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「怒り」のコントロール

私は普段、怒りを表面に出すことはほぼない。たぶん年に2~3回だ。

最近それについて周りの人から言及される機会が多い。自分にとってはそんなにたいしたことではないのだが、周囲から見るとそれは結構変わったことらしい。そうなると途端に気になってきた。そこで、この記事でなぜあまり怒らないのか、怒らないために何をしているのかを振り返ってみることにした。

「怒り」に対して働く損得勘定

「なぜ怒らないのか」を考えるとこれにつきる。つまり、「怒る」ことによって自分に得るものはほとんどないのだ。

これに関しては割と若い、20代前半に数十人のパートさんのマネジメントを仕事にしていたことが大きいように思う。そういう環境では特に、人間関係は命だ。どれだけ他の能力が高かろうと、嫌われたらやっていけない。

私以外にも社員はいて、なかにはいつもイライラして、よく怒る人もいた。

そういう人は陰で皆に悪口を言われていた。恐怖で押さえつけてある程度言うことは聞いてもらっていたものの、皆その人の指示は聞きたくなさそうだった。大事なところでは、言うことを聞いてもらえていなかった。

そんなところを横目で見ていると、必然的に反面教師になる。

「怒り」を表に出す頻度が多いと、周りの人の心が離れていく。言葉で書くと、当たり前に思える。けれどそれを実感として、若いころに学べたのは大きかったと思う。

少し回り道したけれど、つまり損得勘定を働かせると、怒ることによって損することが圧倒的に多いのだ。

周りの人に嫌われる。話しかけてもらえなくなる。そうなると、自分に集まってくる情報の量も質もガクンと落ちるのは想像に難くない。

逆に怒りによって得られることはなんだろうか。

たとえば、怒りをパワーに変えることができる。これはあるかもしれない。けれどそれは、表面化させなくても可能だ。むしろ、表面化させることによってちょっとスッキリしてしまう側面もあると思うので、パワーに変えたいなら内にため込む方がいいだろう。ただかなり高度なテクニックだと思う。

他にも、相手に言うことを聞かせられる。恐怖で支配するということ。まぁ、相手にやってもらいたいことが「とにかくそこに立ってろ」みたいなモチベーションもクソもないことなら、ありなのかもしれない(相手は不快だろうが)

ただほとんどの場合にそうではない。相手の心理状態は相手の行動に大きく影響する。そう考えると中長期的に見て恐怖による支配のデメリットは大きい。

やはりこうして比べてみても、得よりも損の方が大きそうだ。つまり、損得勘定を働かせると「怒らない」ほうがよいということになる。ただそうはいっても怒るときに損得勘定なんて考えてられない、という人も多いので、ここからは私が怒らないためにやっていることとか考えていることを書いてみる。

すぐに発言しない

怒りをこらえるために、6秒待つというのは割と有名だと思う。怒りの感情が発生してから理性が介入、すなわち損得勘定ができるまでに6秒くらいかかるからだ。諸説あるらしいが。

損得勘定ができるようになればしめたもの。上述の通り明らかに損なので、怒ろうという選択はしない。

カッとなりそうになったときは、いったん沈黙するというのが大事だ。

ちなみに、とはいえ私もたまには本当に感情に任せて怒りたくなるような出来事もある。そういうときは、この沈黙タイムで相手に対して目で怒りを訴えることにしている笑

とはいえ発言はやはり控えるのがポイントだと思う。

乖離の裏側に想いを巡らす

ではその沈黙している時間に何をするか。

ただ黙っているのも芸がないので、ちょっと考えてみる。たいてい、怒りそうになる時というのは「自分の中の期待」と「相手の行動」が大きく乖離しているときだ。

たとえば、自分はAさんに資料を10部印刷してほしいとお願いした。自分の中ではホチキス留めもしてくれると思っていたが、印刷された資料を見ると5ページくらいある資料がバラバラのままだった。とか。

まさに自分の期待とAさんの行動が乖離している。ここでイラっとして、「ちょっと!普通5ページもある資料ならホチキス留めするよね!?」とかAさんに言ってしまってはダメだ。

そのために私は、6秒間の沈黙タイムで乖離そのものに目を向けない。「その乖離がなぜ生まれたのか」に想いを馳せる。

まず、私が「ホチキス留めもお願いします」と一言かけていれば、この乖離は生まれなかっただろう。とか。Aさんは転職してきたばかりだから、ホチキスが置いてある場所が分からなかったのかもしれない。とか。Aさんの中では何か考えがあってホチキス留めはいらないと判断したのかも。とか。私がAさんに嫌われてるのか?とか。

そんなことを考えている間に、6秒なんてすぐ経つのだ。

このときに大事なポイントは「相手は悪くない」という前提に立つこと。そもそも、悪意を持って乖離を生み出す人なんてそうはいない。ごく稀にいるかもしれないが、そんな時は怒ってもいいかもしれない。

「自分の期待」と「相手の行動」が乖離していたら、ほぼ100%悪いのは「自分の期待」のほうだ。事実としてそうかはおいといて、そう考えた方が楽になる。「相手の行動」を変えるのは容易ではないけど、「自分の期待」は比較的簡単に変えられるからだ。

怒りを感じるようなことに直面した時に私の心の中で起こっているのは、このようなことである。

表面化させる行動

内面で起こっていることについて書いてきたので、実際に自分の行動として行っていることも少し触れておく。意識していたわけではないけど、割とルーティン化していると思う。読んでくださっている方も、ぜひ自分の怒りの処理のルーティンを探してみるとおもしろいのでは。

怒りの処理の手順として、まず私はいったん怒りの矛先になりそうな相手から目を逸らす。たいていそういうときって怒りは目に表れていたりするし。あと目を合わせていると何かしゃべってしまいそうになるし。

相手にダイレクトに怒りをぶつけずに処理するために、目を逸らす。

目を逸らした状態で、沈黙のまま、乖離の裏側に想いを巡らすのだ。私の癖で、考える時はよくアゴを片手で触っている。あと、沈黙のままといったが、「んーーー」とか「そうだねぇ」とか小さい声でしゃべっている。

この挙動は「怒りに囚われずに冷静に考えている」感が相手にも伝わるので(たぶん)、気に入っている。

実際、相手に「怒られた」と感じさせては意味が無い。最初に挙げた怒りのデメリットは、結局相手との関係性が大きいからだ。だからこそ、相手に「この人ぜんぜん怒ってない」と思わせるのは結構大事。そのための振る舞いをするのだ。本当は笑顔を絶やさずにいられたら最高だが、さすがに怒りを覚えそうな状況で笑顔を崩さないほどにできた人間には、まだなれない。なので、上に書いたような仕草で極力「怒ってないよ~」というメッセージを相手に発する。

そうやって稼いだ沈黙の6秒間で、乖離の裏側に想いを馳せ、それも踏まえて相手にかける第一声を決めるのだ。

そのあと相手にかける言葉は、感情に囚われず、冷静に乖離を埋めるためのものなのは、言うまでもない。

まとめ

改めて言葉にしてみると、いろいろと気づきがあっておもしろかったですね。

特に、考え方だけでなく身体的な行動もけっこうクセとして固定されてたことに気づきました。

とはいえ私もまだ、うまく感情を処理できないこともあるので、いろいろと他のやり方も試してみたいと思います。いわゆるアンガーマネジメントの手法もちゃんと勉強してみたい。

おわり。

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