別部落」の問題がありますが、ロシアでは被差別部落の人達が古代ユダヤ人の子孫だとしてポグロムされ、逃げ出して作った国がイスラエルと言うこともできます。日本でも「被差別部落は古代の蝦夷が戦争で負けて関東~西日本に連れてこられた末裔」と言われたりしています。ソ連周辺から当時の英領パレスチナに自称ユダヤ人が大移動した出来事も我が国の部落問題の延長線上にあると言えるかもしれません。
実はアメリカもこれと同じことを200年前にしています。当時奴隷だった黒人の解放を認め、解放された黒人が社会に溢れたとき、差別や無教育、無職歴のため彼らは仕事を得られませんでした。そこでアフリカの一角に「リベリア」という国を作りそこを解放黒人に新天地として与えて自給自足させるというアイデアが実行されました。当然リベリアが作られた地域にも原住民がいるためいろいろ悲惨な出来事が起き、リベリアは今でもアフリカの中でもかなり貧しい部類の国のままです。
またイスラエル問題はアメリカの問題とも言えます。この記事の冒頭で「ユダヤ人のほぼ半分はアメリカに、残り半分はほぼイスラエルにいる」と書きました。これは逆に言えば「もしこの世にリベリアやイスラエルがなければそこにいる人達は今頃アメリカに住んでいた」ということです。確かに直接的にユダヤ人を追放したのはロシアですが、アメリカもまた彼ら/彼女らの全員に来られるのは嫌だからイスラエルという受け皿を買い支えているのでしょう。もしイスラエル支援を辞めればイスラエルは確実に周辺のイスラム諸国にフルボッコにされ、ユダヤ人700万人がアメリカに流入しアメリカのユダヤ人は1400万人となります。ユダヤ人はホワイトカラー、特に金融業が多いためそれが1400万人ともなると目立ちすぎ、キリスト教国にはデフォルトであるユダヤ人ヘイトを超えて戦前のドイツやソ連のようなジェノサイド的動きに向かってゆくでしょう。しかしアメリカがイスラエルを支援する動機はこのジェノサイド、アメリカ分断を避けるためみたいな高尚な動機ではなく、単にユダヤ人1400万人を受け入れるのはというだけでしょう。
例えば日本人1億2000万人います。うちエリートが1200万人だとします。ここに確実にエリート階層入りすると見られるユダヤ人600万人がやってきて日本人エリート600万人が転落するとどうでしょうか?政府も国民もそんなことは絶対に嫌だから軍事介入して理想国家イスラエルに彼らを住まわせ自給自足させるでしょう。
極端な言い方をすればユダヤ人はロシア東欧、トルコ人はギリシャ人(ビザンツ人)の一部が暴走し、あるいは差別を受けて妄想的アイデンティティを持ってできた人工民族と言えます。
トルコはビザンツ帝国の東半分が単に独立した形なので自給自足できていますが、ユダヤ人は差別のため特殊技能があったり余程のホワイトカラーでないと飯を食えないため、彼らを受け入れると自国のエリートがユダヤ人に取って代わられてしまいます。アメリカで例えるとブルーカラーがドイツ系ばかりでホワイトカラーがユダヤ人ばかりの国になってしまうと考えるとめっちゃ嫌でしょうね。しかもユダヤ人というのは自称で、DNAはロシア人ですからね。「ユダヤ人問題の最終的解決」と称して700万人ガス室送りにした人達が80年前にいましたが、彼ら(ナチス)の論理も分からないこともないです。ユダヤ人は当時ドイツ系とロシア系に分かれていましたが、今いるユダヤ人はほとんど旧ロシア帝国の領域にルーツを持つと言われています。つまりナチスは責任持って自国のユダヤ人問題を解決したのです。ロシア人もポグロムでユダヤ人をボッコボコにリンチしましたが、現に主に旧ロシア帝国の領域をルーツとするユダヤ人が世界に溢れてこうして問題を引き起こしています。実はロシア人達は生温く、ナチスこそ「最終的解決」したということです。
またドイツ人は近現代にロシア人より多くの経済的成功を収め、科学技術分野でも多くの成果を残しています。もしナチスが「最終的解決」していなければ、今いるロシア系ユダヤ人より更に優秀なドイツ系ユダヤ人が1400万人上乗せされていた訳で、今頃世界の資本という資本はほぼ彼らに握られており、日本人やドイツ人、アメリカ人などは植民地に住む原住民のような立場にいたでしょう。
なお「ドイツ系ユダヤ人」は0人ではなく、アメリカやイスラエルには普通にいます。彼らは世界で最も優秀で世界を支配しかねなかったが人口の9割をガス室送りにされた幻の民族と言えるでしょう。
なお一線で働く科学者達の能力の差はわずかです。研究の進行ペースが100の人と99の人、98の人が争っているような状態なので、進行ペース100のユダヤ人がガス室送りにされても進行ペース99のドイツ人が同じ発明をしてくれます。よって「最終的解決」がなければドイツ系ユダヤ人がいろいろな発明をして世界が変わったということもなく、最終的解決はただトップを殺して2番手の人を繰り上げただけでしょう。
それにしても、1940年代の人口でヨーロッパ白人、しかもエリート輩出率の高い集団を700万人殺したって凄いですね。独ソ戦では3000万人が死にましたが、それは戦争です。戦争のようなやむにやまれぬ事情がなく民族浄化的理由で自国民をそのスケールで虐殺したというのは本当に凄いことです。
また戦争は女性は殺される率は少ないので男性がめちゃくちゃ死んでも意外と次世代の出生数には響かず、逆にベビーブームが起きることが多いです。
同様にこの手の民族浄化は女性が原因で完遂まではされません。中南米はスペイン人に征服されましたが、スペイン人はついムラっときて現地女性を性奴隷にしまくった結果、結果的に現地人は子孫を残すことが出来ました。このように民族浄化が行われても強い立場にある側が女性までは皆殺しにせず、むしろ自分の性欲を女性にぶつけて現地女性と子孫を残してきたのが通例です。この観点からも女性までキッチリ350万人殺したホロコーストはかなり珍しい例です。これはヒトラーの暴走などではなく、当時のドイツ人が国民的にユダヤ人の絶滅を願っていたことが伺えます。
なおジェノサイド(民族浄化)というのは皆殺しだけでなく「移動」も含まれます。よってドイツ戦後処理でヨーロッパの諸民族をそれぞれ東から西へずらした(ベラルーシ/ウクライナを西へ広げ、ポーランドを西へずらし、ドイツ東部を縮めた)のも民族浄化にあたります。またユダヤ人についても当初イスラエル案以外にアフリカにユダヤ人の国を作る案もありましたが、自国に差別があって実質的にユダヤ人をその国に送り付けている以上これも民族浄化です。聖地イスラエルにユダヤ教国家を作るという案は、ユダヤ人を追い出したい(orロシアなどから来て欲しくない)側と今ある仕事や家を捨てて新天地に行くかもしれないユダヤ側の立場を絶妙に調整し、民族浄化にあたるかどうかギリギリ微妙なよく練られた案と言えます。しかしここでも原住民のことが考えられておらず、その「原住民」が運悪く世界中に仲間がいるイスラム教徒だったため超大国アメリカの力をもってもイスラエルを買い支えるのはコストになりつつあり、情勢はこれからますます厳しくなるでしょう。ちなみに上で触れたトルコとギリシャによる「住民交換」もジェノサイドにあたりますが、ジェノサイドの概念はホロコーストの反省から作られたためそれ以前に行われたトルコ住民交換は時代が悪かったということになります。逆に、ホロコーストは単にユダヤ教徒がスケープゴートにされて虐殺されただけで、そもそもユダヤ人は当時はヘブライ語ではなくドイツ語を話しておりただユダヤ教を信仰していただけなのでそれを殺害したのは「スケープゴート」であって特定の民族の移動や絶滅を目指す「民族浄化(ジェノサイド)」には当たらないという「ドイツ民族の中のユダヤ教徒」説もあります。ただしこの説には間違いがあると私は考えており、どういうことかと言うとユダヤ人とロマ、障害者についてはそうとも言えますがナチスはスラブ人の絶滅も目指しており、実際に強制収容所では捕らえられたロシア人がユダヤ人と一緒くたに殺されていたため間違いなくこれは民族浄化に当たります。スラブ人から東ヨーロッパ平原の豊かな大地を取り上げ、そこをドイツ民族の「東方生存圏」とするという公式な民族浄化政策でした。
またドイツ戦後処理で強烈だったのは「国土の東部をポーランドに譲って住民全員西へ強制移住」というのもジェノサイドに当たりますが、ドイツを東西に割って、ベルリンも東西に割って西ベルリンを西ドイツの飛び地にしたことが私には印象深いです。ベルリンはかつてロンドン、パリと並ぶ大都市で、ヒトラーは第二次世界大戦に勝ったら「世界首都ゲルマニア」にすると夢想して様々な建造物の建設計画を立てていました。現代のドイツはアメリカ、中国、インドのような分散型の国と思われていますが、戦争に負けるまでベルリンは大都会だったのです!戦後共産国に包囲された飛び地になって衰退し、ドイツはこれという首座都市(プライメイトシティ)がない分散型の国になりました。ベルリンが東京大阪ソウルやロンドン、パリ、モスクワのような世界都市に復帰するのは22世紀に入ってからでしょう。22世紀には世界の中心はインドやアフリカに移っているためベルリンはもう二度と世界都市に復帰しないかもしれません。名古屋すら田舎と呼ぶ日本人の感覚だとドイツは田舎国家ということになります。まさに日本の東海地方のような「大いなる田舎」です。ヒトラーは「余無きドイツはもはやドイツでは無い」と言ったそうですが、本当にそうなってしまったのかもしれません。ドイツは経済的には豊かで、スイスやオーストリアとも言葉が通じドイツ語圏1億人はいますが、世界都市が存在しないせいで何となく日米や中露どころかイギリス/フランスにすら見劣りする印象すらあります。ロンドンやパリに住みたい人はいてもベルリンに住みたいとは普通思わないでしょう。むしろ東南アジアの方がタイすらバンコクは世界都市ですし、インドネシアのジャカルタも世界都市なので住みたい人がいそうです。
ベルリン分割は単に東ドイツがソ連側なのでその中の西ベルリンだけ米英がもぎとったのであって悪意はないでしょう。なぜなら日本分割案でも日本を分割する他に東京と大阪を各国の共同統治とする、とか東京の北半分と北海道東北をソ連圏とする、とかあったからです。決してベルリンを「潰す」意図はなかった(そもそも共産主義の失敗は当時予想されておらず、東ベルリンは東ドイツと陸続きだったので東側は首都として機能し続けた)はずですが、結果的にベルリンは潰されドイツが「大いなる田舎」にされてしまったことが私にはドイツ戦後処理で最も印象深いです。もしドイツが日本のように統合され、ベルリンが成長を続けていたら今頃ベルリンはどうなっていたでしょうか?ヨーロッパの都市はモスクワとイスタンブールが都市圏人口2000万で大阪と同じ、ロンドンとパリが都市圏人口1000万で名古屋と同じです。ベルリンがもし戦後潰されなければモスクワ、大阪、ソウル、そしてニューヨークと同じ都市圏人口2000万は超えEUの首都的立ち位置にあったでしょう。どういった人がベルリンに集まるか予想するとモスクワ、大阪、ソウル、ニューヨークの中ではニューヨークによく似た都市になっていたはずです。それと現状を比較すると「余無きドイツはもはやドイツでは無い」のかもしれないと私は思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?