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わたしたちには言葉が足りないのか 東京より

やっちん

私も結構間が空いて失礼しました〜。先日の山登りではお世話になりました。私は相変わらずマイペースに登っていますが、なんかあのときが体力・気力ともにマックスだった気がします汗

ところで、「セクシャリティをことばにする」、とても面白かったです。紹介してくれてありがとう。本書は別にセクシャリティについて多くを述べているとは思わないけど、ところどころでセクシャリティ(およびジェンダー)への言及はあって興味深かったです。

生理同様、最近は女性も性について声を上げることができるようになったと私は思うんだけど、どうでしょうかね。女性向けのAVサイトやプレジャーグッズを買うサイトなんかも増えているように思えます。資本主義のレールに乗ったフェムテックが興隆してきて、女性の性的欲求もマーケットになると分かってきた人々がいるとも感じます。ただ、そういう社会の流れが自分に落とし込めているかというとそうではなく、フェミニズムを語るノリで自分のセクシャリティについて人前で喋れるかというと、それには抵抗があるし、抵抗があっても別に良いのではないかと思います(生理だって人前で喋らないし)。

そういう「女だって主体になれるんだぜ!」っていう流れを感じつつも、当該書の北原みのりさんとの対談のなかで言われているように、女性の楽しみのためのグッズよりも、男性を喜ばせるためのグッズを買い求める傾向がある(それを彼女らは「みな売春婦になった」と表現している)というのは、意識してなかったけど、そのとおりかもと思った。私はツイッターだとよく男だと思われているんだけど、たまに他サイトで女性用広告が出てきて、それがアダルトグッズだったりするんですが(笑)、「男性にもっと好かれるために」系のアイテムばかりなのだと気づきました。結局性にはオープンにはなったけど、女性は客体のままってことなのかしらね。

ところで性に関しては、この間宮台真司さんと二村ヒトシさんの対談集「どうすれば愛しあえるの: 幸せな性愛のヒント」を読みました。色々と納得できる部分もあり、興味深い箇所もあった本ですが、宮台さんのナンパ歴とか女性歴とかの披露にすごい目がいってしまった(笑)ここでは二人の男性が「女とは〜」「女は〜に喜びを感じる」みたいに語ることが多いのですが、ふんふんと読みながらも少し違和感を感じました。AV男優のしみけんさんなんかも、「AVは嘘だぜ!女性は本当はこうするといいんだぜ!」みたいな発信をされていて、それはそれで価値があることだと思いますが、結局男性が女性を代弁してる形には変わらないよなと思うんです。と言っても女性で声を上げる人はいるのだろうか。

結局世の中的には進んでいるのかもしれませんが、女性らしさが強く求められる分野(?)なのかなと思います。そして、「セキュリアリティをことばにする」の宮地尚子さんとの対談であったけど、男目線でしか性の用語ができておらず、女性たちには語る言葉がないのかもしれません。イ・ミンギョンさんの「私たちにはことばが必要だ」という本がありますが、この「語る言葉がない」感覚、日本語訳にされていない言葉を使うときの違和感同様、なんだかうまく言葉にできないけれど、そこにある気がする。言葉を獲得するにはどうすればいいのか、そもそも獲得する必要があるのか?モヤモヤは今後も続きそうです。

最後になりましたが、「セキュリアリティをことばにする」でちょっと残念なのは、異性愛にものすごく重きをおいており、男女の二項対立のみで語られていたところです。上野千鶴子さんの「女を信じること」が「連帯」に繋がるという主張はよくわかるんだけど(p.195のあたり)、私の昨今の思考の流れからすると「わからないけど連帯できる」に可能性をかけてみたいと思います。タイトルを「セキュリアリティをことばにする」とするならば、それこそ多様な性のあり方を述べても良かったのではないかなあと思いました。

かしこ

りな

P.S. お誕生日おめでとう!私は来月です。最近山と猫の写真しかないので、この間食べた海鮮丼の写真を載せておきますw


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