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私を作った幼い頃の思い出。

私には今の私を作る、幼い頃の思い出がある。

それは私が小学生の時の、今でもずっと
その光景まで残る、忘れられない思い出。

私が小学4年生のある日、毎日のようによく遊んでいた仲良しの友達のお母さんに、私が1人でいる時にこう言われた。
「おばさんね、あなたのお母さん嫌いなの」と。

すごくすごくショックだった。

保育園からずっと一緒で、何かと関わってきた家族だったし、母親同士が話す時は楽しそうにして見えていた。
子供の私から見ても、私の母はいつも笑顔で
その人に接していた。
私の友達にも優しくしていたと思う。
母が家で誰かの悪口を言っているのも聞いた事もなかった。

だから、そう言われた理由がわからなかった。

私はその話をずっと誰にも話せなかった。
その仲良しの友達にも。
話したら、次はその友達がショックを受けるに決まっているし、そんな事を自分の母親が仲良しの自分の友達に言っていたら、きっと私ならすごく嫌だ。
だからそれはあの人と2人だけの秘密で、他の人にも、もちろん母親には1番話せなかった。

あの人は私になぜ言ったのか。
嫌いな人の子供だったから、可愛くなかったのかもしれない。
家族ごと、あまり良く思われていないんだと子供ながらに思った。

それ以来、私は無意識に母はなぜ嫌われたのかずっと母を観察し続けてきたと思う。
母はその人に何をしたから嫌われたんだろう。
その人は母の何が気に入らなかったんだろうと。ずっと思いながら私は大人になった。

家は自営をしていて、当時、豊かだった。
母はブランドのバックを持ち、スカート、ヒール、割と綺麗な服装だった。
私の住む畑や田んぼ、家畜や農家の
多い田舎では、ママ友が集まればおそらく
浮いていたと思う。
私の中で、自分も子を持ち、母になり、人の悪口、ひがみを聞くうちに、結局キーワードはそれだったと、あの出来事から何十年後かに行き着いた。
そしてブランド物もきっと嫌味だった。
それは早い段階で行き着いていたから、ブランド物はいつからか、私は毛嫌いしていた。
母みたいな風貌は女の人からはよく思われない。だから私は母と正反対になったのかもしれない。
私は母の事はすきだ。
でも母みたいな人は嫌われやすい人、そう言うふうに脳が分析してしまったのかもしれない。

そんな思い出が染み付き、染みまくったお陰で、私は子供が保育園時代のお迎えの時、
大きなピアスは外し、ヒールを履いている日はスニーカーに履き替え、オシャレはなるべくしないでお迎えに行っていた。

あの人はちょっとのストレスや、軽い気持ちから、ちょっと私をいじめたくて話したかもしれない。
でもその時のあの人の表情も、自分のショックを隠すような受け答えも、あの部屋の雰囲気も覚えてる。
ずっとあの言葉は私の中から消えない。
子供だった私にはきっと深い傷だった。

人に嫌われたくない。
そんな意識が深くなった。
これもきっと、今の私を作る材料の1つ。

その仲良しの友達とは、今も地元で、同い年の子供がいて、子供達は学校も同じ。
正直、自分も大人になり、その友達に笑い話のように、話そうと思った時もあった。
そしたら私は胸のつっかえがとれるのかもしれないと思ったから。
でも、そんなタイミングで、私にああ言ったあの人は他界してしまった。
その瞬間に、もうこれは絶対に話すべき事じゃないなという考えに変わった。
私はその仲良しの子も、その子供も大好き。
「いつかの私」が、あの人にしてもらえなかった分、私は愛情を注ぎたいなと思ってる。
偽善者ぶってるわけでなく、それであの頃の1人で悩んだ自分を救いたいから。
同じ道をたどりたくないから。
私はあの人とは違うから。
と、そんな思いでいる。

初noteは、こんな私を作る背景のお話でした。
初なのに、少し苦い思い出話ですが、今の
自分を作る1つになったのは間違いありません。
また、たまにnoteに書いて
自分自身も整理していきたいなと
思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました😌✨


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