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私を作った 苦い思い出


久々のnote。
少しまた自分と向き合ってみようと思う。

noteを始めて1番初めに、私を作った幼い頃の思い出を書いた。
そして、苦い思い出はもうひとつある。
とても大きく私に影響を与え、私を作った思い出だと思う。

少し前に書いたアメリカ留学の理由にもあったように、10代後半の私は変わりたくてたまらなかった。
その理由にも含まれる、苦い思い出を今日は
書き記したいと思う。

読み手には少し長く、きっと苦いかと。

私は小3、小4、小6と3年間、同じ先生が担任だった。小3の時に当時22歳か23歳の元気いっぱいな男の先生だった。

今では考えられないが、休みの日に山登りや、
電車に乗ってお城を見に行ったり、お泊まり会をしたり、たくさん遊んでくれる先生だった。
こんな最高な先生、他に居ないってくらいに楽しくて自慢の大好きな先生だった。

山登りが好きな先生で、ネパールにまで山登り旅行に行ったりと、当時の私達が知らない世界や、たくさんの遊びを教えてもらった。

先生は私が6年の春に結婚した。
クラスの何人かで結婚式に行き、サプライズで歌をプレゼントした。
そのくらい仲良しで絆の深い先生だった。

そんな最高で大好きな自慢の先生に、私は
小6の夏から、セクハラを受けることとなった。
それは恒例のお泊まり会が始まりだった。

新婚の先生の家に6人くらいで泊まり、リビングで
私たち子供は雑魚寝して泊めてもらった。
先生は次の朝、私だけ起こし、先生はお昼まで学校に行かなくちゃいけないから、、と説明した。

まだ寝ぼけた私を先生は、なぜか洗面所につれて
行き、先生はそこにあったイスに座った。
そして私はその先生の膝に座らされた。

先生は、私の顔を自分の方に向け、
「先生のこと好きか?」そう聞いた。
わたしは確かに大好きな先生だったし「うん」と
言わなきゃいけない空気と、味わったことのない変な怖さを感じながら、でもその空気を壊すように少しふざけて「うん」と言った。
すると先生は急に私にキスをしようと顔を引き寄せてきた。わたしはビックリして避け、慌てて
「そういう好きとはちがう」と弁解した。
でもおさまらず、それを何回も繰り返した。
私は避け続け、なんとかキスはされなかった。
キスは諦めた先生は、私のパジャマに手を入れ、まだ大して大きくもない胸を触った。

恥ずかしさと、ショックと、怖さと、信じていたものが崩れた瞬間だった。

その時、2階の寝室から奥さんが、先生の名前を呼んだ。
そのおかげで、先生は私から離れ2階に行った。
私はすぐみんなが雑魚寝しているリビングに小走りで戻り、仲のいい女の子の腕に手を通し、布団に潜った。
私は体がガタガタ震えていたのを覚えてる。

その後のあの日の記憶はそこで消えてる。

色んなことが、ただただショックだった。
男性を知らなかった私が、初めてあの空気を
味わったのは、好きな人では無く先生だった。
結婚式でお祝いしたのに、結婚したばっかりなのに、大人はこんなことをするんだってことも、そこで身をもって知った。

その日を境に、先生に会うのが気まずくて、怖くて、学校が苦痛で仕方なかった。
でも学校には毎日ちゃんと行った。
親から見たら私は何も変わらなかったはずだ。

お休みの日のイベントは相変わらずあって、嫌々参加した。散々楽しみにして参加してきた私が、行きたくない理由を親にも友達にも作れなかったし、勘づかれたくなかったから。
私はその事を恥ずかしくて、ずっと誰にも言えなかった。

でもそんなイベントの日は、先生が迎えに来て、送ることになっていた。
先生はあの出来事の日から、毎回うまく、私を最後に送るようなルートで帰り、2人きりになるようにした。
ああ、また私が最後だ、、、、
お腹がもやもや、痛くなるあの感じは今でも忘れない。

先生は私に好きだと言い「先生のこと好きか?」と何度も何度もしつこく聞き、私に好きと言わせるまで、長い時は1時間近く、私を帰さなかった。
本当に嫌で恐怖で気持ち悪くてたまらかなかった。意味が分からなかった。
大人がなんで子供の私を?結婚したばっかなのに?なんで胸を触って、キスをしようとしたの?
と、もう何も理解できなかったから。
ただ気持ちの悪い行為でしかなかった。

でもそう思いながらも、子供ながらに
その態度をあからさまに出したら、私の事を好きだと言ってる先生を傷つけてしまうんじゃないかと思った。だからやめてくださいも、いやですも言えなかった。
だからただ無言で顔を背けたり、黙り込むしかできなかった。
いつかやめてくれると信じていたんだと思う。
先生だからわかってくれるはずだと。

誰かに話せてたら簡単にそんな苦痛終わったのに、先生はみんなが大好きな先生で、こんな事みんなが知ったら、、、とそれも分かっていた。
そして母親は、仲良かった母親達グループとその先生を誘い、何回も食事会もしてた。
母親達はみんな口を揃えて、いい先生だと言っていた。
だから、母親には言えなかった。
成長期で、スポーツブラを買ってきてほしい、、、と言う事すら、かなりの勇気を出して言った私には、先生にキスされそうになった、胸を触られたことなんか到底知られたくもなかった。

そんな日が続き、私は先生が気持ち悪くなり、そして大嫌いになった。
学校では先生の前では笑わなくなった。
私は好きを返せない空気を引きずっていて、楽しんでる姿を見せたら、先生が勘違いするんじゃないかと思ったから。
大嫌いは溢れでるようになり、理由は言わないが、私は友達の間では、先生が大嫌いなちーちゃん。になった。
「なんで嫌いなの?」と聞かれたら「なんか嫌い」ただそう言い続けた。

先生は当時、大人気だった、織田裕二に似ていて、私はテレビに織田裕二が出るだけで気持ち悪くなり、見たくなかった。
すべてが気持ち悪かった。

その影響か、中2の時付き合っていた子に初めて肩を組まれただけで、気持ち悪くなり、またそうされるのが嫌で仕方なくて、うまく理由をつけて、お別れした。

先生は私が中3、高2にも1回ずつ、会いに来た。私は気まずさに作り笑いをしながら(この笑顔は母親の為で先生の為じゃない)、少し話すくらいであとは母親に任せた。
20代、30代にも同級生の集まりに先生も呼ぶ話があり、私も誘われたが参加しなかった。
どんな気持ちで、どんな顔して会おうとしてるのか不思議で仕方ない。

みんなは大好きな先生のままで、羨ましいなと
ずっと思っている。
やっと話せたのは中2の終わり頃、今は亡き親友だった。やっと言えて胸がすっとしたのを覚えてる。

その後、あの先生の被害者はいないかなと、不安にも思う。
私が声をあげないせいで、誰かがまた、、、
そんな事を思ったりもした。

そんな先生は今は県の教育委員会にいるらしく、それを聞いてたまらない気持ちになった。
潰したい気持ちはあるが、正直もう関わりたくない、会いたくない、見たくない、そんな気持ちがいまだに続いてる。

よくも、、、、って気持ちになる。

小学生の時のこの経験で、されるがまま、言いなりだった私は弱い自分に嫌気がさした。
そして、「大人」というものに対する恨みみたいな何かが生まれ、「大人」にはなるのは仕方ない、でも汚れのない「子供」というもの、考え方、気持ちへの執着が強くなったのかもしれない。

この経験から、私の変わりたいは始まった。
そして思い出すと、いつもあの先生に、私が好きを言うのを待たれている、重くて湿気った酸素の薄い空気を思い出す。

この思い出は、ずっと自分の中にあり、
今の私を作る大もとになっていると思う。

たくさんのことを我慢した小学生だったんだなと
自分でいま向かい合いながら思う。
今、私の長男は6年生。
当時の私と同じだ。まだまだ幼い。
こんなに小さかったんだな。
一人で辛かったんだろうな。
自分の子供に置き換えて初めてそう思う。
あの頃の自分を抱きしめてあげたい。
みんなに心配かけないように、
誰にも助けを求めず、よく頑張ったよ。

私はあの頃から、強かったな。

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