バックトゥザバンコク イン1991 ①
タイが好きでこれまでに10回以上行っています。
この数字が多いが少ないかはよく分からないですが、一般的な人に比べれば比較的多い方だと思う。
結婚前は一人旅、結婚してからは妻との二人旅に変わったが、個人でホテルと航空券を手配する旅のスタイルに変化はありません。
新婚旅行が初めてのタイ旅行だった妻も、今では年に1回は必ずタイ(特にクラビ限定)に行かないと気が済まないという、タイジャンキーになってしまった。
そんな、ドハマりしているタイに初めて訪問したのは、1991年の5月でした。
なぜこの年を明確に覚えているかと言うと、5月と6月は添乗員として、11月は、タイの現地の旅行会社との打ち合わせで訪れていたのですが、その帰りの空港で、クイーンのフレディ・マーキュリーがエイズで亡くなったとのニュースを聞いた時の衝撃が、クイーンのファンだった私にはものすごかった為に、明確に覚えています。
私が初めてタイに行ったのは観光旅行ではなく、1ヶ月後に友達が勤めていた会社の社員旅行の添乗を一人で行うことになった為、急遽、会社の先輩が自身の企画した社員旅行に研修として同行させて頂く事になったという経緯があります。
それまでは海外旅行に行ったことがなく、なおかつタイという国に関して特に興味もなかったので、タイに関する知識も全くありませんでした。
タイに行ったことがある別の旅行会社の友人に話を聞いたところ、タイはインドのように好き嫌いがハッキリと分かれる国で自分は合わなかったと言われたので不安だけが増していきました。
初めての海外旅行で、しかも観光旅行ではなく、添乗員の仕事として、当時は全く興味のなかったタイに訪れる事になったわけです。
当時は、LCCなどの格安航空会社がなかったので、予算を抑える場合は発着時刻は悪いが価格がリーズナブルな、アメリカの航空会社のユナイテッド航空やノースウエスト航空をよく利用していました。
ツアー内容としては、4泊5日でその内2泊をパタヤに宿泊するというものでした。
4泊5日と言っても、行きは夕方成田空港を出発して、バンコクの空港に到着するのが、深夜近く、帰りは早朝バンコクを出発して夕方に成田空港に到着する日程だったので、実質タイに滞在するのは3日間という結構ハードな日程でした。
そして、ついに添乗員の補助としての初めての海外旅行が始まりました。
夕方の成田空港を出発して、夜遅くにタイのドンムアン空港に到着、飛行機を降りるときに身体中にまとわりつく湿度を含んだ熱気を感じた時、異国に来たことを実感しました。
これから、4泊5日のタイの研修旅行が始まりますが、旅行会社の内容については、改めて次の記事で書いて行こうかと思っています。
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