バックトゥザバンコク イン1991 ②

タイの入国審査を無事終了し、今回のツアーに同行するガイドさんと合流します。

チャーターしたバスに乗り込んで向かったのは、ホテルではなく、タニヤ通りと言われている、日本人を対象としたクラブが多く点在する日本の銀座のような場所でした。

今でこそ、アイドルグループがプロモーションをしたりして、女性にも人気のタイですが、当時はタイ旅行=風俗遊びの意味合いが強く、観光客の割合も圧倒的におじさんが多い状況でした。

今回の社員旅行の目的の中にもその要素が含まれていたために、店が閉店する前に、駆け込みで入店する為に、お店に直行するというスケジュールが組まれたわけです。

ツアーの日程が翌日の午前中にバンコクの市内観光を行った後に、パタヤに移動して2泊してから戻ってくるというものですが、パタヤツアーの際に、現地の女性を同行させる為には、スケジュール的にどうしても到着した日にお店に直行する理由があったわけです。

お店に到着すると、お酒を飲みながら気にいった女の子がいれば店に交渉してパタヤまで同行する契約を結びます。

コンプライアンス上、とても問題のある行為ですが、当時のタイは国全体が貧しく、東方の農村部から出稼ぎに来ている女性の多くは生活費を稼ぐ為に、性産業に従事していました。

深夜近くまでクラブで時間を過ごした後にやっとホテルに到着したのですが、ここで先輩から衝撃の事実をつげられることになります。

内容は、急に研修として組み込まれた為に部屋の手配をしていないとのことでした。

結局、私はガイドにタクシーを手配してもらい、明日の朝、ガイドが迎えに来る時間を確認して、日本のラブホテルのような格安のホテルに一人で宿泊することになりました。

初めてのタイ旅行が添乗業務だったことで、通常の観光旅行とは異なり、その国の裏の部分にも触れられることもできたことは、今後のタイという国との関わり方に大きな影響を及ぼすことになりました。

その後、添乗員としての研修業務も、本番の添乗業務も何とか無事終了しました。

皆さんにも、日本以外で愛着を持っている国はありますか?

もし無いのであれば、是非作ってみてください。

自分の祖国以外にも、好きな国があるということは、なんとなく人生を豊かにしてくれるのではないかと個人的には思っています。

50歳を超えた今、あと何回タイに行けるかわかりませんが、これからも身体が動くぎりぎりまでは、訪問し続けたいと思います。



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